3-3 奇襲は突然に

 突然の銀牙ぎんがの登場に一番面食らったのはアルウィスだった。ハベルトに来た初日に手合わせを行い、その実力は知っている。しかし一昨日聞いた話では、銀牙は「当主会談の手配」という仕事を頼まれていた。本来なら今この場にいないはずの人物なのである。


「状況は?」

「先程あちらから矢が飛んできてから一分も経過していない。今頃次の矢を準備しているはずだ。その間に矢が飛んでこないことから考えて、現時点では敵は一名とみていいはずだ」

「なるほど。では、私が射手を探します。その間、ダン様はあなたにお願いしましょう。アル、くれぐれも油断しないように」


 金牙きんがから矢が飛んできた方角と時間を教えてもらうと、銀牙はすぐさま射手を探しに移動を始める。銀牙にダンのことを托されたアルウィスは、刀を構えて飛んでくる矢を警戒。さらに銀牙が動いたことによりさらなる敵襲があると見越し、いつでも動ける様に足先を軽く動かして調子を整える。


 ダンはと言うと、飛んできた矢がよほど恐ろしかったのだろう。色白の顔をさらに青白くし、わなわなと震えていた。一方金牙は、腰に身につけた護身用の剣を鞘から抜いて構えていた。先程矢に反応出来なかったからなのか、険しい顔でアルウィスの代わりに宮殿の方から来る人を見張る。


 その長剣は先端は薄く、軽く、反りのない真っすぐな刃を持っていた。それは確実に攻撃を当てることを重視した剣である。斬ることではなく突くことに特化した護身用の剣。武芸者にしては弱々しい身体をした金牙が所持していたのは、レイピアと呼ばれる剣である。


 アルウィスには、金牙が武器を構えたことに驚く余裕はない。身の毛がよだつほどの殺気を感じ、そちらに気を取られていた。しかしその殺気の主まではわからない。警戒するのに精一杯で、味方一人の変化になど気付くことが出来ないのである。


 アルウィス達がいるのは宮殿の裏門から出てすぐの場所だ。背後には宮殿を囲む壁がそびえ立ち、正面には石造りの民家が並ぶ。アルウィス達の左右には石のタイルで舗装された歩道が続いており、多くの国民が出歩いている。正門は門番こそいたが、正門の面する歩道を歩く人はほとんどいなかった。皇帝が裏門を勧めたのは、そこから出ればすぐに国民の群れに姿をくらますことが出来るから、なのだろう。


 しかし、一つだけ残念なことがある。歩道を利用する国民のほとんどは白人だ。有色人種は、黄色人種が白人に紛れてチラホラと歩いている程度で、数える程しか見当たらない。このため、歩道にいるただ一人の黒人であるアルウィスは悪目立ちしていた。道を行き交う人々がアルウィスの姿に暴言を吐き、わざとらしく避けていく。


 敵がダンを狙って矢を射ることが出来たのは、このアルウィスが理由である。アルウィスがいるために、ダンの周辺には不自然な空間が出来ている。この空間があるが故に、敵は国民を傷つける心配をせずに矢を射ることが出来た。国民の間に残る人種差別の認識が思わぬ結果を生み出すこととなってしまったのだ。





 アルウィスの存在がダンの居場所を敵に示している。それに気付いたからこそ、金牙はダンを移動させずにその場で戦うことを選んだ。どこへ逃げようとも、馬車に乗るまではこの不自然な空間が付きまとう。ダンを守るためとはいえ、元凶であるアルウィスを見放すなどという考えは金牙には無い。逆に、悪目立ちしている状況を利用して敵を捕らえようとすら考えている。


 最初の矢が飛んできてから一分が経過した頃。銀牙が射手を探すために移動してから僅か数秒後のこと。再びダンめがけて矢が飛んで来た。即座にアルウィスがその矢に反応し、太刀捌きで刀を振り下ろす。矢はアルウィス達の正面にある民家に向かって飛んでいく。


 二回目の襲撃は矢だけでは終わらない。矢に気を取られていた三人の背後、宮殿を囲む壁の上に武芸者の姿があった。その手に構えているのは、背丈とそう変わらぬ高さを持つ大鎌。頭上から襲いかかろうと隙を狙うその武芸者に、三人はすぐには気付けなかった。その反応の遅さが仇となる。


「上だ!」


 アルウィスが武芸者の存在に気付いて声を上げた時、すでに武芸者は壁から飛び降りていた。さらに、道行く国民に紛れていた敵がいる。武芸者としての殺気は愚か、存在感すら悟らせない彼に、アルウィスは真近で接近されるまで気付けなかった。彼は背後からアルウィスに襲いかかることでその動きを封じる。


 大鎌を持つ武芸者が頭上からダンに襲いかかる。助けようにも、襲われているアルウィスはその対処に追われ、動けない。今身動きが取れるのはレイピアを構えた金牙だけ。その金牙は、アルウィスの声でようやく、頭上にいる武芸者の存在に気付いた。しかし気付いた時にはもう、武芸者は目と鼻の先にいる。武芸者が大鎌を横に凪いだ――。


「金牙ー!」


 ダンの声が人通りの多い歩道に響いた。しかし、声に反応する者は誰一人いない。それは、ダンの近くに黒い肌の者がいるから。人通りの多い、裏門とはいえ宮殿に接している歩道で、本物の戦いが起きているなど夢にも思わないから。ダンの声にアルウィスの眉がピクリと動く。



 ダンの前には、膝をついて座り込む金牙の姿があった。その手には刃の折れたレイピアが握られている。服は胸部でパックリと裂けており、服の裂け目からはくさり帷子かたびらが見える。鎖帷子は斬撃の威力を削ぐことが出来るが、攻撃を完璧に無力化出来る訳では無い。その身に攻撃を受ければ傷こそ負わずに済むが、衝撃を殺すことは出来ない。


 金牙は薄い刃を持つレイピアで大鎌の斬撃を受け止めようとした。レイピアは攻撃に耐えきれずに折れ、殺しきれなかった斬撃は当然、金牙に襲いかかる。斬撃は鎖帷子によって受け止められたが、金牙はその斬撃の衝撃に耐えられなかった。その結果、膝をついて地面に座り込んでしまった、というわけである。


 金牙が座り込んだことで、大鎌の武芸者からダンを守る者がいなくなってしまった。アルウィスは未だ、国民に紛れていた敵と交戦中。敵は背後からアルウィスの顎下へと短剣をあてがっている。その左手はアルウィスの左腕を掴み、右足はアルウィスの右足に絡みつく。この体勢のせいで、アルウィスはすぐに動くことが出来なかった。





 アルウィスの顎下に短剣の刃が食い込み、薄らと血がにじみ始める。アルウィスの右足は、絡められた足によって宙に浮き始めた。不安定になったアルウィスの首に、短剣の刃がさらに深く食い込む。赤い血が首を伝い、足元の石材に数滴こぼれ落ちる。


 状況を打開するためにまず初めにアルウィスが行ったのは、左手に握っていた刀を手放すことだった。使用者を失った刀はそのまま、重力に従って地面に落下していく。それに気付いた敵が、絡めていた右足を使ってアルウィスの右足を払った。さらに、短剣で首を深く裂くためにとアルウィスの上体を前方へと後ろから押していく。


 左足一本で立つことになったアルウィスは体勢を崩し、背後から襲いかかる敵に重心を預ける形となった。その状態で今度は右手を敵の右肘の内側に入れ、そこから短剣と首の間に無理やり右腕をねじ込んだ。首への圧迫感が無くなり、代わりに右腕に短剣の刃が食い込む。


 頬の内側の肉を噛んで痛みに耐え、右腕だけで短剣を力任せに押し返していった。その際、腕の肉が抉れるのを覚悟して、腕の表面で刃を転がらせた。そして、剣背を前腕で押すことで右腕の損傷を必要最低限に抑えようとする。足元に、短剣によって裂かれた小さな肉片が落ちた。


 ついにアルウィスは短剣を首から引き離すことに成功した。敵の右腕の中から頭を抜いて首の安全を確保。そのまま右手で短剣を奪うと、短剣を口にくわえた。その刹那、わざと頭を後ろに反らして敵の下顎を攻撃。敵が気絶した隙に大鎌の武芸者を止めるべく、ダンの前に移動する。


 アルウィスの右腕からは血がしたたり落ちていた。だがその銀色の目は、瞬きもせずに大鎌を扱う武芸者を捉える。アルウィスがダンの前で拳を構えるまでの一連の動きは、拘束されてから一分以内に起きた。


 アルウィスは休む間もなく、一気に武芸者の懐に入り込む。左拳はその下顎を狙い、口にくわえたままの短剣は首筋を狙う。間髪入れずに攻めたのは、武芸者にダンを攻撃する隙を与えないためだった。大鎌はその柄の長さから、中距離での戦いに向いている。欠点は大鎌を振るう時に隙が出来てしまうこと。


 休まずにすぐ攻めることで、武芸者からダンを攻撃する余裕を奪った。さらに、自らが懐に入って武芸者の身体を強く押し、武芸者の身体を一歩後退させる。それは、ダンを大鎌の攻撃範囲から出すための苦肉の策。アルウィスに押され、武芸者は宮殿を囲む壁に押し付けられる形となった。その状態で、アルウィスのくわえた短剣が武芸者の首にあてがわれる。


 下顎を襲われた武芸者は、その拳によってのう震盪しんとうを引き起こして気絶。大鎌が武芸者の手から離れ、派手な音を立てて地面に落下した。武芸者二人を倒したことを確認すると、アルウィスの身体がその場で地面に崩れ落ちる。左手が、右腕の傷口を抑えた。





 アルウィスが気絶させた二人の武芸者はその後、宮殿のある都市クラウドの警察によって逮捕された。銀牙が追いかけていた射手は拘束された状態で警察に逮捕された。彼らの身元がわかり次第、金牙に報告がいくことになっている。


 敵襲を脱したアルウィス達三人は、警戒しながらもどうにか馬車に乗ることが出来た。アルウィスの右腕は応急処置をしてはいるが、屋敷に戻ってから治療する必要がある。金牙の方は鎖帷子を着ていたとは言え攻撃を受け、体力を削られてしまっていた。血に染まったアルウィスの左手が、ダンの手を掴んで離さない。


 ダンはというと、馬車の中からを謁見えっけん室のある場所を見ていた。宮殿に戻りたい、という気持ちがまだ残っているのだ。そんなダンの頭を金牙が弱々しく撫でる。ダンは、頭を撫でられる感触でハッと我に返った。馬車の外の風景から金牙へと視線を移す。その瞳は悲しげに揺れ動いていた。


「宮殿には戻るな。先の一件でわかっただろう? ダン様は、陛下の思いを無駄にされるつもりか?」


 金牙の言葉が胸に深く突き刺さる。何が言いたいのかがわかるから逆に辛い。冷たい言葉だが、それが皇帝と自分のためなのはダンが誰よりもよくわかっていた。皇帝は自らを犠牲にしてでも、ダンを生かそうとしているのだ。実際、宮殿を出ただけで刺客に狙われてしまった。アルウィスと銀牙がいなければ、ダンはすでに死んでいただろう。


 ダンは躊躇ためらいがちに首を横に振る。宮殿に戻ってはいけないことくらい、理解していた。だが、どんなに頭ではわかっていても、本心までは変えられない。心が頭に追いついてくれない。だから心が苦しい。


(父上。我は宮殿にいたい。しかし父上は我を思って、このような決断をされたのじゃな。我は知っておるぞ)


 本当は宮殿に戻りたい。皇帝と共にいたい。しかし後先を考えずに自分の願いを優先してはいけない。未来の皇帝なら、今出来る最善の選択を考えなければならないからだ。それがダンに課せられた使命でもあった。ダンの濃い青色の目が金牙とアルウィスを見る。


 金牙は先の戦いのせいか、疲労の色が濃く出ている。アルウィスは右腕を負傷し、首にも傷が出来ている。これらは、二人がダンを守るために払った代償であった。ダンに今出来る最善の選択は、金牙とアルウィスの近くにいること。皇帝の行為を無駄にしないためにも、人に守られてでも生き延びる必要がある。


「アル、金牙。我は……我は、強くなるぞ。だから我を、鍛えてほしい。我は、宮殿にいても無様ぶざまに死なないだけの力が欲しい! 守られずに済むだけの、力が欲しいのじゃ!」


 声量こそ抑えてはいたがその声からは決意の強さと悔しさを感じられた。ダンは避難しなければならないほど弱い自身を呪ったのだ。アルウィスや金牙が代償を払わなければ守れないほどの敵に狙われた、自身を呪った。だからこそ、彼は力を欲する。


 守られずとも死なないだけの力が欲しいと。強くなって、命を狙われても宮殿で暮らせるようにしたいと。願わくば、少しでも早く宮殿に戻りたいと。この宣言こそがダンなりの決意表明の証だった。

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