夢海の彼に誘われて
この《ブレス》はベータテストで収集された情報群で確認している。
《胡蝶恋花》、それは歌声を聴いた相手全てに複数の【状態異常】を与える。現在は【魅了】【酩酊】【朦朧】を与え、申し訳程度に効果範囲が五百メートル以内まで狭める事が出来た筈だ。
効果範囲が狭まってこの惨状なのだから、聴く者全てに効果を与えていた初期の頃はそれはもう阿鼻叫喚だっただろう。
[ぎゃあああっ!?]
[ログイン……ログインしてあそこに行かないと……]
[クイーンが呼んでる……我等がクイーンが……]
[画面越しに【魅了】されてるんじゃありません。相変わらずバカですか、あなたたちは]
[犠牲者の皆さんが発狂しておられる]
[まさか、SAN値チェックが必要なゲームだったとは]
目の前の惨劇とコメント欄の恐怖とを両方眺めていたユウを、口元を引き吊らせている。
「わーい、だーいさんじー」
気を保つ為とは言え、そんな殊更明るい称賛を贈るな、全く。
「なんか、効き悪くね?」
そして、セムが《胡蝶恋花》の効果が鈍い事を指摘し、キャロもその《ブレス》の発動を中断した。
「そうですね。プレイヤーの皆さんは町の外に向かってるのに、あのフルールは動きませんね」
キャロは頭に人差し指を当てて思案する。
「もしかして、もう心に決めた相手がいるんでしょうか?」
そんな天然な発言を大真面目にしてくれた。
誰もが呆れ返る中、しかしながら、ユウだけがその指摘に思考を重ねる。
「キャロさんの【魅了】が効きづらい……心に決めた相手……そもそもメスなんじゃ……攻撃が効かないけど、《ブレス》は効く……《Bless》? そうか、《ブレス》は《祝福》か!?」
ユウが何かに気付き、目に光を点す。
[ん? 息じゃなくて?]
[息は『Breath』な。『Bless』が祝福。そういや、祝福ってチュートリアルで言ってたか]
[それがなんか関係あるんか?]
「あるよ、あるんだよ。息と祝福じゃ大違いだよ!」
ユウは流れていくコメント欄を、期待を込めて見詰める。
それを皇龍は慈悲深い眼差しで見守る。
「お、紡岐さんが本気になった」
セムは至って呑気に傍観を気取り、キャロはいまいち理解が進んでないのを顔に出していた。
「みんな! かしこのオーディエンスをお願い!」
[ん、おれら?]
[出番だ、出番だ、がんばれ考察班]
[お前もだよ(笑)]
ユウの呼び掛けに対して、視聴者は中々に乗り気だ。
「大蛇、もしくはドラゴン! 攻撃の効かない鱗! 海の化け物! 巨体!」
検察エンジンにワードを打ち込むように、ユウは頭の中の答えの断片を読み上げていく。
「
〔〈アート・プレイ・タイプ:推理〉を2レベルで取得しました〕
ユウが的確にその答えへ至る言葉を放った時。
[レヴィアタンか!?]
[レヴィアたん]
[リヴァイアサン!]
[レビアタン!]
[リバイアサン!]
[ティアマトー?]
[レヴィアタンだろ!]
[リヴァイアサンだな!?]
[リヴァイアサン!]
[鱗持つ者の王リヴァイアサン]
一斉にコメントが弾幕を張った。
その中の『リヴァイアサン』という文字が、私の《Collective Intelligence:Audience》でピックアップされて紅く輝く。
そしてドラゴンから吹き出しが現れ、そこにステータスが開示された。
〔〈デミ・リヴァイアサン〉 Lv.87〕
それは、海の化け物にして、神に創造された最強の生物、番のメスにして終末の時に神の祝福として殺され人間に与えられる食糧、その概念のコピーとして造られたボスだ。
開示されたステータスでは、【魅了】が抵抗されて【困惑】に止まっている事が記載されていた。
「なーる。そりゃダメージ入らんわけだ」
「紡岐さん、ナイスです!」
「お見事です。素晴らしい」
セムは納得し、キャロは感嘆し、皇龍が絶賛する。
「だが、問題はこれからどう対処するかだろう」
私だけが懸念を口にするが、それを聞いてもユウは確信した笑みを絶やさない。
「寝惚けたら、行けるんじゃない?」
「かしこ殿の《ブレス》であのフルールの耐性も若干低下しています。さらに《ブレス》を重ねればキャロ殿の《胡蝶恋花》も効果を発揮する事でしょう」
ユウの提案に皇龍からお墨付きが下される。
「おっし、誘導はつむむとキャロラインに任せた。オレはメノ拾って先回りしておく」
俄然やる気を出してセムが役割を分担した。
「我は、万一にも被害が出ないように、町に結界を張ります。あれを外に出す迄は、紡岐殿とキャロ殿を援護致しましょう」
「お願いします」
ユウは皇龍に守りを託した。
《異端魔箒》を取り出し、跨がる。
「キャロさん、かしこ、乗って。耳元で聴かせた方が効果あるでしょ」
「はい」
自転車の二人乗りよろしく、キャロはユウの後ろで横座りに箒に腰掛けた。魔女の箒は今度ばかりは行儀良く徐々に上昇していく。
その横を、極自然に自力で浮遊する皇龍が並走した。
「こらー! キャロー! やるなら一声かけなさーい! 私は先にセムと行ってるからねー!」
「はーい!」
メノが文句と打ち合わせとを、一緒くたに言って去っていく。
キャロも何も気にせずに応対するのだから、ユウは密かに笑っている。
そんな所を光で包まれて、ユウは笑っているのを見咎められたのかと、体を強張らせた。
「【状態異常】の抵抗を上げる術です。紡岐殿のMINと合わせれば、キャロ殿の【魅了】も抵抗出来るでしょう」
「あ、はい……ありがとうございます」
皇龍がにこやかに笑みを向けて来るから、ユウは酷く恐縮してしまっている。
だが、デミ・リヴァイアサンがもう寸前にいる。すぐに気持ちを立て直して、ユウは敵を見た。
「近くで見ると、笑いたくなるくらいに大きいね」
ユウの声に怯えが混じっているのを指摘するのは不粋だろう。
それでも立ち向かうと決めたのだから、私は一番側で見続けるだけだ。
「行くよ、《夢波》、《夢海》」
「おかー、さ……よん、だぁ?」
「おか……むにゅ」
眠たげに目を擦るのと、完全に瞼が落ちているのと、人魚の双子が夢の泡みたいに浮かび上がる。
その声だけで眠気が誘われて、やっと出てきた緊迫感も蕩けてしまいそうだ。
「ん。あのドラゴンに恋人の夢を見させるよ」
「んっ、それ、はー…すてき、にゃゆ、ねー」
「わたひ、おかさ、しゅきぃ」
会話が成り立っているようで全く成り立っていない。この上なく不安に駆られるが、その裏腹に至極安心する。
何故なら、成り立ての魔女の非常識さはこの数時間で存分に目の当たりにしたからだ。
《夢波にさそはれおつる夢海をばわたりてあはむ かれしひとにも》
〔〈アート・プレイ・タイプ:未言〉が16レベルになりました〕
〔〈アート・プレイ・タイプ:短歌〉が13レベルになりました〕
〔〈アート・プレイ・タイプ:詩語〉が5レベルになりました〕
夢波が先ずはデミ・リヴァイアサンの方へと揺蕩って行き、水遊びするようにデミ・リヴァイアサンへ月虹に似た波の揺らぎを浴びせる。
夢波はそのまま、デミ・リヴァイアサンの周囲を廻り、何度も夢の揺らぎを寄せる。
「効いた!」
然程時間を掛けずに、デミ・リヴァイアサンのステータスに【眠気】が表示された。
ユウは《異端魔箒》を巧みに操り、デミ・リヴァイアサンの顔へ近付いて、手を握って連れてきた夢海をその瞳に映す。
ちろり、と瞼を少しだけ開けて、夢海は深い夜の海の瑠璃色に静んだ瞳を見せた。
デミ・リヴァイアサンの瞳の中にいた夢海が、ゆらりと姿を代える。
それは河馬と象を掛け合わせて間を取ったような生き物だった。
デミ・リヴァイアサンは、ユウの短歌の通り、夢波に誘われて沈んだ夢海の底で、離れた恋人を見てしまったのだ。
[【恋慕】の状態異常入った!]
[よし、いけいけ!]
「キャロさん、お願い!」
ユウの声に応じて、キャロは言葉こそ発しないが、スタンドマイクを悠然と構える。
《窓辺の百合に恋す蝶 いつか散るとは知りますか》
キャロの歌声に乗って、スカートから飛び立ったオオムラサキ達が真っ直ぐにデミ・リヴァイアサンへと向かい、鱗粉を掛け始める。
デミ・リヴァイアサンは緩慢と顔をキャロへと向けて。
切なく鳴いた。
[【魅了】付与確認!]
[うまくいった!]
[遥ちゃん、この町に来る途中で通った35°21'27.441"N 58°38'15.591"Wの地点が広くて誘導先に適してると思うよ]
「ありがとう、解析さん!」
助言をくれる相手に変な渾名を付けるでない。
ユウは視聴者の一人が割り出してくれた地点をマップにマークして、魔女の箒をそちらに向けて飛ばす。
デミ・リヴァイアサンは、上手くキャロの歌声に釣られて追い掛けてくる。
「セムさん、見てるー? ここに連れていくからね」
ユウは配信動画にマップをアップにする。
[ねーやんおk]
「ねーやん、見逃すかもしんないから、もっとコメント長めにしてよー」
[めんどい]
「めんどいじゃない」
[コメント越しにコントすなw]
「おーこーらーれーたー」
そんなコントをしている間に、目的地が見えてくる。
確かに草原のど真ん中で、広々としており、町からも適度に離れている。
百メートルを越える巨体を相手取るのに適した土地柄だ。
その草原に、厳かな鈴の音が時折響く。その鈴音は空へと吸い込まれ、その空には円形の境界が異界と繋がりつつあった。その異界からは冷やされた空気が降り注いでいる。
まだ遠いので小さくしか見えないが、巫女衣装を着たメノが、持つのも重そうな程に鈴を生らした神楽鈴を手に神楽を舞っていた。彼方もこの時間を使って討伐の準備を進めていたのだ。
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