9-2 独りぼっち

 当主会談の日から二ヶ月もの間眠り続けた「アリシエ・アール」は、嵐の日に目を覚ました。目覚めたのは二つある人格のうち「アリシエ」の方。目覚めたアリシエは、当主会談の日のことを覚えていなかった。


 アリシエが目覚めたことに驚いて動きを止めていたソニックと金牙きんがは、ようやく理性を取り戻す。ソニックはその場でアリシエの様子を看ることになり、金牙はフィールに指示を仰ぐために書斎に向かった。アリシエが目覚めて十分後、フィールに指示を貰った金牙がアリシエの個室に戻ってくる。



 アリシエは人を疑うことを知らず、人と戦うこともあまり好まない人格だ。怒りや憎しみという感情を見せることもあまり無い。先のことを考えることもあまりなく、子供のように無邪気な性格でよく笑う。


 一方のアルウィスは人を疑い、戦いを好む人格だ。怒りや憎しみといった感情も隠さずに見せる。金牙は、このアルウィスが戦っているところしか見たことがない。そして何よりも特徴的なのは、その行動のほとんどがアリシエのために行われること。アリシエは何も知らないまま、アルウィスによって危険が排除された世界で生きている。


 金牙にとって「神の眼」を持つ戦力として頼りにしているのは、アルウィスの方だった。というのも、金牙はアリシエが戦うところを見ていない。さらに、過去のアルウィスの発言の影響もあって「アリシエは戦えない」と認識しているのだ。今、目覚めたばかりのアリシエは水を少量ずつ口に含みながら、眼前まで近付いた金牙の顔を見る。


「アルウィスと話せるか?」

「うーん。今は無理、みたい。呼びかけても返事がないの。どうしたんだろう。こんなこと、今まで無かったよ」


 人格は記憶を共有出来ないことが多いとされる。人格が消える時、その人格の記憶は身体の主人格に統合される。それが金牙が仕入れた文献に載っていた内容である。アルウィスの記憶をアリシエが知らないということは、アルウィスはまだアリシエの身体の中で眠っているだけ、と考えられる。


 アリシエは目覚めたというのにアルウィスは目覚めない。このような妙な現象は、アリシエがハベルトに来てから一度も無かった。アリシエもアルウィスの声が聞こえないというのは初めてのようで、よほど不安なのかソニックの手を掴んで離そうとしない。


(弱ったな。アリシエは何も知らないはずだ。肝心なアルウィスが出てこないことには、何も始まらないし戦えない。クソッ、どうしてこうなった。このままじゃ、アルウィスが目覚めるまで計画を後ろ倒しするしかないじゃないか)


 金牙がどんなに頭を悩ませても事実は変わらない。現在、まともに身体を動かすことの出来る人格はアリシエだけ。アルウィスの気配は愚か、問題となった「三人目」の気配すら感じることは出来ない。アリシエの方も、二人の存在が感じられないようだ。





 金牙はアルウィスが目覚めるのを心待ちにしていた。「神の眼」を持つ武芸者は暁家の保有する最高の戦力だから。アルウィスを抜きにして、皇太子派と戦うための策を進めることは出来ない。しかし、すでに二ヶ月も計画を後ろ倒しにしている。現在の皇太子派の動きを考えると、これ以上計画を延期することは出来ない。


 今の状態だと、アルウィスがいつ目覚めるのかは不明だ。そうとなれば、アルウィスがいなくても作戦を進める必要がある。たった一人の戦力のためにこれ以上計画を遅らせることは、計画が失敗する可能性を高くするだけ。ならばアルウィスの代わりにアリシエを戦わせてでも、皇太子派の動きを制御しなければならない。


「アリシエ。お前は何をどこまで覚えてるんだ? 何故お前だけが目覚めた?」

「覚えてるのは……アルウィスが『お前には戦わせねー』って言ったところまで。そう、当主会談の日の朝に言われたことまで。なんで僕だけかは、僕にもわからないや。もしかして、あの日から結構時間経ってるの?」

「ちょっと待て! お前、戦えたのか?」

「うん、戦えるよ。戦うとちょっと夢中になっちゃうだけ。だから、アルウィスがなかなか戦わせてくれなかったの」


 アリシエが何気なく零した言葉に金牙の表情がガラリと変わる。険しかった顔が、一瞬にして歓喜の色に染まる。アルウィスの言葉で自分が誤解していたことに気づいた。アリシエが戦えるという事実も、アリシエの欠点を補うためにアルウィスが戦っていたらしいことも。今この瞬間に初めて知った。


 しかし「戦うと夢中になっちゃう」という表現が金牙の中で引っかかる。戦闘に没頭こと自体は悪いことではないため、それを欠点として挙げることが妙なのだ。確かに集中し過ぎにより視野が狭くなるのは良くない。だが集中力が高まればその分反応が速くなり、結果として武芸者の生存確率を上げることに繋がる。


 わざわざアルウィスが戦うのを制止していた。それはアルウィスがアリシエに執着しているからなのか、アリシエを思ってのアルウィスの配慮なのか。その理由を知る当人は未だ目覚めないまま。ここは憶測で話を進めるしかない。


「よく聞け。お前は当主会談の日から二ヶ月もの間、眠っていた。その間にも少しずつ事態は動き始めていてな。これ以上作戦を延期することは望ましくない。お前は戦おうと思えば戦えるんだな、アリシエ?」

「うん、いつでも戦えるよ。リアンの手伝いの時も戦ったんだよ。それに、戦えないなら武器を絵に描いたりしないよ」

「なるほど。あの仕込み刀やアサシンブレードは、お前が扱うための武器だったという訳か」


 アリシエの言葉に金牙は嬉しそうだ。それはあくまでアリシエが使い物になることが判明したから。金牙は戦闘貴族の当主だが、部下を扱うという点では人種に関係なく人を駒のように扱うことがある。下手に感情移入すると頭が動かなくなるため、敢えてとして認識するようにしている。


 金牙の頭の中で、様々な事柄が現れては消える。たった今アリシエから聞いた話を元に暁家の戦力を計算し直し、それと同時に他の戦闘貴族の戦力を思い浮かべる。さらに、今ハベルトのどこに誰を配置しているのか、ハベルトの国土を盤面としてボードゲームのように頭の中で駒を置いていく。


 敵の戦力は不明。しかし、多くの黒人武芸者を雇っていることは間違いない。また、現在はハベルト全土で人種差別を元にした事件を起こしている。有色人種を殺害し、暴行し、誘拐し、売買し、その動きは止まる様子がない。だからこそ金牙は敵の動きを把握し、あわよくば操るために策を講じる。全ては皇帝とダンを守るため。





 金牙の頭脳がようやく動きを止める。アリシエが戦えることを知り、今出来る最善の手を思いついたのだ。アリシエに鼻がくっつくほどに近付けていた顔を離すと、ニヤリと歯を見せて笑う。その濃い青色の目は、好奇心からかキラキラと輝いているように見える。


「戦えるのなら話が早い。ひとまず、お前の力を見させてもらおう」

「えーと、どういう、意味?」

「お前に一つ、仕事を頼もうと思ってな。無論、嵐が止んでからだ。この天候の中じゃ、馬車は出せないからな」


 金牙が言葉を区切ると同時に轟音ごうおんが鳴る。また雷が近くに落ちたのか、屋敷が少し揺れる。轟音に続いて雨が窓に打ち付けられる音と強風の音がアリシエの耳に入る。嵐はまだ止んでいない。もっとも、この嵐の中で屋外で活動する愚か者は、さすがに敵にも味方にもいないのだが。


「お前に頼むのは仕事だ。嵐が止んだら、馬車に乗ってクライアス家――フィールの屋敷に向かってほしい。半日もあれば着くはずだ」

「フィールって……あの、変な人? 美しいとか言ってた、あの?」

「まぁ、なのは否定しない。あいつはあれでも凄腕の薬師くすしでな。今、銀牙ぎんがの手当をしてくれている。お前には治療の終えた銀牙を馬車に乗せ、屋敷に連れてきてほしい。頼めるか?」


 金牙の濃い青色の目がアリシエを見据える。相談しようにも、相談相手であるアルウィスは今、何故かアリシエに応じてくれない。アリシエは今、一人で決断をしなければならなかった。何より、「簡単な仕事」と先に言われてしまえば断りにくい。


 金牙は最初から「仕事を引き受ける」以外の選択肢を用意していなかった。馬車に乗るだけの「簡単な仕事」を強調したのは、アリシエに断らせないため。また、その直前の会話で戦えることを確認しており、今回の仕事は「アリシエの力を見る」という口実で頼まれている。こうなってしまえば、そばに居るだけのソニックに助けることは出来ない。


「……いいよ。僕、頑張る」


 アリシエは今まで見せていたような笑顔を見せようとした。しかし金牙の眼差しに込められた意図を察したため、それまでのように無邪気に笑うことが出来ない。何が起ころうとしているかも知らず、すがるような眼差しでソニックを見る。しかし、ソニックはアリシエから目を背けてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る