第47話 男装女子は、抱きしめられる

 刺されて、崩れたのだ、と。

 体勢を崩したのだ、と。


 心臓が縮み上がり、背中から腰にかけての力が抜けそうになる。膝が震えて私はよろめくように一歩前に足を出す。


 だけど。

 短剣を突き出した男の足が、私の目の前で浮いた。


「……え?」

 そう呟いたのは、私だろうか。それとも男だろうか。

 私の前で、男の両足は浮き上がる。


 気付けば。

 空中を前まわりしたように男は背中から地面に仰向けに転がった。

 湿気を含んだような重い音を立て、男は背中から、どうと地面に転がる。


 投げたのだ、とようやく頭が理解した。


 お父様が言っていた。アレクシア様は不思議な武道を使うのだ、と。

 武器を使わず、自分の腕や足を使って相手の体を投げ飛ばし、かつ、関節を攻撃するのだ、と。


 アルは。

 多分、その技をアレクシア様から教わっていたのかもしれない。


 アルの体を刺そうと突き出された腕を掴み、アルは体を半回転させたのだ。背中に男を乗せ、一気に男の体を引き上げて、地面に叩きつけたようだった。


 何が起こったか分からず、茫然と男は仰向けに寝そべってアルを見上げていた。

 だが、その顔がすぐに苦悶にゆがみ、呻き始める。投げるために握った男の腕をアルが手放していないのだ。手首を両手で掴み、関節と逆にひねり上げると、男はあっさりと短剣を離し、逃れ出ようとするために、寝転んだまま上半身をよじる。その首を、アルは上から無造作に踏みつけた。


「……アル」

 私は左手に掴む剣を放り出し、近づく。さっきアルが刺されたと勘違いしたせいで、足に上手く力が入らない。左手で右肩を押さえつけ、よろよろとアルに近づく。鈍い音が響き、喉を踏みつけられている男が悲鳴を上げた。


「やめて! もういい!」

 私が怒声を上げても、アルは足をどけようとしなかった。手首を稼動域以外にひねり続けたまま、徐々に男の首を踏んだ足に力をかける。


「死んじゃう!」

 私は叫び、アルに近づこうとするのだけど、とうとう腰から広がる倦怠感に抗えず、地面に坐りこんだ。すぐ側に見えるアルが踏みつけている男は、たまらず失神したようだ。口の端から泡を吐いている。


「殿下っ!」

 突然割り込んだ低い声に、私だけではなく、アルも肩を震わせた。


「もう、その男は動かないでしょう。それより、その従者の方を」

 アルの真後ろに立っているのは、二〇代の男だった。赤い髪と、張った顎に見覚えがある。


 あの。

 七日前に往来でぶつかった男だ。


「殿下」

 再度赤髪の男はアルに呼びかけ、そっと肩に触れた。

 アルは夢から醒めたように目を瞬かせ、それから無造作に掴んでいた男の手を離す。重い音を立てて男の手は地面に落ちたが、男は起きる素振りもない。アルがその男の首から足を離すと、大きく一度息を吸い込む音がし、むせ返るように咳き込んだ後、再び失神したようだ。定期的に胸が膨らむのを見て、私は心から安堵する。


「アル。大丈夫?」

 顔を前に向け、見上げる。アルの無事を確認しようとそう声をかけた途端、視界が真っ暗になる。慌てて首を振ろうとしたら、体が動かない。


 何が起こったのか。

 小恐慌状態に陥る瞬間。

 耳元で、押し殺したような呼気と、泣き出す寸前のようなアルの声が聞こえた。


「ごめん。おれが悪かった」

 そう言われ、自分がアルに抱きしめられているのだと知った。



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