風虫

 現実の午後十時とは、『コミュト』の此の地方では午前十時となる。

 太陽は当たり前のように頭上で輝き、一つの色も大気で損なわず、白い光で世界を満たしている。

 約束の時刻より三十分程度早めに、ユウはログインしていた。東北で幼少期を暮らしていた田舎者だから、誰もいる筈ない時間から待ち合わせ場所に着いてしまう性分なのだ。

 朝日に呼び起こされて、遠くでわんわんと鳴き喚く蝉の声に、ユウは辟易としていた。

「セミ、うっさいな……」

[ひぃぃぃっ!? 店主様、機嫌を治してくださいぃ]

[遥ちゃんは、神様か]

[規格外ではあるよねー]

 配信も始まって、今日もコメント欄は賑やかだ。

 とは言え、残暑にしがみついた蝉の憐れさに対して、ユウが本気で気分を害している訳では……脳波は、かなり高いレベルで苛つきを示しているな。

 騒音と熱気は、ユウが頗る嫌う環境だ。

「引きこもろうかな」

 くるりと出てきたばかりの扉を振り返り、ユウがそんな台詞をぼやく。

[セミにひるむなw]

[ここでセミを乱獲しないあたり、セムよりまともだな]

[まだ目の前にしてないから、わからんぞ]

「いやいや、ねーやんみたいな乱獲しませんから。自然はだいじ」

 セムの所業は、それはもう酷いものだと言うのに論を待たない。通った道でウサギ型フルールの撃破割合が百パーセントだったからな、実は。

 次第に光を強める太陽から目を守る為に、ユウは手で庇を作る。

「でも、この暑さの中でじっと待つのはやだなぁ」

 暑さに負けて、ユウは〈森想森理のローブ〉を【ストレージ】に仕舞う。

 ローブに守られていた上半身の服は兎も角、スカートの方は幾つかの穴が空いていた。当然、その隙間からは生肌が覗いている。

「ユウ、はしたないからどうにかしなさい」

「うん?」

 私が尾で太股を覆う布地を指すと、ユウはやっとそれに気付いて目をぱちくりと瞬かせた。

 一瞬、唇に丸めた指を当てて考えると、【ストレージ】から〈森海のローブ〉を出す。

 その袖を腰に回して、スカートの上に巻く。二段重ねの格好になったそれらを、〈飾り紐〉で落ちないように結んだ。

「どう?」

 体を捻ってスカートの後ろも確認しているユウが、出来映えを聞いてきた。

 ローブのフードが、ぼてりとした尻尾にも見える。足首すれすれまで覆う黒のローブはゴシックドレス若しくは騎士の装備を何処と無く思わせる。

[奇抜]

[その発想はなかった]

[遥ちゃん、いい加減、街に行って新しい装備買ったら?]

「みんなが冷たい」

 辛辣なコメントが並ぶのを見て、ユウが手の甲を目に当てて泣き真似をする。

 確かにそろそろ現地の人間とも交流しろと言いたくはある。

 そこに、光が三人分集まってきた。一般的なログインの前兆だ。

「おはー」

「お疲れさまです」

「すみません、お待たせしました」

 セム、キャロ、悠と、それぞれの性格や日頃が分かる挨拶が、ログインと共に交わされる。

「んっ」

 それに対して、ユウは相変わらず言葉にもならない音を喉で鳴らして、手を振った。その態度は、そっぽを向いて尾を振る猫を思わせる。

「いやー、移動が楽でいいわー」

 セムが沁々と呟く。その言葉にユウは嬉しそうに頬に笑窪を拵えている。

「ねーやん、腰痛持ちだもんね」

「おう。ずっとねーやんのために空を飛んでくれていいぞ」

「うんっ!」

 ユウよ、そこは力一杯頷くところではない。

[腰痛つーか、単に歩きたくないだけだろ]

[めんどいの一言でバベル200階突破拒否りやがったからな、セムは]

[二百階を走らせるクセに十階毎にボス置いてくれちゃった運営陣は死んでいいよ]

 ひょんな台詞から、ベータテスター達の怨みがコメントを支配する。その物々しさに、無関係の視聴者が怯えて息を潜めていた。

「この会話、不穏な気配しかしないので、早く森に行きませんか?」

「ですね」

 逸早く話題転換に乗り出した悠に、キャロも同意する。

 初対面ながらも、なかなかに輪を結んでいるようだ。

 森の中は、静かだった。風が揺らす木の葉の音以外は、四人の足が土を踏み締め、草を潰す音しかしない。

 ユウは、時折、瞼を閉じて森と風の音に耳を澄ませる。夏の盛りを過ぎて乾燥が始まった木の葉は、さらさらと良い音がする。

風虫かざむしが鳴いてる」

 暫くして、ユウが飴を舌で転がすように囁いた。

 少し後ろを歩いていた悠が、それを聞き逃したのを惜しみ、ユウに視線を送る。

「紡岐さん、なにか仰いました?」

 何故かユウの方が不思議がって、瞬きをした。

 それで足が止まり、直ぐにセムとキャロも気付いて足を止めた。

「どーしたー?」

「ん、いや、風虫が鳴いてるなぁって思ったの」

「風虫? それも未言か?」

 セムはユウから書いた小説を送り付けられたり同人誌を押し売りされたりしているから、未言にも少し慣れている。セム自身、読むのが好きでユウの作品を催促しているから、持ちつ持たれつ、かつ、気兼ねなくと言った関係なのだろう。

「そうですか。これが、風虫の声なんですね」

 悠が感じ入ったように、視線を揺れる梢に向けた。

 ユウがこっそりと〈魔女の瞳〉を氷銀に塗り替えている。木の葉に漏れる光に、黒髪をストレートに降ろした未言未子が影を挿している。

[風虫たんっ!?]

[風虫さんです、風虫さんですよ!]

[がたっ!?]

[うぉい、どうした、未言勢]

 視聴者に紛れたユウの関係者の反応から、『風虫』の人気が窺い知れる。

 風に揺られた木の葉の音を、虫の音に例えた未言。目に見えないのに、何処にでもいるその未言は、親近感と神秘性の両方を以て、人々に愛されて待ち望まれている。

 ユウが、軽く丸めた人差し指を唇に当てた。微かに唇が動き、その指を僅かに湿らせる。

《風虫によばれてみるも

 よびみれど

 さよさらなきて

 まみえられずに》

〔《ブレス:風虫》を取得しました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:未言〉が20レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:短歌〉が18レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:詩〉が8レベルになりました〕

 ユウが木の葉を揺らす微風を真似て詠う。

 風虫は人を呼んでその注意を奪うのに。

 その人がどんなに呼び返しても、姿も見せず、返事も気紛れに止めて、消え去ってしまう。

 なんて自由で、なんて意地悪。

 がさり、と風虫が鳴いた。ユウ以外の三人は、思わずその音に意識を引かれて振り返る。

 当然ながら、風を本体とする風虫は見えない。

 かさっ、と今度は頭上で風虫が鳴いた。

 真っ先に反応した悠に釣られて、キャロが林冠を見上げる。風が止んで、梢はぴたりと止まった。

 ひゅるり、と悠の足下の草で風虫が鳴いた。

 勢い良く悠が首を動かしてそれを見下ろすと、イネ科の何かが揺られたままにいた。

 さら、とユウがスカートに重ねて羽織るローブとスカートの隙間で風虫が鳴いた。

 三人がそこに視線を向けると、高校の優等生と言った雰囲気の『風虫』の未言巫女が、ユウの後ろからその細い腰に腕を回して、体を引っ付けていた。

 《風虫》は、その鳴き声で人の注意を奪う《ブレス》なのだった。

「まぁた、《ブレス》生やしたんか、おまえは」

「相変わらず、未言即詠早すぎませんか、紡岐さん」

「紡岐さん、自重してください」

 三者三様に、呆れの余り、ユウを白い目で見る。

「えっ、ここ褒められるところじゃないの!?」

 ユウが心外だと叫ぶと、三人して白けて溜め息を吐いた。

 初対面から間もないが、心が一つになるまでに打ち解けられたらしい。

[息するように《ブレス》を生むな]

[運営、このチートどうにかしろ]

[キャロのMINで二回も隙作らされるとか、どんだけ凶悪なんだよ]

[しかも、おそらくMP無消費だぜ、この感じ]

[バケモノカ]

「ええっ!? ここ、褒められるところじゃないの!!??」

 視聴者にも遂に見捨てられたか。憐れな。

 いや、自業自得だな。

[て、店主様の未言愛は素晴らしいと思いますよっ]

[風虫たん、かわいい。録画しよ]

[ねこさん、ねこさん、風虫さんのスクショ撮っていい?]

「画像を拡散する時は、動画のリンクを貼ってもらえれば問題ない」

[わーい]

「ちょっと待って、わたしへの慰めが一コメントで流れてましてよ!?」

「一人いたんだから満足しろよ」

 セムはユウに対して辛辣だ。私も全く以て同意見だが。

 親がからかわれているのを、『風虫』はお行儀良く、くすくすと微笑んで見ていた。

母様かあさまは、愛されてるのね」

 風虫は、ほんのりと大人びた口振りだった。

 悠が興味深く、風虫を観察している。ユウとは短歌を通じて知り合っていた彼女は、未言を詠み込むのも好んでいるから、琴線に触れているのだろう。

 風虫は、まじまじと自分を見詰める悠に対して、小さく手を振った。

「私も未言で短歌を詠みましたが、《ブレス》は未言ではありませんでした。なにが違うのでしょうね?」

「ふみ? 悠さんも未言歌でスタートしたのです?」

 ユウと悠が、揃って頭を悩ませる。

 未言屋と称して活動する者にとって、未言がどう認識されるかを突き詰めようとするのはさがなのだろう。

「私は、《梔子が彩めく夕に香るのに秘音言をまだ離せない声》と……おや?」

 悠が《ブレス》の基になった短歌を詠むと、彼女の体が輝き出した。

 何故そうなったのか分からず、悠は困惑しながら自分の体を見下ろしている。

「あ、《ブレス》が発動しました?」

「いえ……私の《ブレス》、《梔子の心》は常時発動のはずなんです」

 常時型の《ブレス》と聞いて、ユウもまた首を傾げた。常に効果を発揮している《ブレス》が何故急に反応したのか、此の二人には見当が付かない。

 だから、その疑問を氷解させるのは、ベータテスターに選ばれたゲーマーだ。

「《ブレス》活性化させて、どしたー?」

「活性化?」

 セムのもたらした単語をユウが鸚鵡返しする。

「おう。ファンファンは『励起』って呼んでたけどな。常時発動タイプとか装備タイプの《ブレス》は、創作の力で活性化して効果が上がるんだよ」

 これも、突き詰めれば《ブレス》発動のリソースに創作の価値を注ぎ込んだ結果の一つと言える。常時型や装備型の《ブレス》は、最初の創作時点で、そのリソースを全て賄われている。だから、後から加えられたリソースは、効果の一時的な上昇という形で消費されるのだ。

「ちなみに、同じ作品で励起を繰り返すと、段々と励起しにくくなるから注意する事だ」

「んん? どして?」

 私が追加した説明に、ユウは疑問を挟み込んだ。

 それに対して、私は一つの例えを引き出した。

「オリジナルとコピーなら、どちらが価値が高い?」

「それはオリジナルですよね」

 悠が神妙な顔で答える。

 誰でも分かる質問に、頓知が隠れてないかと考えているようだ。

「つまり、そういう事だ」

 しかし、それこそが導かれる結論だ。

 オリジナルはコピーよりも、価値が高い。それは本人の物でもだ。

 書籍は初版、版画はナンバリングの小さいものが高額となり、先行販売に買い手が殺到する。

 最初の一歩は、後に続く大勢のもたらす価値の切っ掛けなのだから、それも価値に上乗せされる。

「なるほど」

 得心がいったとばかりに、悠は頷いた。

「悠さんの《ブレス》、未言が二つ入ってるのですね」

 ユウはユウで、元々の話題について考えていたようだ。

「彩めく、と、秘音言、の二つがあるから、どちらを選ぶか決められなかったのでしょうか?」

「それよりも、主題がそのどちらでもないからでは?」

「……ああ、なるほど」

 悠は、ユウに言われて始めて気付いたと声を漏らした。

 ユウは、未言を表現するために歌を詠む。

 悠は、未言で表現して歌を詠む。

 それは根本的な違いとして《ブレス》の採用者に受け止められた。

「確かに、紡岐さんの短歌を読むと、未言のことがよく分かります」

 悠は、羨ましそうに、キャロと話していた風虫を見る。

 視線を向けられているのに気付いて、風虫がひらひらと手を振ってきた。

 それにときめいたユウが、にへらと、だらしなく顔を緩ませる。

「紡岐さんって、相変わらず未言が好きですよね」

「愛しの我が子ですから」

 ユウは誇らしげに胸を張るが、こやつは親バカという言葉を知らないのだろうか。

 悠も、それを見てくすりと笑った。

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