第三部 激動
第九章 人格変われど主変わらず
9-1 不自然な目覚め
頭上に広がるは黒く分厚い雲に覆われた空。滝のような大雨、成人の身体すら動かしてしまう強風。さらには雷による閃光と
「
金牙がわざわざソニックと二人で個室にいるのには意味があった。周りの者を気にすることなく、ソニックからアリシエについての話を聞くためである。通常より低い声音と鋭い目つきが、金牙が怒っていることを告げていた。
個室の窓から映る空模様は嵐。強風に窓が揺らされ、大雨が窓や屋敷の壁に音を立てて打ち付けられる。時折雲から落ちてくる稲妻と分厚い黒雲が、まるでソニックの心境を反映している様であった。もっとも、嵐のように時が過ぎて鎮まるような感情ならば、ソニックがここまで苦悩する必要も無いのだが。
(さすが金牙。鋭いというか、僅かなヒントから正解にたどり着くよね。その頭脳が、今回ばかりは邪魔だよ)
ソニックは、金牙の言葉に心の中でそっとため息を吐いた。胸の内に思い浮かべた言葉を直接伝えることは無い。伝える代わりに、黒い肌しか共通点のないアリシエのことを見た。頭の中でそれまでの出来事を思い返す。
当主会談が行われたのは二ヶ月前のこと。重傷を負ったアリシエは二ヶ月間ずっと眠り続けていたが、その間にも事態は少しずつ動き始めていた。二ヶ月の間にダンが襲撃された回数は十回前後。過激派による有色人種暴行事件が月に三十件を優に超え、ラクイアの港を介した黒人武芸者の売買が加速した。
皇太子派の動きが活発化し、皇帝を狙う刺客も増えている。宮殿にて内政を行う際に襲撃を受けたこともある。それは、皇太子が反乱を起こそうとしていることの証明。二ヶ月の間に悪化した皇太子派の活動は、「カラードの乱」の本格的な始まりを告げていた。
戦闘貴族は犯罪者の対応に追われながらも、皇太子派の情報を集めるべく奮闘している。アリシエが目覚めないため、アリシエの代わりにダンを護ろうと、わざわざリアンや
アリシエただ一人目覚めないだけで、金牙の立てた計画も先送りとなっていた。これは、皇太子派の襲撃を迎え撃つのに神威やアリシエといった黒人武芸者の力が必要だから。また、金牙が現時点で自由に動かせる手駒はアリシエ、ソニック、虹牙の三人しかいない。アリシエがいなければ、暁家はまともに戦うことすらできない。その事実が、金牙を焦らせていた。
「もう一つの人格は……一言で言えばアリシエの代わりに狂った人格、かな。アリシエが耐えられない嫌な記憶を全部引き受けた人格なんだって。まともに会話すら成立しない。出来ることはただ一つ。自分を守るために、自分を犠牲にしてでも戦うことだけ。これしか知らないよ」
ソニックの言葉はダンが見た光景に一致する。拳を傷つけてでも攻撃し、敵を追いかける。傷がひどく痛むはずなのに、何事もないかのように動き回る。その姿は痛みを認識していないようにすら思える。自らが気絶するまで、敵を追いかけてばかりで止まることは無かった。残念ながら、ダンには「三人目の人格」について何一つ知らされていないため、事実確認が取れないのだが。
ソニックの発言に金牙が眉をしかめる。普段よりつり上がった目が、金牙がソニックの言葉に満足していないことを示す。おそらく、ソニックがまだ何か隠していると疑っているのだろう。金牙の中でソニックは「信用出来ない人」と認識されているようだ。
「本当だよ。オイラ、一回も見たことないんだ。初めて会った時はアルウィスしか出てなかったし……あっ」
「ほう。『兄』であるはずなのに、アリシエに会ったのは途中からなのか。どういう事だ? 僕にわかるように説明してもらいたいんだが?」
ソニックの失言に、金牙がすぐさま食いついてくる。聞かなかったことにするつもりは無いらしい。おそらく、ソニックが金牙の納得出来る話をするまで、問い詰めるのだろう。ソニックはそんな、金牙という人物の性格を訳あってよく理解していた。
「オイラ、アルの実の兄じゃないんだ。血のつながりはあるけどね。そう、少し離れた親戚、なんだよ。それでアルの父親に頼まれたんだ。アルのことを守ってくれって。ほら、アルはあんなに純粋でしょ? だから――」
「嘘は聞き飽きたぞ、ソニック。以前『タイムワープ』とか訳の分からないことを言っていたが……作り話をする暇があるなら、信用を獲得するように努力したらどうだ?」
「あの話は嘘じゃない! アルに聞けば、わかるよ……わかるんだよ」
かつて虹牙にしたのと同じ作り話で場をやり過ごそうとしたが、金牙には通用しなかった。作り話を見抜かれた上に、一度だけ金牙に話した話をも「作り話」と言われてしまう。そこにソニックの弁明の余地はない。 それどころか「お前は信用されていない」と遠回しに告げられてしまった。
必死に過去に話した事が事実であると告げるが、金牙は聞く耳を持たない。「アルに聞けばわかる」という部分に微かに眉を動かしただけ。金牙は基本的に人を疑って生きている。そのような金牙に対して何度も「真実を語る」ことを避けてきたソニックは、金牙に過度な警戒心を持たれている。それまでの言動が仇となった。
「それで、お前はなぜ、今回『三人目』が出てきたと思っている?」
「わからないよ。一つだけ言えるのは、アルウィスが『三人目』を抑えられなくなったってこと。虹牙の言葉が真実なら、アルウィスが『三人目』をアリシエに知られないように隠していたみたいだし、さ」
「人格というのは抑えようと思って抑えられるものなのか? 少なくとも僕の仕入れた文献によると、人格のコントロールは難しく、その精神状態は非常に不安定だそうだが」
金牙の言葉と同時に、屋敷の近くに雷が落ちた音がして、屋敷が少し揺れた。外の嵐が止む気配はない。少なくともあと数日は屋敷の外を出歩くことが出来ないだろう。時折落ちる稲妻は、ソニックの心の不安定さを表しているようだった。
ソニックの手が、ベッドに横たわったままのアリシエの金髪を優しく撫でた。この世に二人といない銀色の目は、今はまぶたの裏に隠されている。ソニックとアリシエは同じ黒檀の肌を持つから、ソニックの腕とアリシエの肌が同化して、その境界がわからない。
「不安定だからこそ、じゃないかな」
「どういう意味だ?」
「アルウィスの怪我がきっかけだろうね。今回に限って『三人目』が出たのはきっと、偶然なんだと思う。庇った時の怪我と、その時のアルウィスの精神状態が、『三人目』を抑えられなくなった原因だと思う」
「怪我なんて、よくあるだろう。宮殿に言った日も、怪我はしていたぞ。リアンの任務に行かせた時も、怪我をした。だが、今回みたいになったことはない。その仮説はおかしくないか?」
「だから精神状態なんだよ」
ソニックに頭を撫でられたからなのだろうか。アリシエのまぶたが微かに動く。だがそれが、起きているからなのか、ソニックの手が僅かでもまぶたに触れたからなのか。医学の知識に乏しい金牙とソニックの二人にはわからない。
「アリシエとアルウィス、二つの人格があるんだから。二人の精神状態によっては、『三人目』を抑えるのに負担がかかるよね。怪我しただけで、抑えられなくなるくらいに」
「貴様は、医学の心得でもあるのか?」
「ないよ。でも、近くで見てきたから、わかるよ。アルウィスが苦しんでいるのも、『三人目』を出さないように耐えてたことも」
「ほう。そういうことにしといてやろう、今日のところは、な」
金牙はソニックの言葉全てを信じてはいないらしい。本当ならば、その真偽を納得がいくまで確かめたいところだ。それなのに話を中断したのは、ベッドに横たわったままのアリシエの異変に気付いたから。
アリシエの状態は、傍から見ればただ眠っているように思える。自発呼吸をしっかりと行っており、傷の経過も良好。しかし、ハベルトの医学では植物状態かただの眠りかを判断することが出来ない。生死の判断は出来るが、脳死や植物状態といった概念が存在しないのである。だからこそ、金牙達は「アリシエがただ眠っているもの」と信じていた。死んでいない以上は生きているのだ。
アリシエの右腕には点滴の管が繋がれており、そこから栄養を補給している。下半身では、ズボンの隙間から導管が出ており、その管はベッド脇に取り付けられた瓶に繋がっている。これは排尿対策のため。全て
そんなアリシエに今、異変が起きる。アリシエの右腕が僅かに動いた。その動きに反応して点滴の管が揺れる。ソニックの手が触れている金髪が、アリシエの頭部が動く。やがてゆっくりとまぶたが開き、青みがかった銀色の瞳が顔を出した。
「あれ、どうしたの? 当主、会談、は?」
恐らくアルウィスが戦った記憶も、三人目の人格が出てきた時の記憶もないのだろう。アリシエが無邪気に笑いながら、何事も無かったかのように言葉を発する。その声が、金牙とソニックの心には重く響いた。
当主会談の日は朝からずっとアルウィスが表に出ていた。故にアリシエはその日の記憶がない。だから彼は知らないのだ、当主会談から二ヶ月の月日が流れていることを。
その記憶の不一致が、アリシエが多重人格であるということを示している。会話は出来ても、複数の人格が全く同じ記憶を共有することは出来ないのだと示していた。だからこそ、金牙とソニックは言葉に詰まってしまう。二人はアリシエの言葉に驚き過ぎて、目覚めたことを他の者に知らせることをすっかりと忘れていた。
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