廃屋の幽霊

 廃屋の中は、静かだった。人が此処に住まなくなってから、少しずつその気配を拡散してしまい、遂にはこのように無音という表現が似合う様になったのだろう。

 或いは、《異端魔箒》が長年で積もった埃を全て取り除いて、清浄になった空気が尚更静寂を吸い込み易くなったのか。

 人の気配の代わりに、体を持たない存在の気配が濃い。

 ユウが〈魔女の瞳〉を開く。黄金の妖精視だ。

 じめりとした雰囲気と薄汚れたシーツを被った小さな者が、隅や角に見える。

[なにあれ、幽霊?]

「んー、バンシーとかだと思いますけど、ざっくり言うと幽霊ですね」

[まじかー]

 心霊が苦手な視聴者が一端動画を離れて行くのを余所に、ユウは平然と廃屋を進む。

 小さな一階建てなので、三人で見回せば間取りも直ぐに把握出来た。

 セーブ機能を持った寝室に、三人は入る。

「画材?」

 ユウが見付けたのは、部屋の壁に寄せられるようにして襤褸布で隠されたキャンパスやイーゼル、何種類もの筆と絵の具、絵具が染み付いて複雑さを見せる積み色をこびり付かせたパレット等だ。

「んー?」

 ユウは襤褸布を捲って、思った以上に数のあったそれらを見て、唸りながら首を傾げた。

「どした?」

「いや、この世界、創作できる人いないんじゃなかったっけ?」

 チュートリアルで私が教えた事と、使い古された画材がある事実との食い違いが、ユウを混乱させているらしい。

「いんや、かなり少ないけどいるらしいぞ? 掲示板に情報上がってる」

「え、そうなの?」

「ああ。『コナハト』って国ではむしろ推奨されてるってよ。『コナハト』がスタート地点になったプレイヤーはちやほやされてるらしいよ」

「えー、ずるーい」

「けれど、創作なんてしようもんなら、大抵一年足らずでフルールに襲われて死ぬけどね」

「それはたいへんだにゃー」

「ちやほやされんのが?」

「……ん?」

 セムと会話していたつもりのユウが、後ろを振り返った。視界に入ってきたのは、きょとんとしたキャロだけだ。

「今、キャロさんの声?」

「え? 私、なにも話してませんよ?」

 ユウの問い掛けに、キャロがにこやかに否定で返した。

 ユウが数秒の間、思考を凍り付かせて停止する。

「どした、つむむ? なんか変だぞ、おまい」

「あー、うん。うーん」

 ユウは右手を髪の下に潜り込ませて頭皮を揉んだ。

「ええと……〈ガンド〉って確か、精霊交信の北欧魔術だよな……」

 ユウは気絶する前に取得した〈スキル〉について呟き、何か考えるように瞼を閉じた。

 それから、意を決して眼を開き、今度は勢いよく後ろに振り返った。

 〈スキル〉によって魔力が励起したユウの両目が、月のように黄金の光を滲ませて猫を思わせる。

 そしてユウはその視界に、にへらと笑ってひらひらと手を振る、壁が透けて見える男性を納めた。

 ユウはその男性から目を一度反らし、眉の視神経を揉み解して、また視線を向けた。

「やぁ。もしかして、ボクのこと見えてる?」

「まじかー」

 望みを絶たれたユウが天井を仰いだ。

「さっきから奇妙な動きしてどうした」

「ねーやん、そこに幽霊がいるんだ」

 セムに怪訝な顔をされたユウは、素直に見た者を指差した。

「はぁ!?」

「ひっ!?」

 セムが焦ったように叫び、キャロが息を飲んだ。どうかしたのだろうか。

[【ホラーゲームモード突入】脈絡なくホラー要素来ても、大して怖くないな【日をまたいで変わるゲームジャンル】]

[あまりにしれっとしてるから、怖さのかけらもないなw]

「うん、まぁ、怖かないんだけどさ。そーじゃないよねー」

 ユウは、がりがりと頭を掻いた。

 その様子を、全くらしくない男性幽霊が、変わらずににこにことした表情で眺めている。

「おれ、ログアウトする」

「え?」

 唐突にセムが退場を宣言した。

「え、なに、どうしたの、ねーやん?」

「うるせー! 幽霊がいる部屋にいてたまるか!」

「ええっ?」

 セムが珍しく落ち着きをなくしている。よく見ると、虎と呼んだら虎に失礼な毛皮から伸びた尻尾が、くるりと丸まっていた。

「え、なに、こわいの?」

「怖ぇよ! ログアウトして飯食ってくるから、その間にここから移動よろしくな!」

 一方的に告げて、セムは本当にログアウトしてしまった。

 呆然と光の膜に包まれて消えたセムを見ていたユウは、私に首を向けて見下ろしてくる。

「ここから移動するのはいいんだけど、わたしたちだけ移動してもセムさんここにログインすることになるんじゃないの?」

 既に三人ともこの廃屋にセーブを終えている。ログイン地点はセーブした場所の中から選択出来るが、此処でセーブしたセムだけが残されて、他のメンバーと離れた場所にログインしてしまうのではないかとの懸念だ。もっとも、それは杞憂でしかないが。

「パーティ組んでいると、パーティリーダーの居場所をログイン地点に選択出来るんだ」

 他に誰もいないので、協力プレイをしているプレイヤー同士が、所用等で退席した時にはぐれないようにしている仕様を説明した。

 ベータテスト時代にはこの仕様を使って、長距離移動をSPEが高く時間に余裕があるメンバーが行い、目的地でプレイヤーを大量投入して、物量でクエストをクリアしたという事もあったらしい。

「パーティリーダーとか決めてたっけ?」

「ユウになっているぞ」

「え? いつの間に?」

「さっき二人ともユウをリーダーに指定してログアウトしたからな」

 ユウは愕然とした。

「聞いてねぇよ、ねーやん! あ、あいつログアウトしやがった!? え、キャロさんは!?」

「キャロも〈キャスト〉の取得とセーブを済ませてログアウトしている」

「うそ! そうだ、キャロさんも幽霊だめなんだった!」

 勝手に決められていた文句を言おうにも、相手はもう現実に戻っていた。あの様子では、配信も見てないだろう。

「あー。なんか、ごめん?」

「いや、あなたに謝られても……」

[遥ちゃん、遥ちゃん、ナチュラルに幽霊さんと話してるけど、傍目に見てて怖いし怪しいよ」

「はっ!?」

 怖いとコメントされて、ユウはダメージを受けた心を庇うように胸を手で押さえる。

「くうぅ……わたしもお腹空いたし、ログアウトしようかなぁ」

[ここから移動しない限り二人とも戻って来なさそうだけどな]

[てか、もう昼時か。そりゃ腹も空くわな]

[ログインから3時間経つからねー。公式の推奨連続プレイ時間に迫りつつあるね]

 現実逃避しても状況は変わらないとコメントに指摘されて、ユウはがっくりとしていた。

 ちなみに、『クリエイティブ・プレイ・オンライン』では、VRによる身体的影響を鑑みて、連続プレイ時間は三時間以下を推奨しており、五時間を越えると警告メッセージを送り、六時間で強制ログアウトになる。三時間以上の連続プレイをした場合は1時間のログイン制限が、六時間プレイで強制ログアウトになると八時間のログイン制限がプレイヤーに掛けられる。

 プレイヤーの健康には十分に留意している運営方針なのだ。

「ねぇ、キミはボクが怖くないの?」

 体が透けた男性は、ユウのことを不思議そうに見て問い掛けた。

 それに、ユウは無言で首をこてんと傾げて返す。

 だから、喋れといつも言っているだろうに。

「ボクは死人の魂だよ?」

「はぁ? 生きてりゃ死ぬじゃないですか」

 おざなりに返事をするユウは、だからなに、と言いたげな態度だ。

 誰しも死ぬのはその通りだが、それを当たり前と思っている人間はかなり少ないという発想を持ってないのだ、こやつは。

「いや、呪われたりとか不安じゃないの?」

「わたしを呪えるつもりなのですか? 弾きますけど?」

 自信たっぷりにユウが言うものだから、幽霊の方が声を失って呆けてしまい、そして一拍置いて大笑いする。

「あははは! いや、感服した。大物だなキミは。そんな懐の広いキミを見込んで、頼み事をしたいんだけど、受けてくれないだろうか!」

 死んでからこんなに笑ったのは初めてだと、ぼやけた存在の男性は漏らして、堂の入ったお辞儀をして頼み込んで来る。

「死ねとか言ったら消滅させますよ?」

 肩を竦めるユウは、それが冗談のつもりなのか。

[幽霊よりこの魔女の方が怖いぞ]

[箒に泣かされる魔女のくせにな]

[ローブに穴空いてるしな]

 コメント欄に盛大にツッコミが入るが、そんなもの見えていない幽霊は可笑しそうに肩を揺らす。

「それは怖いな! 怖がられるのではなくて、怖がらされるのも死んでから初めてだ! 頼みというのはね、届け物なんだよ」

 幽霊は、壁を隠したボロボロのカーテンを指差して、それを開けるようにユウに頼んで来た。実体があれば自分で開けるのだろうが、今の彼は物に触れられない身なのだ。

 ユウは、間取りから見て、窓ではなく隣り合った部屋に面した壁に掛かるカーテンの存在を訝しみながら、その布に手を掛ける。

 カーテンの裏には、一枚の絵画があった。

 木漏れ日の射す森の泉に、肌の透ける薄黄色の衣を肌掛けた女性と、その女性に語り掛ける美顔の青年が描かれている。

 描かれた花の一つ一つが香るようであり、木漏れ日が目に映え、何より幸せを身体中から放つ二人の存在感が、今にも飛び出して来そうだ。

「これはあなたが描いたのです?」

「そうだよ」

「……創作できる人、いるじゃないの」

「いやぁ、キミ達ウェールズの世界がどうかは知らないが、この世界では創作なんかしたら五年と経たない内にフルールに襲われて死ぬよ」

 ユウの呟きを耳聡く拾った幽霊は、大仰に諸手を上げて降参のポーズをする。

「フルールに襲われて?」

「そうさ。あのどこからともなく現れる化け物は、創作する者を嗅ぎ取ると、襲って来る。ボク達みたいな貧弱な夢想家は、一溜まりもないさ」

 ユウは左手を柔く拳にして、口許に当てて考える仕草をする。

「フルールは、自分達の脅威になる前に潰しにかかってる? いや、まだ分からないか」

 今度の呟きは、話に関わるものでないからか、幽霊はさらりと聞き流して用件を続けた。

「ま、ボクも死んでしまったようだ。この家が残ってるから、出掛けてる時にやられたんだろう」

「なに、死んだ時のこと、覚えてないの?」

「ああ。このボクは家にこびりついたパレットの絵の具みたいなもんなんだろう。使いすぎて、色が落ちなくなったらしい」

 この幽霊も独特な例えをする。この世界の創作者は、彼が夢想家と呼ぶ通り、風変わりなのだろう。何せ、フルールに必ず殺されると分かりきっていても、その情熱を抑えられないのだから。

「でだ。この絵の男とボクは同郷でね。流石に二人も同じところにいたら、ボク達どころか村ごとフルールに襲われるかもしれないと思って、ボクはこの地に移ったんだ」

「そう」

 ユウは一音の相槌しか打てなかった。

 幽霊はそれに気分を害する事なく、気前よく話を進める。

「彼もボクとそう変わらない時期に殺されただろう。しかし、ボクは独り身だったけど、見て分かる通り、彼は恋人がいた。それも花の女神様だ」

 それは大層なお相手だ。人であれば恥じらうような服装も、そのような存在なら納得もいく。

「だからね、彼女は彼を亡くして寂しがっていると、ボクは死んで中身の失った頭で考えているんだよ。それから、この絵で彼を懐かしみ、少しでも幸せな気持ちを思い出してくれたら、それはとても嬉しいと思うんだ」

「つまり、わたしにその絵を、その女神さんに届けてほしいってわけね?」

「その通りだよ!」

 彼は我が意を得たりと、強く拳を握った。

「彼女はここから三日ばかり北東に歩いた先にある森を棲処にしている。なに、森に溢れた妖精に訊ねれば、すぐに居場所はわかるはずさ」

 ユウは幼児がむずがるような顔で押し黙った。

 行き先は、大きく外れていない。むしろ、とある用事については、そちらの方角を目指さなくてはならなかった。

「嫌かい?」

「わたしはそういうの、大切にしようって決めています。ただ、厄介だなとは思いますけど」

 ユウは心情を包み隠さず相手に伝えた。

 彼は顔に透けた裏の壁が気にならなくなるくらいに、にこやかに嬉しそうに笑っている。

 それを不満に思ってか、ユウが釘を刺した。

「物のついでですよ。渡せなくても文句は聞きませんからね」

「いいとも。どうせ、ボクなんかいつ消えるとも知れないんだ、そこまで義理立てせる筋合いもないだろう」

 彼が余りにも快く受け入れるものだから、ユウは尚更不機嫌を顕にして、落ち着きなく踵で床を鳴らす。

「そんなに人を信用するとバカを見ますよ」

「死んでいるから、騙されてもどうってことはないよ。損する前に消えるだろうだからね」

「うー」

 ユウが頬に赤味を挿して唸り始めた。本当に裏のない善意に弱い。

「もういいです! やりますったら!」

「うん、お願いします」

 ユウの粗暴な了承にも、彼は恭しく礼を返した。

 それで、ユウの恥ずかしさの沸点が振り切れてしまった。

「うにゃー! お腹空いたから、わたしは一度向こうに帰らせていただきます!」

 ユウは形振り構わずセーブを済まし、最後までにこにこと笑みを浮かべる幽霊に見送られてログアウトした。

 中身を失った小柄なアヴァターが、ずるりと床に崩れ落ちる前に、私は配信を終了させる。

「おや?」

 それを見て初めて、幽霊は疑問を口に溢した。

 私は、もうユウの〈魔女の瞳〉に同期してないので、それを見る事が出来なかったとした。

 ユウの連続プレイ時間は三時間を越えている。

 襤褸布の一枚を毛布代わりにユウに掛けてから、私は彼女が此方にやって来るまでの一時間を待つ事にした。

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