第62話 男装女子は、お父様に促される

「一度、アルフレッド坊ちゃんから離れて、真剣に結婚相手を探すのもいいのかもしれないよ」

 黙りこむ私に、お父様は静かにそう言った。


「お父様はどうして、お母様と結婚なさったの?」

 私の言葉に、お父様は目を真ん丸く見開いた。私はその顔を凝視し、少し前のめりに尋ねる。


「お母様からは、それこそ生まれたときからずーっと、お父様のどこが好きになって、どこに胸がきゅんきゅんしたのか、とか聞かされてきたけど。お父様はどうなの? ユリウス様が仲を取り持ったから、お母様と結婚したの?」


 私はそう言い、それから首を傾げる。家のことがあるから、結婚はしなくちゃいけない。だけど、私が結婚するなんて、正直実感がない。私の相手に至っては、顔すら想像できない。だとしたら。


「だとしたら、私もお父様やお母様がお決めになった相手と結婚しても、上手く行くかな。お父様やお母様みたいに仲の良い夫婦でいられるかな」

 お父様は、「ううううん」と、呻き、それからぽりぽりと額を掻いた。


「別にシャーロットと結婚したのは、殿下に言われたからじゃないよ。恋に落ちたからだ」

 照れくさそうにそう言う。


「恋をしたの? お母様に?」

 私が首を傾げると、お父様は、あはは、と笑う。


「恋は他にもたくさんしたよ。それこそ、シャーロットと結婚するまでに何人の女性に恋したろう」

 私は言葉を無くす。お父様が。あの、普段はお母様にべったりくっつかれ、「はいはい」とにこにこしているお父様が。

 お母様と結婚する前には、そんなにたくさんの女性に恋を。


「いや、ただね。恋に落ちたのはシャーロットとだけだよ。だから、結婚しようかな、って思ったんだ」

 あまりにも茫然とした顔を私はしていたのかもしれない。慌てたようにお父様は言い、なんだかよく分からない説明をする。私は眉根を寄せた。


「恋をするのと、恋に落ちるのは違うの?」

「恋はいつだって、なんにだって出来るさ」

 お父様はゆったりと笑う。


「心が動いて、『愛しいなぁ』、『可愛いなぁ』と思えば恋なんていくらでもできる。一方通行だから。自分が『恋しい』と思えばいいんだから。だけどねぇ」

 お父様は小さく肩を竦める。


「恋に落ちるのは勇気がいる。相手の気持ちを覗き込んで、そこに『落ちた』時に、相手のことがまるで自分と同じことのように思ってしまう。相手が悲しかったら自分も悲しいし、傷ついたらまるで自分まで怪我したように痛みを感じる。自分がこんなに好きなのに、この人は自分のことがそんなに好きじゃない、って気付いてしまったらしんどいし、自分はどっぷり相手の心に落ち込んでいるのに、そこに相手の気持ちがいないと知った時は、辛くて死にたくなる」

 だからねぇ、とお父様は私を見た。


「この人は、自分のことを、我が事のように思ってくれる人なのか。そして、自分もその人のことを、自分ごとのように思えるかどうか。もし、自分だけが恋に落ちても、後悔しないか、そんな気持ちを、まずは大切にしてみたらどうだろう。そんな人が自分の周囲にいるかどうか、もう一度見直して御覧。それが君の『運命の相手』だよ」

 お父様は手を伸ばし、そっと私の右手に触れる。


「家のことなんてどうだっていいさ。なるようになる。君は君の思うようにすればいい」

「でも、お父様」

 お父様の手は温かく、声は柔らかく。視線は穏やかなのに。

 なんだか私は、泣いてしまいそうだ。


「そんな人、本当にいるのかな。見直しても、誰もいなかったら? 誰にも出会わなかったら?」

 私はお父様に言う。

「わからないの。私にも、お父様やお母様みたいに、『運命の人』に出会えるのかな。ユリウス様みたいに、出会ったら『運命の人』だって、わかるかな」

「わかるさ、僕の子だもの」

 お父様はぎしり、と音を立てて寝台から立ち上がり、私に近づいて抱きしめてくれた。途端に、ぽろりと頬から涙が落ちる。


「ほんのちょっと、勇気を持てばいいだけだ。勇気を持って自分に尋ねてみるだけだよ。自分が恋に落ちているのかどうか、落ちる覚悟があるのかどうか、って」

 お父様はそう言い、優しく私の頭をなでてくれた。

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