第十六章 雌雄を決する時が来た 宮殿編

16-1 暴動の日

 十月三十一日の昼下がり。ハベルト中央都市クラウドでは混乱が起きていた。宮殿付近の町で異臭が発生したのである。その日、一歩外に足を踏み出した国民はその誰もが顔をしかめた。鼻を突き刺すような腐乱臭が町全体に漂っていたからだ。


 異臭の原因はハベルトの地下水路。汚水と雨水を流すために作られた、ハベルトの地下全体に広がる水路である。普段、地下水路には臭いが外に漏れないよう仕掛けがされている。地上から地下水路へと向かう階段には扉が施され、階段を下った先には階段と地下水路を隔てる扉がある。二重扉によって地下水路から漂う悪臭を、簡易的ではあるが緩和しているのだ。


 しかしその日は違った。地下水路を封じる二重扉が開け放たれ、悪臭が街へと漏れ出している。国民達が混乱しているのは悪臭だけが原因ではない。悪臭はただの引き金でしかなかった。心の平穏を乱したのは、彼らが目にした光景が原因である。


 町の中心部には正五角柱と正五角錐が組み合わさった形をした宮殿があり、その周りをぐるりと壁が囲っている。面ごとに瓦の色が違う、正五角錐を象る屋根。毎日手入れの施されている中庭と宮殿の白壁。石を積み上げて造られた屋敷を囲む壁は、そう簡単には崩せない。そんな宮殿で異変が起きていた。


 窓ガラスが割れ、ガラス片が宮殿の内外に飛び散る。屋敷内部から聞こえる銃声と戦の咆哮ほうこうは、偶然近くを通りかかった町民の耳にも届く。何かが起きているのは誰の目にも明らかだった。聞き慣れない物音に町民達は混乱し、道端に集まって意見をかわす。そんな頃のことだった。


「おい、行列が来るぞ。武器を持ってる」

「三十人はいるな。行列を率いてるのは……誰だ?」

「見慣れない顔だな。海亞かいあ様に似てはいるが」


 昼下がりに列を成して宮殿近くの歩道を進む、武芸者の群れがあった。横に三人、縦には目視出来る限りで十人が並んでいる。そんな行列を率いるのは、見慣れない一人の武芸者であった。


 皇族の血を引く者である証、濃い青色の双眸そうぼうを持っている。これでもかと存在を主張する鮮やかな青髪は、戦闘貴族の一人である海亞と同じ色。身に纏う黒い忍装束は、黒色の少ない町中では悪目立ちしてしまう。


海音かいね様じゃないか? 新聞にも出てたじゃないか。近々当主交代するって」

「そう言えばそうだ。だとしても、海音様がどうしてここに?」

「このクラウドは、フィール様の統治下だ。海音様がわざわざ来る必要は……」

「やっぱりあれだ。宮殿で何か起きてるんだよ。だから海音様も出てきたんだ。アノリス様はご無事だろうか?」


 武芸者の行列を率いていたのは海音である。皇太子の屋敷で金牙きんがと別れてから、戦闘員の半数以上を連れて宮殿までやってきたのだ。その総数、三十七名。徒歩一時間の道のりを三時間かけて、誰一人欠けずにここまで歩いてきた。武具を身につける彼らは、疲労の色が濃いように見える。





 行列の先頭を歩いていた海音が町民に気付き、足を止めた。三十七人の武芸者がその後ろで、列を維持したまま歩みを止める。濃い青色の双眸そうぼうが町民達の顔を見上げている。微かに顔を傾げ、町民達の言葉を静かに待つ。


「失礼ながらお聞きします。その行列は、何のためですか?」

「何が起きているのか、ご存知ですか?」


 息継ぎの合間に、宮殿から聞こえる物音が耳に入り込む。加えて町内に漂う、地下水路からの異臭。国民達が不安を感じるのも無理はない。宮殿近辺の環境に気付いた海音が思わず苦笑いを浮かべる。


 混乱しているのはここにいる町民だけではないはずだ。一人一人に説明する時間はない。宮殿内部で起きている出来事を隠すことも出来ない。海音は息を吸うと、町民の顔をまっすぐ見つめたまま口を開いた。


「ちょっと、反乱が起きていてね。この行列は、敵を制圧するためってわけだ。そんなわけで……一つ、用事を頼まれてくれないか?」

「用事、ですか?」

「事が落ち着くまで、宮殿に近付かないでほしい。これを、他の者にも知らせてほしいんだ。俺は今から戦わなくちゃならねえ。頼まれてくれるか?」

「もちろんでございます」

「ありがとう。よし、野郎共、向かうぞ!」


 海音が選んだのは、現状を国民に伝えることだった。情報の拡散を国民に一任すると、後方に続く行列へと指示を出す。次の瞬間、海音を先頭にして列が動き始めた。



 宮殿には正門と裏口、二つの入口がある。裏口は人通りの多い路地裏に面しており、馬車は入れない。正門は表通りに面しており、門番が常に目を光らせている。海音達が向かったのは正門の方だった。


 重々しい鉄製の門は何者かの手で開け放たれている。見張りに立っていたはずの門番は、正門のすぐ後ろで息絶えていた。血の臭いと地下水路から漂う悪臭が混ざり、鼻の奥に痛みが走る。目の前に広がる侵入の痕跡に、海音の口から舌打ちが漏れてしまう。


「踏み込む。ひとまず、クライアス家と合流だ。……お前ら、死ぬなよ?」


 海音の言葉を聞いた誰かが、宮殿のエントランスへと通じる扉を開ける。扉の奥から、濃厚な血の香りが漂っている。





 宮殿内部に広がる光景に、海音と彼の率いる武芸者達は思わず言葉を失った。護身のためにと武器を構えるのだが、戦うより先に目の前に繰り広げられた現実に意識が向いてしまう。


 足元に転がっている重傷者と死者の身体。それを踏みつけてまで戦闘を続ける武芸者達。遠目からはっきりと目立つは、彼らの肌色だ。足を踏み入れてすぐの広いエントランスでは、動いている武芸者のほとんどが黒い肌を持っている。彼らは皆、額に白い布を巻き付けていた。


 濃い青色の瞳が床に転がる武芸者の姿を見る。何人か、額に白い布を巻き付けた有色人種が転がっている。しかしそれ以外は皆、額に布を巻いていない白人の武芸者達だ。海音の瞳が再び目の前で繰り広げられる戦闘を捉える。


 積極的に人を襲っているのは、布を身につけた有色人種。布を身につけていない者は防御に徹している。応戦している者の中にも有色人種が何人かいるのだが、布の有無で区別がつく。


「額に布を巻き付けた奴を狙え! 敵は、白い布を身につけてるぞ!」


 敵味方の区別さえつけば、あとは応戦するだけだ。海音の言葉をきっかけに、三十七人の武芸者達がエントランスに散らばり、敵と思わしき有色人種に襲いかかる。しかし海音の顔は険しい。


 白い布を身につけているのが敵であるのならば、現在反乱軍の方が優勢と言える。元々宮殿にいたはずの、クライアス家の武芸者は半数以上が重傷を負うか死亡。現在応戦しているのは残ったクライアス家の武芸者約十名と、海音が連れてきた三十七名の武芸者だけなのだ。上階にどれほどの敵味方がいるのかは定かではない。


(なんとか『神の眼』が来るまで持ちこたえないとな。これ以上味方が減らないようにしないとな)


 海音は腰に身につけていた脇差を鞘から抜いた。敵と思わしき者との間合いを適度に保ちつつ、状況を見る。大理石の床が一面に広がるエントランス。上階へ向かう手段は、先程海音達が入ってきた扉から見て最奥にある階段のみ。戦いに夢中なのか、エントランスにいる武芸者達が上階へ向かう様子はない。だというのに上階からは銃声や奇声が聞こえる。


『状況は! 宮殿に、いくさ奴隷どれい多数、です』


 海音の脳裏に銀牙ぎんがの声が過ぎる。エントランスにいる敵が皆戦奴隷であるとするならば、彼らの役目は皇帝派の足止めになるだろう。上階には戦奴隷以外の反乱軍が侵入している可能性が高い。


が来るまで、持ちこたえろ!」


 脇差を振るいながら、海音が声を上げた。その声に応じるように、戦の咆哮が上がる。






 海音達が宮殿に入ってから一時間程が経過した頃のこと。宮殿は相変わらず騒然としていた。宮殿内部には敵味方多くの武芸者が入り乱れ、様々な武器を交えている。武芸者達の服は戦闘によって傷つき、血で赤く染まっていく。状況は反乱軍優勢のまま変わっていない。


 刀剣類を交える者がいれば弓矢を構える者もいる。弓や銃で遠くから敵を狙う者、刀剣や槍で激しい接近戦を行う者。金属のぶつかる音や人とは思えぬ奇声、銃声などで宮殿は非常に騒がしい。敵味方の区別は額に布をつけている事でしか区別できない。


 そんな混乱している宮中に足を踏み入れる者達がいた。よほど慌てて来たのだろう。息を切らしていた。乱入者の一人が呼吸を整えながらも武器を構え、息切れした状態で声を上げる。


「皇太子は、どこにいる!」


 それは明るい金髪をした黒人少年――アルウィスだった。銀色の双眸が宮中の状況を鋭い眼光で捉える。だが、どんなに目を凝らしても皇太子の姿は見えない。それどころかこのエントランスには、敵は有色人種しか見当たらない。


 アルウィスのすぐ後ろには、金牙きんがとダンの姿もある。金牙はレイピアを、ダンは片手剣と小盾を、それぞれ構えている。この三人は皇帝の危機を知って暁家の屋敷からやってきた、最後の援軍である。


「『神の眼』が来たぞ! 踏ん張れ!」


 現れたシルエットとその銀色の目に気付き、海音が一声叫んだ。それに呼応するように味方が戦の咆哮を上げる。たった一人の介入で、押され気味だった味方の士気が一気に高まり始めた。その咆哮は宮殿の最上階にある謁見えっけん室にまでとどろく。


 「神の眼」が現れたことに気付いた敵が狙いを変える。これまで皇帝派の武芸者を襲っていたのだがそれを途中で止め、アルウィスに向かっていくのだ。標的となった彼はすでに傷を負っていた。左の太ももに雑に巻かれた包帯はすでに赤く染まっている。よほど足が痛むのか動きが鈍い。


 それでも、痛む足を庇いながら拳を振るう。足を怪我しているせいかその動作にキレがない。それどころか足がうまく動かないために攻撃一つまともにかわせず、さらなる傷を負う。目で見えていても身体が動かないのだ。なにより、大人数相手に個人戦向けの体術では効率が悪すぎる。


 この戦場に皇太子の姿が見えないことから、皇太子は既に謁見室に向かっていると考えられた。皇帝を援護するためにも、ここで一人でも多くの反乱軍を阻止する必要がある。時間がないため、一人一人を丁寧に相手する余裕はない。


 その時だった。金牙とダンの二人が、アルウィスと背中合わせになるように並んだ。どちらも武芸者と呼ぶには少々頼りない。だがアルウィスは二人の存在に気付き、戦場にも関わらず頬を緩める。


「替わる」

「安心して替われ。僕でも少しは戦える」


 戦場で隙を見せるのは自殺行為だ。わざわざ相手の体勢が整うまで待ってくれる者など、物語の中にしか存在しない。故に彼は僅かな隙を味方に任せる。文字通り、背中を預けた。その刹那、彼のまとう雰囲気が一変する。アリシエと入れ替わったのだ。


 手に持っていたメリケンサックを素早くしまい、代わりに刀を構えた。その銀色の目が反乱軍の様子を、武芸者の強さを見極めるべく見据える。少しでも早く戦いを終わらせるためだ。アリシエは無邪気に笑いながら残酷なことを背中に問う。


「ねぇ、殺してもいい?」


 その言葉が、その日最後の開戦となる合図となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る