番外編4 もう一つのプロローグ

番外編4 困ったらハベルトへ行け

 綺麗なグラデーションを見せる空。青く澄んだ海。波の打ち寄せる砂浜。常緑樹やつたが繁るジャングル。ここはシャニマと呼ばれる島国を構成する島の一つ。だが今、そんな綺麗な風景すら目に入らないほどこの島の内部はけがれていた。


 ジャングルの内部に散らばるのは見知らぬ人々のしかばね、血溜まり、数え切れないほどの武器や防具。血の臭いと屍が放つ腐敗臭が入り混じる。そのせいか、ジャングルは酷い異臭に満ちていた。だがそれはまだマシな方だった。



 ジャングルの中を散策する一組の父子がいた。二人はどちらも外巻きの明るい金髪にをしていた。黒褐色の肌はジャングルの内部にすんなりとその姿を溶け込ませる。この二人は元々この島に住んでいた住民だ。突如始まった戦闘に巻き込まれ、今は島のあちこちを転々とする生活を送っている。


「アリシエ、こっちに来い。屍を見つけたぞ」


 呼びかけたのは父親と見られる黒人男性。その腰には持ち手がボロボロになった刀が数本、身につけられている。男性の目の前には、まだ屍が一つ。きちんと衣服や武具を身につけ、誰の手も加えられていない屍があった。


 男性の声に応じて、アリシエと呼ばれた子供が屍に近寄る。この父子の顔は少しやつれていた。身にまとっているのはあちこちが破れているボロボロの布。靴なんてものは履いていないし、身につけている武器は手入れのされていないボロボロの刀だけ。


「アル。とりあえずそいつの衣服を奪え。お前にやるよ。武器は……刀が二本だけ。食糧は……何もなし、か。チッ、使えんのは衣服と武器だけだな」


 男性に言われ、アリシエは器用に屍から衣服をいでいく。この屍は流れ矢に当たって死んだのだろう。衣服の損傷も武器の損傷も少なく比較的マシな屍だ。そんな屍から衣服を剥いでいく作業に、二人共抵抗はないようだ。否、この島で生き残るにはそうでもしなければやっていけない。


 硬直した屍の四肢を無理やり動かして衣服を脱がせる。さらに、屍の身につけていた下着をも脱がせた。衣服も下着も大人用のサイズでまだ子供のアリシエには大きい。それでもないよりマシだ。アリシエは奪ったばかりの衣類をその場で身にまとう。仕上げに、それまで着ていたボロボロの布を腰に巻き付けてベルトの代わりにした。


 アリシエが着替えている間に、男性の方は刀を奪っていた。左手で刀の状態を確認し、自らの持つ一本と交換する。右腕は少しも動かそうとしない。左利きだと言うにしてはあまりにも動かなすぎる。何らかの理由で右腕を動かせなくなったと考えるのが妥当だろう。


 身ぐるみを剥がれて文字通り裸になった屍。その損傷具合を念入りに確認した男性は、着替えを終えたアリシエを呼び寄せた。その銀色の目が好奇心からなのかキラキラと輝いて見える。





 アリシエを呼び寄せた男性は、器用に左手だけで刀を鞘から引き抜いた。男性がこれから何をするのかを察したのだろう。アリシエはすぐさま小さな体で屍の足を持ち上げる。本当は宙吊りにしたかったのだが背丈が足らず、屍の頭部だけが地面に付いてしまう。それでもいいのか、男性は屍に向かって刀を振るい始めた。


 彼らは何をしようとしているのか。一言で言えば「人をさばく」ということになるだろう。突如始まった争いにより食糧難におちいったシャニマでは、人から食糧を奪うのが当たり前になった。しかし人が持つ食糧には限りがある。


 ついに奪われるべき食糧が減ってくると今度は、動物を襲って食うようになった。だが動物にも限りがある。島で動物をほとんど見かけなくなると今度は、屍を捌いてその肉を焼いて食うようになった。生きるためには食べ物を選ぶ余裕なんてない。それがこのシャニマという島国の現状だ。


 まず男性は、屍の首の動脈を斬った。血抜きをするためだ。ある程度血が抜けると今度は横隔膜の上を狙って刀を横に凪いだ。そこから首元まで皮膚を裂き開胸を行う。肋骨の下に見える肺や心臓を身体から切り離し、土の上に並べた。


 その後も次々と内臓を取り出しては地面に直接並べていく。そこまでの作業が終わったと知ると、アリシエは屍を再び土の上に横たわらせる。その間に男性は、取り出した内臓を食べられるかどうかで仕分けていた。


 屍が横になるといよいよ作業はクライマックスだ。首を切り落とし、食べられる肉の部分を表皮と共に切り分けていく。男性の手つきは手慣れていた。男性の作業を見守る子供のアリシエは、その光景に怯えも動じもせずただただ冷静だ。それはシャニマの悲惨な環境下で培われた悲しい慣れによるもの。


 いつしか屍はただの肉塊と骨になった。アリシエ達父子は流石に骨までは手をつけなかった。骨は硬く、捌くのに時間がかかる。いつどこから命を狙われるかわからないこの状況で骨に手をつける余裕はなかった。血の染み込んだ地面が鉄のような血液独特の臭いを放ち始める。


「悪いがそれ、布で包んでくれ。んで、帰るぞ。忘れ物はねーか?」

「大丈夫。早く帰って食べようよ、パパ」

「だな。結構長居したし、もう少ししたらまた拠点変えるからな。今のうちに食べとけ」


 右腕が動かない男性に代わり、アリシエが最後の作業を行う。男性から渡された大きな布に、まだ血に濡れている肉塊や食べられる内臓をのせる。そしてその布を風呂敷の要領で素早く結いて両手で抱えた。屍から得られるだけの物資を奪うと、父子はその場から去っていく。





 アリシエとその父親が向かった場所は岩穴の中だった。入口は人一人がかろうじて通れるほど狭い。だが中に入ってさえしまえば人二人が暮らすのに困らない程度の空間が広がっていた。予め岩穴の中に薪の類を用意しておいたのだろう。二人は早速、持ち帰った人肉を火で焼き始める。


 皿なんてものはない。皿の代わりに使うのは、ジャングルから持ってきた大きめの葉っぱ。酷い時は少ない食糧を直接地面に置いて食べるしかない。箸やフォークなどあるはずもなく、手づかみで食事を行う。それでも食べる物があるだけまだマシで。何も無い時は空腹に耐えて寝るしかない。


「なぁ、アル。命を奪うために戦うな、守るために戦え。その刃の届く範囲でいい、攻撃出来る範囲でいい。大切なもの全て、自分の手で守れよ」


 男性はアリシエにそう語りかけると、その身体を抱きしめる。アリシエの存在を確かめるかのように強く強く。アリシエが息苦しくならない程度に強く抱きしめる。生きている人間の持つ温もりがアリシエを包み込んだ。


 アリシエはまだ幼い。故に、この世界に潜む闇を知らない。人の心の闇を知らないし、自分の置かれた立場を知らない。差別に溢れたこの世界で自分達黒人が生きる厳しさを知らない。


 シャニマの状況はいつ良くなるかわからない。男性がアリシエより先に死ぬことも十分にありうる。一人残されても生きていけるように、男性はアリシエに大切なことを伝えることにした。アリシエと一緒にこの地獄を生き抜ける自信がないからこそ、その決断をした。


「アル、よく聞け。今の状況がどれだけ続くかわからん。下手すれば俺が先に死ぬこともありうる。そうなった時はアル、お前は一人でこの世界を生きていかなきゃなんねー。ここまではわかるよな?」


 アリシエは突然の父親の言葉に、食べていた肉片を口から零した。慌てて落とした肉片を拾いあげて口に入れ、飲み込む。そして数回呼吸をしてから父親の顔をよく見た。


「前に言ったことあったっけな。俺は昔、ハベルトって国にいたんだ。ほら、この前皇帝って奴とその息子が来ただろ? その二人がいる国だ」

「パパが『アノリス』って呼んでた人とー、ダン様って人のこと?」

「そうだ。ハベルトは、俺達黒人には生きにくい国ではある。が、俺の恩人がいる国でもある。だから『困ったらハベルトに行け』。どんな形でもいいから、あかつきって苗字の奴かアノリスの下につけ。そうすりゃ、少なくともここよりはマシに暮らせるだろうよ」


 それは父親が過去に作った人脈を頼ることを示す言葉。わざわざ国まで指定したのには、彼なりの理由がある。彼は食事の手を止め、自らの銀色の目を指で示した。


「お前の目は俺と同じ、貴重な目だ。その目を見りゃ、アノリスも暁って苗字の奴も、お前に気付く。そんでお前に手を貸すはずだ。いいか? 『困ったらハベルトに行け』。これだけは、何があっても忘れんな」


 男性は多くを語らない。それは、アリシエに伝えたくないことがあまりにも多すぎたから。伝えるにはその内容が難しかったから。何より、自分の息子に「黒人は奴隷階級」なんてことを教えたくなかったから。アリシエはそんな男性の思いなど知るはずもなく、無邪気に笑っていた。

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