16-2 謁見室へ

 アリシエは金牙きんが、ダンと共に、エントランス入口付近にて敵に囲まれていた。黒檀の肌をした者達が各々の武器を構え、アリシエに狙いを定める。三人と敵との距離は一メートルもない。追い詰められているというのに、アリシエが悪魔を彷彿とさせる笑みを見せる。


 元々宮殿のエントランスで戦っていた武芸者達は、反乱軍が狙いを変えたことに気付いて反撃を開始した。アリシエの元へ向かおうと、それまで戦っていた武芸者達に背を向けた反乱軍。皇帝派の武芸者達は最後の力を振り絞り、反乱軍の背に各々の武器を向ける。


「構わん、殺せ。援護しよう」


 金牙の言葉が引き金になった。アリシエはすぐさま踏み込み、敵の懐で刀を振るう。かと思えば、右足を使って左足に負担をかけないように移動し、金牙と背中合わせになった。腹を斬られた戦奴隷が床に崩れ落ちていく。それをきっかけに、陣形が乱れ始める。


 反乱軍は円を描くような陣形を取り、アリシエ達三人を囲っていた。円の中心部ではアリシエが、外側では生き残った皇帝派の武芸者達が、それぞれ武器を手に反乱軍へと襲いかかる。慣れない陣形を使用したことが仇となってしまう。


 金牙のレイピアが、身を守るためにと前方を鋭く突く。突きをかわして体勢の崩れた敵に、ダンの剣撃が襲いかかる。ダンを援護するかのように、エントランス奥の階段から矢が放たれ、敵を射止めた。敵に襲われれば、二人はダンの盾で身を守りつつアリシエの元へと後退する。そしてそこで敵を迎え撃つのだ。



 アリシエの登場で混乱した戦奴隷達を、円の外側から味方が襲う。隙を突く形にはなるが、今は卑怯かどうかより、敵をどうにかすることの方が重要であった。反乱軍の半数ほどが奇襲に気を取られ、注意がおろそかになる。加えて、長期戦による疲れが行動に影響を及ぼし始めた。


 金牙が闇雲に突いたレイピアが、敵の腹部に深々と刺さる。肉塊に刺さって動きを止めたレイピアに、金牙の目が見開かれた。次の一手のためにとレイピアを引き抜こうとするのだが、彼の弱い握力ではそれが叶わない。仕方なくレイピアから手を離し、武器を諦める。


 非力な金牙の攻撃が命中するほどに、反乱軍の動きは衰えていた。その動作にキレがない。積極的に攻めていたはずの反乱軍は今、攻撃の手を緩め始めている。この好機を逃す者はいない。


「全力を尽くせ! 今を逃したら、次はないぞ!」


 広いエントランスに、海音かいね咆哮ほうこうが響く。それを聞くと同時に、武器を失った金牙は困惑した表情で床に座り込んだ。アリシエは、傷口が開くのも気にせずに戦っている。ダンは、身を守るだけでなく自軍に貢献するために武器を構えている。反乱軍にいた黒人の一人が金牙に気付き、武器を構えたまま近付いてくる。


 アリシエもダンも他の味方も、誰一人金牙の異変に気付かない。武器を失った金牙はもう、戦うための体力が残っていなかった。レイピアを引き抜こうとして、体力を無駄使いしたのが原因だ。今になって数分前の自分の行動を悔いる。


 床に座り込んだまま動けない。一歩、また一歩、黒人が近付いてくる。目の前で繰り広げられる人々の行動が全て、やけに遅く見えた。そのせいだろうか、近付いてくる黒人の顔を確認する余裕が出来る。次の瞬間、金牙は開いた口が塞がらなくなった。





 金牙に近寄ってきたのは、顔のやつれた黒人だった。黒檀の肌に少し伸びた黒髪、という特徴はさほど珍しくはない。しかし、その目の色は他の戦奴隷と異なる色をしていた。皇族の血を引く証である、濃い青色の瞳をしているのだ。濃い青色の瞳を持つ黒人を、金牙は一人しか知らない。


 最後に見た時に比べて頬がけ、頬骨が僅かに浮き出ている。身体も全体的にせてしまっていた。一目見て彼と気付かないほどに印象が変わっていたが、目の色を見ればわかる。彼は――金牙が皇太子派に潜入させた味方、ソニックだ。


謁見えっけん室に、急いで」


 ソニックの顔が金牙に近付く。その手には、血のついた剣が握られている。反射的に両目を閉じれば、耳元で言葉を告げられた。もっとも、その意味を理解したところで、この場から動けなければ意味が無いのだが。


 アリシエが引き起こした混乱により、敵の数は半分まで減っている。しかしまだ戦いが終わったわけではない。円の外側では海音達が人とは思えぬ奇声を上げながら戦っている。内側では、アリシエが左足を庇いながらも奮闘している。ダンはリアンに仕込まれた武芸のおかげか、混乱の中であってもしっかりと身を守っている。


「こう、囲まれては、無理、だ」


 荒い呼吸を整えようともせずに、小さな声で言葉を返す。息継ぎの合間にヒューと甲高い笛のような音が聞こえる。金牙の弱々しい姿に、ソニックの顔が一瞬凍りついた。しかしすぐにその顔に笑みが戻る。


 囲まれている今の状況では、謁見室に向かうことはもちろんのこと、エントランス内を自由に移動することも叶わない。それに加え、金牙は体力が尽きており、歩くことすらままならない。それに気付いたソニックは、すぐさま金牙の胸ぐらを掴む。


 ソニックの手で無理やり立たされた。金牙の喉仏には、血に濡れた刃が触れている。雪のように白い肌に一滴、誰の者かもわからぬ赤い雫が存在を主張する。金牙が少しでも動けば、その刃が首を裂くだろう。ソニックの左手に持ち上げられ、金牙のつま先が床から離れていく。


「暁家当主を捕らえたぞ!」


 ソニックが金牙に刃を突きつけ、高らかに宣言した。聞き覚えのある声に気付いてか、アリシエの目の色が変化する。刀を振るう手を緩め、後退して間合いを確保。相手の動きを警戒しながら、声のした方向を目だけで追う。ソニックとアリシエの視線が宙で交わった。


、謁見室に連れていく。道を開けろ! こいつはオイラが捕まえたんだ。オイラが連れていく。わかったら早く道を開けろ!」


 ソニックはアリシエの存在に気付かないフリをして、再び声を上げる。濃い青色の双眸そうぼうにらまれ、反乱軍は少しずつ陣形を崩す。方円を形成していた戦奴隷達は、渋々ソニックのために、人二人がかろうじて通れるだけの道を作り出した。


 ソニックが顔だけを後ろに向け、アリシエの方を見る。口角を上げるとアリシエと同じように両頬にえくぼが現れた。アリシエを思わせる笑みが、反乱軍に囲まれていたアリシエとダンに向けられる。次の瞬間、アリシエがダンの手を掴んで円の外へと駆け出した。





 ソニックが金牙の首に剣を突きつけたまま、エントランス奥の階段へと向かう。戦奴隷の群れから脱したアリシエとダンは、傷が痛むことも忘れて夢中でそれを追いかけた。二人の背後からは反乱軍の呻き声と味方達の咆哮が聞こえてくる。


 エントランス奥の直階段は一階と二階を繋ぐもの。同様の階段が二階、三階、四階に設置されており、この階段を上ることで謁見室のある五階まで向かうことが出来る。階段同士はさほど離れておらず、全速力で駆け上がれば十分も経たずに五階に着く。


 体力を温存していたのだろうか。ソニックは金牙の身体を掴んだまま、リズミカルに足を動かして階段を駆け上がる。それを追うアリシエは、左太ももの怪我のせいで思うように動けない。結果として、アリシエとソニックの距離はどんどん離れていく。


 宮殿の三階――図書室と呼ばれている空間でついに、アリシエは足を止めた。左太ももに巻かれた包帯は血を吸って赤く染まり、包帯とガーゼで抑えきれなかった血がふくらはぎを伝って足元へと流れていく。


(今の、にぃに、だよね。にぃに、どうして……どうして、金牙を? にぃに、味方なんだよね? なんで? どうして?)


 彼の頭を過ぎるはソニックの言動。金牙を捕らえ、その首に剣の切っ先をあてがう。アリシエに笑みこそ向けていたが、その言動は裏切りである。予期せぬ人物の裏切りに、アリシエは頭を抱えずにはいられない。


 幸いにも三階には敵味方問わず武芸者の姿がない。いくら反乱軍と言えども、宮殿の資料部屋を破壊するかもしれない行為は避けたようだ。敵の気配がないことを確かめた上で、アリシエは床に座り込む。そのすぐ近くに、剣と盾を構えたダンが寄り添った。


「アル、大丈夫か?」

「ちょっと動き過ぎたみたい。もう血は止まったよ。でも、傷口、痛いね」


 アリシエの左太ももの傷は、暁の屋敷で負ったものだった。やや深めの傷ではあるが、幸いにも動脈や静脈には達していない。急いで止血するほどの傷ではなく、放っておけば自然に止まる。しかし流血しているかに関わらず、傷口の痛みがアリシエの動きを鈍らせてしまう。加えてソニックに対して抱いた疑念が、行動を迷わせる。


「迷うなら、謁見室に向かうしかないのう。皇太子はそこにおるはずじゃ。行けば、ソニックのことも、嫌でもわかるはずじゃ」


 アリシエの迷いを察したのだろうか。ダンが呼吸を整え、言葉を紡ぎ出す。そして、自らの服を引き裂き、アリシエの包帯の代わりとして患部に巻き付け始めた。





 ソニックの行動に混乱している時間はない。アリシエは痛みが多少和らいだのを察すると立ち上がった。腰には三本、刀が入っている。両腕には短剣が仕込んであり、いざと言う時はこの短剣を使用して隙を作る。


 宮殿の構造には詳しくない。しかし、階段を上って最上階に向かえば、目当ての謁見室があることだけはわかる。宮殿へ来る途中、何度も金牙に教え込まれたからだ。


(にぃに、悪いことしない。にぃには、僕の味方だもん。きっと、意味があるんだよね。金牙を連れていったの、意味、あるんだよね?)


 心の中で何度問うても答えはない。ソニックの考えは、本人にしかわからない。ならば、直接謁見室に出向いて本人に話を聞くしかないのである。アリシエは立った状態で小さく深呼吸した。


「ダン様。謁見室へ、行くよ」

「うむ。我も戦えるぞ」


 アリシエがダンの手を引いて、直階段を上り始める。もうその目に迷いはない。銀色の双眸は真っ直ぐ前だけを見つめている。



 五階には謁見室と皇帝の家族が暮らすプライベートルームがある。階段を上りきった先には細長い廊下が広がっており、廊下に沿って四つの部屋が左右に並んでいるのだ。今度はダンが先導して、アリシエを謁見室の入口へと導く。


 謁見室の入口は、赤く染まった頑丈な扉だった。持ち手は金属製の輪となっており、輪を掴んで手前に扉を開けば中に入れる。通常であれば扉を叩いてから入るのが望ましいが、今回のような非常時では話が変わってくる。


「金牙、いないね。にぃにも、いない」

「扉に耳を近づけよ。中におるかもしれぬ。様子をうかがってから入るのじゃ」


 下手なタイミングで入れば襲われかねない。アリシエはダンの指示に従い、扉に耳を近付ける。謁見室からは聞き覚えのある声が聞こえた。中にいる人物が感情的になっているのか、声量が大きく聞き取りやすい。


「オイラの生きる価値を決めるのはてめぇじゃねぇ。生きる意味を決めるのも、てめぇじゃねぇ」


 その声の主に気付き、アリシエの丸みを帯びた目がさらに丸くなる。


「てめぇがアルから家族を、故郷を奪ったんじゃねぇか。存在しなくていいのは――てめぇみたいな白人ホワイトの方だろ!」


 言葉の意味を理解するや否や、アリシエは後先を考えずに謁見室へと踏み込んだ。ダンがその後に続く。次の瞬間、二人は目の前に広がる光景に言葉を失った――。

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