9-4 悪魔との密約

 弱々しいオレンジ色の明かりで照らされた空間。そこは部屋と呼ぶには物が少なく、狭い。その空間にあるのはただ一つ。壁に埋め込まれるような形で存在する小さな檻だけ。その檻の中に、銀牙ぎんががいた。


 銀牙に許された空間は、鉄格子の奥にある小さな檻の中だけ。その狭さに足を伸ばして寝ることは出来ず、身体を丸めて寝るか体育座りをして寝るかしか出来ない。そこは銀牙の拷問部屋でもあり、皇太子は銀牙を痛めつけて情報を吐き出させる。


 銀牙と皇太子がこのような関係になったのはつい最近のことではない。事の始まりは七年前、暁家が戦闘貴族として任命された日。銀牙は金牙の側近として、従兄弟として、宮殿に足を踏み入れた。そしてその姿を、宮殿で働く政治家達の目に見せてしまった。


 暁家は皇族の遠戚にあたり、皇帝や皇太子とは僅かながらも血の繋がりがある。そのため、血縁関係を調べればすぐに金牙と銀牙の関係がわかってしまう。皇太子は知り合いから話を聞き、暁家本家の血筋である銀牙の存在を調べ、そしてその存在を忌み嫌うようになった。銀牙が黄色人種の血を引くからである。



 銀牙は拷問される時だけ、手錠と足枷で拘束される。猿轡さるぐつわをされないのは、皇太子が銀牙の声を聞きたいからであり、銀牙が金牙のために自害しないと知っているから。拷問は多種多様だった。


 熱いろうを皮膚に垂らし、その皮膚を蝋燭の火であぶる。紐で死なない程度に首を絞める。爪をがし、手足の指の骨を無理矢理折る。鞭で身体を叩くことも、満足するまで顔を殴ることもある。皇太子はこのような拷問を使用人ではなくの手で行った。


 ただ痛めつけるだけではない。暴言を吐いて精神的にも傷つける。気絶させれば冷たい水をかけるなりして無理やり起こした。死なないように、食事と水だけはしっかりと摂らせる。それが、皇太子の拷問のやり方である。





「そなたは、自分が暁家の恥だと自覚しておるのか? そなたのような混血が戦闘貴族にいては示しがつかぬではないか! 醜い猿に何が出来る。主を苦しめることだけではないのか? そなたに存在価値などない。黄色人種イエローのそなたを必要とする者など、誰もおらぬ!」

 銀牙はその言葉を受け止め、皇太子の目をにらみつけることしか出来ない。


「さぁ、兄上の情報で知っていることを吐くのじゃ。教えなければそなたの傷が増え、暁家の地位が落ちるぞ。我にはそれだけの権力があるからのう」

 銀牙に情報を吐き出させるため、あらゆる手段を使う。金牙の立場を利用したおどし、痛めつけて耐えきれなくなるのを待つ。金牙のことを持ち出されれば、銀牙は逆らうことが出来ない。


有色人種カラードは大人しく武芸者として戦っておればよい。あの野蛮な人種の血を引く者が戦闘貴族の親族? そんなこと、許されるはずがなかろう!」

 皇太子は有色人種を「使い捨ての戦力」くらいしにか捉えていない。それを痛感する度に、銀牙は自分の置かれた立場を呪った。


「貴様ら有色人種カラードに何が出来る。戦うことしか出来ぬではないか。それで、我ら白人ホワイトと同じ? 笑わせるのう」

「それは――」

白人ホワイトはな、最も進化した民族じゃ。言葉を扱い、医学を開拓し、政治を行い……お主ら有色人種カラードに同じことが出来るか? その小さな頭では無理じゃろう」


 皇太子の言葉に反抗すれば、身体を傷つけられた。皇太子は何度も何度も銀牙に告げるのだ。白人の文明の良さと、その利点を。有色人種と白人の違いを。そして、いかに白人が優れているのかを語る。その様はまるで何かに取り憑かれているようにも見える。


「そもそも、貴様らのような野蛮人が白人と血縁関係になろうというのが間違っておる。その低い知能を我ら白人の子孫に残すつもりか?」

「少なくとも、あなたは――」

「戦うしか能のない猿は黙るがよい。それとも、そんなことも言われんとわからぬのか?」


 その言葉は止まることを知らない。否、皇太子は銀牙をののしることで何かを忘れようとしている。その心が痛いほどわかるから、銀牙は歯を食いしばって耐えるしかない。銀牙の濃い青色の双眸そうぼうは、皇太子の濃い青色の目をしっかりと見据えていた。






 七年もの間、皇太子から拷問を受けた。そんな銀牙にはもう、理性で感情を抑えることが出来ない。それほどまでに身も心もボロボロだった。皇太子を殺したいと思うほどに、彼の心は悲鳴を上げていた。故に彼は一つの決断を下す。


「協力、しましょう。何をすればいいのです?」

「薬は用意してある。ただ、皇太子に薬を渡す者がいない。そこで銀牙様には薬を協力者に渡してほしい。それだけだ。簡単だろう?

 協力者が捕まるかは運次第。でも、薬は一度でも飲ませれば勝ちだ。一度でも飲めば、また薬が欲しくなる。そしたら銀牙様、君が僕を呼ぶように告げるんだ。『その症状の特効薬は、クライアス家のフィールにしか扱えない』ってね。それだけでいい」


 フィールの作戦にはすでに銀牙以外の協力者がおり、この計画に賛同しているとわかる。そうでなければ、捕まるのを覚悟して潜入などという愚かな真似はしないからだ。逆に言えば、フィールとその協力者は皇太子を薬物依存症にさせたいほど憎んでいる、ということになる。


(察するに薬は嗜好しこう性のある、麻薬と呼ばれるもの。そんなものを投与する……それだけの何かが、フィール達の身に起きたのかな。いや、金牙のための可能性はある。フィールの金牙への愛はだから)


 銀牙はフィールの言葉を聞いても尚冷静に思考する。判断を一つ間違えれば犯罪者になる。協力するにしても、失敗して身元が皇太子に明らかになってしまえば、それまでの努力が水の泡だ。この七年間皇太子の拷問に耐えた意味がなくなる。



 銀牙の思考を遮るように、雷の音が響いた。今度の雷は近くに落ちたらしく、屋敷が少し揺れる。轟音ごうおんの直後に聞こえる雨音が、荒ぶる銀牙の心を静めてくれた。そして、一つ決意をする。


(協力するにしても、上手く立ち回るかな。もしこれが成功すれば、金牙を助けることにも繋がる。いざという時にそれで金牙を助けられるなら……危険を冒す価値はある)


 握手を求めたのは肯定の意を示すため。言葉を発することにすら痛みを伴う今の銀牙には、それが精一杯の表現で。フィールはそんな銀牙の表現を瞬時に理解した。


「安心してよ、銀牙様。もしこれが上手くいかなくても、僕が何とかする。もう、クライアス家の後継者も決めてあるからね」

「まさか――」

「そこから先は言っちゃダメだよ。言霊ことだまになる」


 フィールの人差し指が銀牙の唇に優しく触れる。生きている者の指であるというのに、フィールの指は氷のように冷たい。青白い顔からは笑みが消えていた。震える指が彼の覚悟を示している。


「ずっと前から考えていたんだ。金牙様や皇帝様に危害を与える人は、この身を犠牲にしてでも消したい。僕はあの二人のためなら命すら差し出せるよ」


 フィールのアシンメトリーの白髪が揺れる。濃い青色の瞳が優しく細められる。その左手は拳を作って心臓へとあてがわれた。其の姿はまるで神へと祈りを捧げているかのように思える。銀牙の目にはそんなフィールが眩しく見えた。


 「命すら差し出せる」という覚悟は、そう軽々しく口に出来る言葉ではない。ただ、金牙と皇帝のためだけに策を練り、実行しようとしている。一見無謀とも思えるフィールの作戦が実行に移せるのは、彼の立場や肌の色によるもの。黄色人種の血を引く銀牙には、作戦決行の裏に隠された背景がよくわかる。


 薬師であるフィールは、合法的に麻薬を手に入れることが可能だ。さらに、戦闘貴族当主であることと白い肌を持つことが、多くの人々を味方につけている。フィールが白人でなかったら、戦闘貴族当主でなければ、協力する者はいないだろう。それがこのハベルトという国の現実なのだから。


 フィールと同様のことを実行するほどの権力を、銀牙は持っていない。ハベルトでは嫌われる有色人種であるため、言動に気を遣わねばならない。どんなに気をつけても、憂さ晴らしのために危害を与えてくる者が後を絶たない。銀牙と金牙の関係を知られれば、それをきっかけに脅されることもある。


 だからこそ銀牙には、自分とは対極の位置にいるフィールが遠い存在に思える。白い肌があれば、金牙と同等の地位があれば。そんな無いものねだりをせずにはいられない。フィールの駒となって皇太子に一矢報いる。それが有色人種の血を引く銀牙に出来る、唯一の抵抗。


「よろしくお願いします」


 今の銀牙には、弱々しい声でそう告げるのが精一杯だった。

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