森のヌシ

 風虫に案内された其処を、ユウ達は木に隠れて遠巻きに見る。

 その真ん中には沼があった。泥で満たされたそれは、中身が何も見えない。

 その沼を中心とした半径三十メートル程度の空間が、更地となっていた。比喩ではない。木も草も一本も生えず、石も見られず、滑らかな地盤がそのまま露出している。

「ほら、おかしいよね?」

「いやね、風虫。おかしいよねって言うか、普通、真っ先にこっちを報告するよね?」

 ユウの引き吊った顔に向けて、風虫はこてんと首を倒し団栗眼を向ける。

「だって、母様たち、動物がどうとか言ってたじゃない」

 此の親にして此の子ありか。

 素っ惚けた事を真面目な顔をして話す風虫に、其処にいた全員が怒る気をなくしていた。

 追及をすっかり諦めて、彼女達は再び沼の様子を窺う。

「何か見えますか?」

 悠が、観察能力の〈スキル〉を持つユウとセムに状況を訊ねる。

 しかし、二人は即座に首を降った。

「いんや」

「魔力もほとんどないです」

 二人の見立てでは、あの沼そのものは至って普通の沼のようで、これ以上は誰かが近くまでいかないと、情報収集も出来なさそうだ。

「よし、つむぎっと、行け」

「なんでわたし!?」

「おまえ、キャロさんや悠さん行かせる気かよ。さいてー」

「ねーやんが行くって選択肢はどこいった!?」

「腰、いたいねん」

「あっ、はい」

 セムは、チーターに成り損なったピューマの成れの果てみたいなズボンに覆われた腰を自分で擦る。現実の持病が再現されているように見せ掛けて、それを言い訳に使っているのではなかろうか。

 しかし、ユウは素直にそれを信じたらしく、セムに労るような視線を注いでいた。

「仕方ない、わたしが行くか」

「よろー」

「紡岐さん、私もご一緒しましょうか?」

「いいですよ、危ないかもしれないですし」

「レベル低い内は、おとなしくしてた方がいいよ」

 居たたまれなくなった悠が同行を申し出るも、年長者コンビに止められた。

 今更気付いたが、このパーティでは、ユウはセムの次に歳食っているのか。

 私が疑念のままにユウを見上げると、ユウは何も分かっていなさそうな顔をして首を傾げた。そのまま私が見続けると、にへら、と笑う。

 こやつが、三十手前とか、まるで信じられないな。

 風が止んだ。

 それまでざわめいていた木の葉がしんと静まり返り、風虫が一斉に消えた。

 風虫の未言巫女は、最後に穏やかな表情をして、手を振り、いなくなる。

「なんか、出そうですね。紡岐さん、出たら私、ログアウトするんで」

「あ、おれもおれも。あとは任せるわ」

 何となくそれっぽいシチュエーションが醸し出される中で、キャロとセムが揃ってもしもの時に逃げ出すと宣言をする。

「紡岐さん、私は残りますから……」

 二人の態度を受けて、悠がたっぷりと憐憫の籠った声でユウに言葉を掛けた。

「いや、夏終わってるから。もう幽霊の時期じゃないから」

 ユウは低い声で返した。しかし、暦の上ではもう残暑の秋でも、心霊番組は最後の書き入れ時とばかりに予定が詰められている時分だ。

 ユウは嘆息して、木陰から沼の方へ一歩踏み出した。

 七歩目で、その足を止める。ユウの目が細められて、沼の水面を睨み付ける。

 沼に、一つの泡が浮かんだ。

 ユウは息も抑えて様子を伺うが、それ以降に変化はない。

 一歩、足を前に出す。

 それでも何も起きなかった。

 ユウはますます眉根を寄せて、歩を進めた。

 瞬間。

 ユウが〈森海のローブ〉を右手で掴んだ。

 沼が内側から波打ち、跳ねた光が蠢く。

 ユウの左手がローブの結んでいた袖を解く。

 沼の濁った水が飛沫を放って、何かが飛び出した。

 沼から出た直径一メートル弱の筒状の物が、ユウに突進して来るタイミングで、ユウが〈森海のローブ〉を翻して盾とする。

 ユウの目が、どろりと無機質な真ん丸の瞳を捉える。

 鈍色にくすんだ鱗を持った巨大な鯉が、勢いを付けた体当たりでユウを押し潰そうとしていた。

 〈森海のローブ〉はユウを覆い隠し、本人は空蝉の如く、身をずらして後退している。

 鯉の巨体は、ローブごと地面を圧壊させた。

「なにこれ、やっば」

 ユウは焦りで肝を冷やしながらも、《異端魔箒》を取り出した。

「おーい、それ、アーキだぞー」

 後ろからセムが〈観察眼〉で看破した情報を投げ掛ける。

 ユウの口から乾いた笑いが零れた。

 生き物を押し潰した感触を得られなかった鯉は、体を前後に捻る。胴体と殆ど同じ太さの尾鰭が、ユウの眼前に迫る。

 ユウは魔女の箒の毛先を、その尾鰭に対して払うが、呆気なく手から箒を跳ばされた。

「いっ!?」

 そのまま胸と、胸を庇った腕へ鰭を叩き付けられ、ユウの体がボールのように地面を跳ね、転がる。

 悠が飛び出した。

「あっ……あー。危ないぞーって、もう遅いな」

 その後を、呑気さも感じさせるセムの声が追い掛ける。

 悠が刀を抜いて、ユウと鯉の間に入り、その足がセムの地雷を踏み抜いて、爆発に巻き込まれた。

「なっ!?」

 足が爆炎に焼かれた悠が、吹き飛んだ先に浮かんでいた光の玉にぶつかる。そのランダム効果を持ったトラップスフィアは、運良く回復効果を発揮して、悠の傷とHPを回復した。

 そんな風に悠が理不尽な罠に翻弄されている間に、鯉も爆発に、雷電に、重力場に巻き込まれて動きを止めていた。

 ユウがその隙に立ち上がり、側に寄り添う《異端魔箒》を掴んだ。

「セムさん、敵味方判定できないの!?」

「トラップだからな! めんどい!!」

「めんどいじゃねぇ!?」

 実際、〈罠魔法〉という〈スキル〉は、ランダム性によって効果の幅が広く、嵌まれば強いが使いにくい事が特徴なのだが、セムが叫びには脱力させられる。

[遥ちゃん、セムのトラップは運でいいのを掴み取るんだよー]

[おい、黙れ、この強運巫女。回復玉だけ選んで踏めるのはお前だけだ]

[ベータテストのデスペナ、セムのトラップ地獄が原因のトップだからな]

[よく皆さん生きてますね……]

[生きてねえよ。デスペナしてるんだよ]

 良く暴動が起きなかったものだ。起きたとしても、返り討ちに合う未来しか見えないが。

 コメントが可笑しな盛り上がりを見せていた間に、ユウは魔力を圧縮した《異端魔箒》を腰溜めに構える。

 収束した魔力の砲撃が、セムのトラップで舞い上がった塵煙に隠れる鯉に向かって放たれ。

 相手からは光の奔流が射ち返された。

「ビームぅ!?」

 まさかの展開にユウが絶叫した。

 ユウの魔力と鯉のビームが、接触点で互いに弾け飛び、空気を焦がす。

 全くの互角のまま何方も消え去ったタイミングで、鯉は煙幕の中から姿を現した。

「なんで、鯉がビーム射つのよ!?」

「アーキに常識求めてもしゃーあんめえよ」

 納得がいかないと吠えるユウに向けて、セムは肩を竦めた。

 悠は此の攻防に割り込めずに、まごついている。

 そして、キャロは身長を越える長大な杖を地面に衝いていた。

「Order. Object:Rocks. Overthrow」

 キャロが厳かに詠唱を告げ、杖の石突きで地面を叩いた。

 けして力が籠っていた訳でもないのに、それだけで地面が割れて瓦礫が宙へ飛ぶ。

 その岩石は放物線を描き、加速して鯉へ向かった。

[フォノグラムのオリビアお姉様!!]

[なにそれ、知らん]

[二期前にやってた深夜アニメ。アルファベットを割り振られた魔法使いがバトルやつ]

[オリビアさんは、Oが付く単語を使う人。大概、命令(Order)で物を自在に操る]

 コメントに解説が挟まる間も、キャロの飛ばす岩石が雨霰と鯉に降り注ぎ。

 鯉は身の周りに結界を張ってそれを完璧に防いでいた。

 ユウが《異端魔箒》を構えて姿勢も低く走る。あの結界は魔力で出来た物だ。

 懐に飛び込んで、結界を掃き祓おうと目論んだユウだったが、鯉に辿り着く直前で足を地面に這った蔓に絡め取られて転んだ。

 唯生えるのではなく、うぞうぞと蠢く茨の蔦がユウの足首に食い込み、その鋭い痛みにユウは泣きそうに顔を歪めた。

 突如として、鯉の体から爆音が放たれた。蝉の鳴き声を何十倍にもそれは、キャロの降らせる岩を砕き、其処にいる者の鼓膜と脳を破らんと攻め立てる。

 ユウは痛む足の対処も後回しにして、懸命に耳を塞いで、その音をやり過ごす。

[攻撃手段豊富すぎだろ、このコイ]

[攻略の糸口も見付からないな]

 それでも、絡繰はある。一番の解決策は、あの鯉が『何』のアーキタイプなのかを探り当てる事だ。

 ユウもそれが分かっていて、音の余韻で朦朧とする頭を酷使して、鯉の挙動を見逃すまいと目を見張る。

 そして、ユウは慌てて〈アンチテンプ〉を噛み砕いて飲み込んだ。

 ユウの足を掴んだ茨の蔓が、其処彼処に鮮やかなピンクの薔薇を香らせていた。

 人の意識を【朦朧】とさせ、死へ繋がる【睡眠】へ誘う魔薔薇だ。

 その香りに充てられたのか、キャロの体が揺らいでいるのが見えた。

「てったいー! てっ、たいー!!」

 ユウは必死に叫んだ。

 セムが即座にそれに反応し、キャロの手を引き、悠に押し付ける。

 ユウは魔力を掌にコーティングさせて、足に巻き付く茨を無理矢理引き千切った。

 そして、〈魔女の手〉を使ってその蔓を魔力で侵していく。此れが鯉の口から体内へ繋がっているは確認済みだ。

 その染み渡らせた魔力を引火させる。炎が走り、鯉の口へと潜り込み、体内で業火と弾けた。

 鯉の体が一瞬、膨らんだように跳ねて、炎が口から零れ巻き上がる。

「つむむ! 早く来い!」

 セムの呼び声に声もなく頷き、ユウは魔女の箒に跨がった。

 体内から魔力に炙られた鯉は、沼に逃げ込み、その顔をユウ向けている。

 セムの光るトラップスフィアが、鯉を取り囲み、炸裂する。沼が凍り、衝撃が鯉の頭を空へ向けさせた。

 その拍子に、鉄砲魚が水を射つように、沼の塊がライフル弾の速さで空へ打ち上げられた。

 あれがユウの体に命中していたらと思うと、ぞっとする。恐らくは全身の骨が砕かれ、絶命は必至だった。

 命からがら、ユウはセムの胸に飛び込む。

 ユウを引き摺ってその場を後にするセムは、油断なくありったけのトラップを置き土産にして、鯉の追撃を潰したのだった。

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