第三章 相縁奇縁は異なものなり

3-1 それは小さな小さな奇跡

 アリシエとソニックがあかつき家に雇われてから三日目のこと。アリシエは金牙きんがと共に、中央都市クラウドを訪れていた。皇帝が暮らしている宮殿に用があるからだ。


 宮殿は上から見ると正五角形、屋根は正五角錐という特徴的な形をしていた。屋根は面ごとに色が違い、赤、緑、青、黄、青みがかった白の五色となっている。五階まであるであろうその建物は白壁に窓が並ぶ、あかつき家の屋敷とあまり変わりない構造をしている。違うところと言えば正五角形という宮殿の特徴的な形とその大きさくらい。


 暁家の屋敷は一般的な屋敷なのだが、宮殿はそれよりはるかに大きな建物である。建物の周りをぐるりと壁が囲っており、唯一の入口とされている正門には門番二名が待機している。


「暁金牙様とその従者でございますね。話は聞いております。どうぞお通り下さい」


 門番は金牙とアリシエの姿を見るとあっさりと門を通した。あらかじめ皇帝が話を通しておいたのだろう。皇帝が差別反対の意を示しているためか、黒人であるアリシエが中に入ることをとがめない。金牙はアリシエの手を掴むと早足で宮殿へと入っていった。



 宮殿の中は広い。エントランスだけでも暁家の屋敷の倍以上の面積があり、多くの白人がいた。そのほとんどは使用人ではなく内政のために宮殿務めをする政治家だ。金牙とアリシエが宮殿に足を踏み入れた途端に場の雰囲気が一転する。


 ある者はヒソヒソ声で話を始め、ある者は遠くからアリシエのことを指で示して嘲笑あざわらう。またある者はわざとアリシエに近付き、すれ違い様にぶつかってくる。何もしない者もいるのだが、そういった者達は気まずいのかすぐにエントランスから離れてしまう。


「黒人がなんでここに来てんだよ」

「相変わらず気味悪い見た目だ」

「どの面下げて宮殿に来てんだ?」

「ぶつかっといて謝りもしないんだな」

「言葉、話せるか? 言ってることも理解できないのか?」


 宮殿の中に足を踏み入れただけで絡まれるアリシエ。耳に入る言葉達からは、アリシエ――奴隷階級とされる黒人への敵意を感じる。予めこうなることを予想していたのだろう。金牙はそれらに反応しなかった。ただ、アリシエの手を引いて前に進むだけ。


「おい。ぶつかったら謝れよ、黒人こくじん風情ふぜいが」

「怪我をさせたら土下座するのが普通だろ? もしかして土下座も知らないのか?」

「あぁ、臭い。やっぱり蛮族は臭うねぇ」

「いくら戦闘員で雇ったからって、ついに黒人を宮殿に連れてくるなんて。暁家は大丈夫?」

「法的には平気だけど……やだやだ。俺は黒人と一緒になんて働きたくないよ。あんな奴隷階級の奴と同じ扱いなんて、反吐へどが出る」


 自らアリシエにぶつかりにいった者達がアリシエの背中に文句を言う。その様子を見ていた周りの者達の声が、アリシエに聞かせるためなのか大きくなる。その言葉に声に、アリシエの手を掴む金牙の力が強くなった。歩く速度も無意識のうちに速くなる。


 直接身体的、精神的に危害を与える者達は人種差別を容認している過激派。影で噂したり嘲笑う者達は人種差別を黙認している傍観者。気まずそうに顔を逸らしたり場を離れる者達は人種差別に反対するも何も出来ない者。


 いかに国や法が禁じていようとも、差別はそう簡単には無くならない。人の心までは法で縛ることが出来ないからだ。故に、今でもこのように差別が根強く残っている。有色人種が何らかの形で戦果を出せば少しは何かが変わるかもしれない。そんな僅かな可能性を信じて、金牙を含む皇帝派は今動いている。


「アル、走るぞ。ついてこい」

「う、うん」


 今の状況を不利と判断したのだろう。金牙はアリシエの手を引くと、エントランスの奥にある階段を駆け上がる。エントランスでアリシエに絡んだ者達は階段を上ってまでは追いかけてこなかった。先ほど絡んだのはただの暇つぶしだったのだろう。追いかけて来ないとわかっているのに、金牙は階段を上る速度を緩めない。


 そのまま宮殿の最上階である五階まで駆け上がると、ようやく金牙は止まった。元々体力のある方ではないのだろう。顔を真っ赤にして荒く息をし、時々えずいている。身体がふらついて倒れそうだった。それでも倒れまいと壁に手をついて身体を支え、必死に呼吸を整えている。


 そんな金牙を心配そうに見るアリシエはと言うと、汗一つかいていない。呼吸もあまり乱れておらず、その様子からアリシエがそれなりの持久力を持っていることがわかる。階段を駆け上がる程度の運動はアリシエにとって朝飯前のようだ。どちらかというと金牙の体力のなさの方が異常なのだが。


 今度は五階の廊下を歩いて目的地へと移動。目指しているのは皇帝が公務を行う部屋――謁見えっけん室。五階まで向かうと、もうエントランスのようにわざわざアリシエに絡む者は存在いない。それどころか巡回している者以外は人がいなかった。





 赤い絨毯じゅうたんの敷かれた広い五角形の部屋。部屋の中央にあるひじ掛け付きの椅子は背もたれがかなり大きめに作られている。その近くにはソファと小さめの机が用意してある。


 天井に付けられているのは巨大なシャンデリア。天井に描かれているのはハベルトの地図。シャンデリアと椅子と机以外には特に目立つ物はない。皇帝のいる部屋だというのになぜか少し物寂しく感じる。生活感のないその部屋は、公務のための部屋なのだと誰の目にも明らかである。


 その部屋、謁見室には二人の人物が待機していた。一人は肘掛け椅子に座り、顔は白く薄い布で隠している。もう一人は顔を隠しておらず、ソファに座っていた。


「金牙!」


 金牙とアリシエが部屋に入ったことに気付いたのだろう。ソファに座っていた人物が二人の元に駆け寄る。かと思えばギュッと金牙の腰にまとわりつく。子供のような仕草に思わず二人の顔がほころんだ。


 背丈はアリシエの肩ほど。人目を引く白銀の髪は目や耳にかからない程度の長さ。金牙達と同じ濃い青色の目は微かに潤んでいる。牛乳のような濃い白色の肌は、光加減によって白銀の髪と部分的に同化する。幼さの残る顔つきから、十代前半の少年であると推測できた。


 涙がこぼれないように下唇を強く噛みしめている。だがその仕草に反して口角は上がり、両頬に一つずつえくぼが見える。それはアリシエの太陽のような眩しい笑顔とは違い、儚さと美しさを兼ね備えた綺麗な微笑みだった。


「ダン様、どうか――」

「敬語はやめろ! そう、何度も言うておるではないか。我は遠戚に敬語を使われとうない」

「わ、わかった。わかったから離れてくれ。腰に抱きつかれたら歩きにくいんだ」

「すまぬ」


 金牙に言われ、少年――ダンは素直に金牙の身体から離れる。その話しぶりや表情から、二人の仲が親しいものであるのは一目瞭然。その様子をぼんやりと見ていたアリシエは、不意に熱い視線を感じた。


 視線の正体はダン。金牙にまとわりつくのをやめたダンが、綺麗な微笑みを浮かべたままアリシエのことを見ているのだ。その双眸そうぼうが頭の先からつま先まで、アリシエの姿をじっくり観察する。次の瞬間、変化が起きた。


 ダンの濃い青色の瞳にはみるみるうちに涙が溜まっていく。嬉しいような、寂しいような、喜んでいるような、悲しんでいるような。美しい笑顔に様々な感情が入り交じる。しかしアリシエにはその意味がわからない。少年に会うのは初めてのはずで、どんなに記憶を遡っても少年に似た人物は見つからない。


「……てた」

「え?」

「生きてた。生きてたんじゃな、アル! 心配しておったのだぞ。我は……我はずっと、お主のこと――案じて、おったのだぞ」


 最後の方の言葉はくぐもって聞こえにくい。言葉の合間合間には嗚咽おえつが混じる。しかし少年の言葉の意味がわからないアリシエは、泣きじゃくる少年を見ても首を傾げることしかできない。


 そんな少年ダンとアリシエの正反対な態度に金牙が眉を潜めた。何かがおかしいと、その違和感を敏感に感じ取ったのだ。どうやらダンと会った時の記憶がアリシエから抜け落ちているらしい。だがダンはアリシエの異変にすら気付かない。


「落ち着くんじゃ。アルにも事情がある。そう、何度も説明したはずじゃ。違うか? 親王しんのうたるもの、いてはならぬぞ。まずは落ち着いて座ってから自己紹介。それが、客人を迎える態度じゃ。ほれ。金牙もアルも、まずは座りなさい」


 場を納めたのは肘掛け椅子に座る人物――皇帝である。皇帝は平然と二人の名を呼ぶが、アリシエはまだ自己紹介をしていない。それなのに皇帝もダンも、アリシエのことを愛称である「アル」と呼んでいる。その様子から察するに、過去に会ったことがあるのだろう。


 皇帝に指示され、少年ダンは渋々ソファに座る。金牙とアリシエはダンの向かい側にあるソファに座ることにした。が、金牙は皇帝とダンのアリシエに対する態度に疑問を感じる。アリシエはアリシエで、その親しげな態度に困惑しているようであった。





 何とも言えない静けさが部屋を包み込む。あまりに静か過ぎて、階下の物音が聞こえるほどだ。そんな静けさを破るように口を開いたのは、白銀の髪を持つ少年ダンだった。


「先ほどはすまぬ。つい、我を忘れてしまった。なんとも情けないことじゃ。申し遅れたな。我が名はダン。ダン・シェパードじゃ。実は、今から十年ほど前に我と父上はお主に会っておるのじゃよ、アル」


 アリシエの愛称である「アル」で呼びかけながら悲しそうに微笑むダン。先ほどのやり取りで、アリシエが自分のことを覚えていないことを察してしまったのだろう。それでも動じないのは、事前にその可能性を考えていたからだろうか。


「そうなんだ。覚えてなくてごめんね。僕、十年くらい前? から少し前まで、記憶が途切れ途切れなの」

「大丈夫じゃ。お主が生きておったとしても記憶が飛んでおることくらい……わかっておった。それでも、我と父上は会いたかったのじゃよ」

「わかって、いた? どうして?」


 残念ながら約十年前に会ったことをアリシエは覚えていない。それどころか当時の記憶すら曖昧あいまいで、ダンと皇帝のことは愚か自分のことすらまともに覚えていなかった。だが今、それより問題なのは、アリシエの記憶が消えていることを事前に想定していたダンと皇帝である。


「お主のいた環境は相当酷かったはずじゃ。噂には聞いておるからのう。幼い子供なら、記憶を無くしでもしなければ耐えられなかったはずじゃ。それでも、生きていてくれればよかった。

 もし会った時に我を忘れていたら……もう一度友になろうと決めておった。のう、アル。我と、友になってはくれぬか?」


 頭で理解していても心が追いつかない。ダンは今にも泣きそうな顔をしていた。それでも泣かないのはアリシエをこれ以上混乱させないため。弱々しい微笑みと共に右手を差し出す。


 何一つ連絡手段のない中で、約十年の時を経て再会する。それがどれほど奇跡的なことなのかはアリシエでも理解出来た。これは偶然に偶然が重なった結果起きた、小さな小さな奇跡なのだ。


 アリシエはダンの手を取ろうと右手を差し出す。二人の右手が触れようとしたその瞬間、それに待ったをかける者がいた――。


「悪いな。やっぱりに隠すの、無理だ」


 その声はアリシエの身体から発せられた。だが声の高さや口調は先ほどまでとはまるで別人。丸み帯びた目つきは鋭い目つきへと変化している。


 ダンとアリシエを止めた者。それはアリシエの別人格であるアルウィスであった。何故かダンのことを「皇帝様」と呼んでいる。本当の皇帝はダンではないというのに。しかも変化はそれだけではない。


 「皇帝様」と呼ばれたのに、ダンはその呼び名に反応したのだ。悲しみに満ちた瞳は一転して喜びの色を見せる。口角が上がり、懐かしそうに目を細めた。「皇帝様」の呼び名にはそれだけの思い入れがあるようだ。


「アル。我のことを思い出したのか?」


 アリシエとアルウィスの違いに気付いていないダンの声を最後に部屋が静まり返る。金牙は思わず、その場で呆れながらも頭を抱えるしかなかった。





 そもそも金牙は多重人格というものを疑っている。受け入れようとしているのだがすぐには無理だった。そんな状態で他人に上手く説明できる自信もない。だからこそ、ダンにはそのことを伏せようと思っていた。なのに――。


(いや、事前に警告しなかった僕も悪い。それに起きた事は変えられない。さて、どう説明すればいいんだ?)


 金牙が頭を抱えたのはアリシエとアルウィスの説明の難しさのせい。どう説明しても納得してもらえる気がしない。金牙自身も完全には納得出来ていないのだから。


「思い出した、とは少し違うな。なんて言えばいいんだ? 上手く説明出来ねー」

「説明するなら先に言え。全く……。仕方ない。僕が代わりに説明してやろう。先に言っとくが、僕はまだお前を信じたわけじゃないぞ? お前から聞いた話をわかりやすくして伝えるだけだからな」


 多重人格について説明しようとするも言葉が浮かばないアルウィス。そんなアルウィスに手を差し伸べたのは金牙だった。信じてないことを強調した上で、金牙はダンの顔を真っ直ぐに見つめる。


 大きく深呼吸をした。ダンがアルウィスの方とも何らかの接点があるのは明らかだ。アルウィスの態度からそれは間違いない。だからこそ、金牙は頭を回転させて最善の言葉を紡ぐ。


「アルの身体には複数の人格があるらしくてな。さっきのダン様――ダンのことを覚えていない方がアリシエ。『皇帝様』と呼んだ方がアルウィス。基本はこの二人らしい。他の人格は知らん。僕の見ている限りでは現れてすらいないからな」

「で、皇帝様って呼んでたのがこの俺、アルウィスだったってわけだ。ややこしくて悪いな」


 金牙の言葉にダンはポカンと口を開ける。驚きながらも必死に頭を回転させて理解しようとし、思案顔になった。多重人格なんてこと、初めて会うはずの人間が信じられるだろうか。答えは否。よほどの証拠がなければそんな現象、信じられるはずがない。


「アリシエも会ったことはあると思うぜ。ただ、記憶が抜け落ちてるってだけ。そこは悪く思わねーでくれ」

「……では、お主が別人格とやらであるならば答えられる質問をしようかのう。お主、『皇帝様』の由来はわかるか?」


 話を聞いてようやくダンが発したのは、アルウィスがダンを呼ぶ時の愛称の由来。過去に会ったかどうかを確認するにはこの質問が最善であると判断した。なぜならその由来は、当時やり取りをした張本人でなければ知らないはずだから。


 金牙は顔には出さないが驚愕きょうがくしていた。ダンはあっさりと多重人格を認め、アルウィスを試すかのような質問を投げかける。それが信じられなかった。少なくとも疑り深い金牙には出来ない芸当だ。


 さて、質問をされた側であるアルウィスは余裕があるのか歯を見せて笑っている。ダンの質問に悩む素振りすら見せない。アルウィスにとっては悩むまでもない質問なのだろうか。

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