第93話 ダメ姉は、涙を流される

 ~SIDE:コマ~



 ―――いつもにこにこ素敵な笑顔で私のすぐ隣に居てくれたマコ姉さま。どんな時も私を明るく支えてくれたマコ姉さま。今も昔も全く変わらぬ気丈さと強さで私を守ってくれたマコ姉さま。


『……うなされて、夢の中で私に助けを呼んでいるコマを見るとね、私もそんなコマにシンクロするように……6年前のあの日を思い出すの。あの日のコマの姿が頭の中でフラッシュバックされるの』


『コマの味覚障害の原因も私。コマと自分が口づけせざるを得ないような可笑しな状況を作り出したのも……その異常な行為を依存させてしまったのも私が悪いの…………そう……ぜんぶ、なにもかも、このだめなわたしが、わるいんだ……ッ!』


『私は……妹一人守れない、守るどころか追いつめてしまった最低な人間なんだ。…………そんな私には、妹を差し置いて誰かに付き合うなんて出来ないし―――誰かに好きになって貰える資格なんてないんだよ……』


 …………そんな太陽のように輝いている姉さまにはとても似つかわしくない衝撃の告白に、思わず慄く私。

 声は弱弱しく震えていて、表情はゆがんでいて、瞳は焦点を失いどこか虚ろで……


「ぁ……ぁ、あぁ……」


 ……そんな姉さまの悲痛な告白を聞いていたら。そんな姉さまの辛そうなお姿を見てしまったら。途端に手足が震え出し、息が出来なくなりそうになります。身体中を流れる血液が逆流するような感覚に襲われて、クラクラと眩暈がします。


「(私の、せい……?まさか……姉さまの卑屈さの原因は……この、私……?姉さまを苦しめていたのは……私……?ぜんぶ、わたしの……せい……?)」


 …………気づけば私は屋上から立ち去って―――いいえ、逃げ去っていました。


「(ごめ……なさい…………ごめんな、さい……ごめんなさい……姉さま……!)」


 心の中で必死に姉さまに謝罪をしながら、ただ一心不乱に学校を飛び出す私。……本来ならば、屋上へと出向き……姉さまに『そんな事はありません!』と伝えてあげなきゃいけないのに。せめて、ここまで来たら姉さまの告白の返事と叶井さまの反応を見届けなければならないのに。


 自分自身が、最愛の姉さまを……気が遠くなる程に長い時間苦しめ続けていたと分かったら……もう耐えられませんでした。



 ~SIDE:マコ~



 告白してくれたカナカナに心からの感謝と……そしてどうしても付き合えない理由を説明した私、立花マコ。


「私は……妹一人守れない、守るどころか追いつめてしまった最低な人間なんだ。…………そんな私には、妹を差し置いて誰かに付き合うなんて出来ないし―――誰かに好きになって貰える資格なんてないんだよ……」

「……マコ、あんた……」

「ましてカナカナみたいな素敵な人に好きになって貰える価値なんて一つもないの。だから……ごめん、ごめんね。私……カナカナとはお付き合い出来ません……」


 そう言って頭を下げて謝罪する私。


「…………ハァ……」


 そんな私に対して、カナカナは今日一番の溜息を盛大に吐き―――


「―――バッカじゃないの!?」

「……へ?」


 額に青筋を寄らせつつ、そう言い放った。


「一体どんな深刻な理由があるのかと身構えてみれば……そんな理由!?あんたこのわたしをそんな理由で振ったって言うの!?」

「え、え……?」

「マコはわたしを舐めてんの!?あんまりふざけた事を言うつもりなら、あんたを無理やり犯すわよ!?」

「お、おかす……ッ!?」


 私の胸倉を掴み激怒するカナカナ。な、なんか怒りのあまりトンデモない事口走っていませんかねカナカナさんや……!?


「自分には好きになって貰える資格がない?好きになって貰える価値もない?……何よそれ。わたしの事、バカにするのも大概にしなさいよマコ!そんなくだらない誤魔化しを使って振られるくらいなら、ハッキリと『カナカナが嫌いだから付き合えない』って言われた方が100倍マシよ!」

「んな!?ちょ、ちょっと待ってよカナカナ!?私、カナカナの事バカになんかしてないし、嫌いだなんてそんな……そ、それにくだらない誤魔化しって何さ!?……わ、私は別に何も誤魔化してなんかいないよ!?」

「誤魔化してるわよ!わたしに対しても、!」

「……カナカナにも……自分の気持ちにも……誤魔化している……?」


 な、なんだ?カナカナは一体、さっきから何が言いたいんだ?


「……まさかあんた、自分が大事な事を誤魔化しているって自覚が無いわけじゃないわよね?」

「な、何の話さカナカナ」

「……自覚無しときたか。ほんっとに……世話の焼ける子なんだから……」


 素直に疑問の声を上げる私に、カナカナは苦虫を噛み潰したような表情で額に手を当ててまたもや溜息。


「……いいかしらマコ。あんたもこの一週間無い頭を振り絞って尤もらしい言い訳を考えたんでしょうけどねぇ……その言い訳じゃ説明のつかない事があるでしょうが」

「ど、どういうこと……?」

「……マコは覚えているかしら。この間の……罰ゲームの話になってさ、わたしがあんたにキスをねだった時の事を。あの日のあんたは……わたしとのキスを拒絶して、このわたしを突き飛ばしたでしょ」

「あ、ああうん……それは勿論覚えてるけど」

「……そう、覚えているのね。だったら聞くわマコ。どうしてあんたはあの時……わたしを突き飛ばしてまでキスを嫌がったのかしら?」

「……ッ!?」


 カナカナの鋭い指摘に対して身じろぎをしてしまう私。……それは、ここ一週間ずっと頭を悩ませていた一番の疑問だったのだから。


「ほら、答えなさいよマコ。それはどうして?どうしてわたしとのキスを拒絶したの?」

「……それは、その……」

「それは?」

「あ、あの時は……周りに人が居たから……下手をしたら大騒ぎになってたし……」

「…………ふーん。そうなんだ。なら―――ここにはわたしとマコの二人だけなんだけど……キスをしても良いのかしら?」

「っ!?だ、ダメ!それはダメ……ッ!」


 濡れて光る唇をそっと私のに近づけようとするカナカナから、大慌てで距離を取ってしまう私。あ……あれ……?ま、また私……


「……マコ。どうして今もわたしとのキスを拒絶したの?ここはわたしたち以外誰もいない、誰にも見られることも無い二人っきりの屋上よ」

「あ、え……いや、あの……えっと…………それは、やっぱり……」

「やっぱり?」

「わ、私には誰かに好きになって貰える資格がないのと同じで、キスして貰える……資格も……」

「……まだ誤魔化そうとするのね」


 口をもごもごさせながら言葉に詰まる私に対して、カナカナは少しイライラした様子で更にこう尋ねてくる。


「…………質問を変えましょうかマコ。だったらどうしてあなたは……コマちゃんとのキスは拒否しないの?」

「ぇ……」

「先に言っておくけど……味覚を戻すっていう例の口づけの話じゃないわよ。罰ゲームとしてのキスの話。確かマコは、コマちゃんの前で卑屈な発言をした場合、コマちゃんにキスされるって罰ゲームを二人の間で設定したって言ってたわよね?」

「う、うん……」

「……さて、じゃあもう一度聞くわ。どうしてわたしとキスするのはダメで……コマちゃんとのキスはOKなの?」

「……そ、れは……」

「おかしな話じゃないの。マコはコマちゃんにこれ以上ないくらいの負い目があるのよね?だったらあんたの思考回路的には……『私にはコマとキスする資格も、キスされる資格もない』―――なんて考えるのが普通じゃないの?今わたしを拒絶した以上に、強くキスを拒絶するんじゃないの?違う?」

「…………」


 ……カナカナの言う通りだ。本来ならカナカナにキスを迫られた時のように……コマに対しても―――いいや、誰よりも申し訳なく思っているコマだからこそ……私は味覚戻しの口づけ以外のキスを……拒絶するんじゃなかろうか。

 だったら……どうしてコマとの罰ゲームを拒絶しないんだ私……?どうしてコマは例外なんだ……?


「答えられないんでしょ。だから、そこを誤魔化しているって言ってんのよ……!自分には誰かに好きになって貰える資格も価値も無く、それ故にキスされる資格もない?…………違うでしょ!?そうじゃないでしょ!?マコ、あんたは……あんたはね……ッ!」

「私は……?」

「あ、あんたは…………ただ一人の人間を除いて、キスされたくないのよ……!そうよ。立花マコは、立花コマ以外の人間と、キスする事もされる事も望んでいないのよ……!」

「……コマ以外の人間と、キスしたくない……」

「それがどういう意味なのか、おバカでダメダメなあんたにも分かるようにハッキリ言ってあげるわよ……!立花マコは……あんたは……ッ!」


 目の縁にうっすらと涙をためながら、カナカナは大きく深呼吸。そして魂を込めてこう続ける。


「あんたはね…………コマちゃんの事が好きなのよ……ッ!家族としてだけじゃない。姉としてだけでもない。一人の人間として……コマちゃんの事が好きで好きで仕方がないのよ……ッ!あんたは、妹のコマちゃんに、……ッ!」

「…………ぁ」


 ……それは私が、一週間かけても出せなかった問題の答え。いや、本当は分かってた。多分最初から自分の中に存在していて…………でもカナカナの言う通り、誤魔化し続けていた答えだった。

 『家族として、姉として以上に……立花マコとして、コマの事が好き』という答えだった。


「わたし……ホントは分かっていた!……一週間前にあんたにキスをねだって……それをハッキリとした形で拒絶された時点で完璧に理解できたわよ……ッ!マコはコマちゃん以外の人間と、唇を交わすのを望まないって事が!マコはコマちゃんの事が好きだって事が!マコがコマちゃんに本気で恋をしているって事が!」

「ぁぅ……」


 胸倉を掴む手は震え、次第に声はかすれていく。それでもカナカナは私に強い自身の思いの丈を懸命に打ち明けてくれる。


「だからここに来る前からもう分かっていたわ……!わたしのこの恋は、きっと実らないだろうって……!絶対に振られるんだって……ッ!そ、それでも……振られると分かっていても、この場所に来たのは……せめて……せめて好きになったマコの口から……『好きな人が居るから付き合えない』って言って欲しかったから……!そうすれば、きっと諦められるって思ったから……!」

「か、カナカナ……」

「ううん、そうじゃなくても『今はそういう事は考えられない』とか……あなたになら『タイプじゃないからゴメン無理』って拒絶されたって構わなかった……ッ!どんな形でも良い、好きになったマコの素直な気持ちをぶつけて貰えたなら、わたしはそれで満足出来たはずだった!でも、でもね……!」


 顔を真っ赤にし、肩を震わせ、握りこぶしを作ったカナカナは……私の胸を叩いて叫ぶ。


「まさかマコに……自分の気持ちを誤魔化され『好きになって貰える資格がない』『カナカナに好かれる価値が無い』―――なんて、わたしをバカにするような言い訳を使って、わたしの恋を否定されるとは思わなかったわ……ッ!」


 カナカナの一言が私の胸を深く深く突き刺す。


「……わ……わたしは……わたしはね。今でも……初めてマコと会った時の、マコの言葉を一言一句漏らさずに覚えている。あの日のマコは―――」


『だってたった一度きりの人生なんだし、誰を好きになってもそれは私の自由でしょう?誰にどう思われようと関係ないし、この気持ちを他の誰に否定される謂れもないよ。……つーかさ。一度っきりの人生だからこそ、一番好きになった人を好きでいなきゃ勿体ないじゃないの』


「―――こう言ってくれたのよ」


 それは入学してすぐの話。私にとってはうっすらとした記憶しかないほんの些細な出来事。

 けれどカナカナにとってはわたしを好きになってくれたきっかけとも言える、衝撃的な出来事だったそうだ。


「当時失恋して傷ついていたわたしにとって、そのマコの言葉は救いだった。立ち直る勇気をくれる言葉だった。また頑張って素敵な恋をしようって思える力強い言葉だった。そうよ…………他でもない、立花マコ……あんたがわたしに言ってくれたのよ……ッ!『誰を好きになっても自由』だってね……ッ!」

「……カナカナ」

「そのマコが……コマちゃんに恋している自分の気持ちを誤魔化した挙句……『自分には好きになって貰える資格がないです。好きになって貰える価値もありません。だからごめんなさい付き合えません』―――なんて言い出すですって!?ふざけるにも程があるわ!バカにするにも程がある!ダメだダメだと思っていたけど……ここまでダメな子だとは思わなかったわ……ッ!!!」

「ご、ごめん……」

「人から好かれるのに、人を好きになるのに……資格は必要なの!?恋する事は自由じゃなかったの……!?あの日のわたしに言ってくれた言葉の全ては嘘だったとでも言うの……!?」


 ……今になって、ちゆり先生やヒメっちの忠告が身に染みる。ああ、そうか……二人が言っていた『考えすぎるな。自分の素直な気持ちをぶつけろ』という忠告。あれは……こうなる事を二人とも予測していたのか……


「お願い、お願いよ……あなたが他の誰かに恋していること自体は構わない。わたしを振ること自体は構わない。でも、でもね……振るならせめて『他に大好きな人が居るから。コマが好きだから』って言ってよ!自分の気持ちを誤魔化さないでよ!わたしがあなたに恋をした事を、『好きになって貰える資格も価値もない』なんて一言で否定しないでよ……ッ!」

「うん、うん……!ごめん、ごめんよカナカナ……!」

「……そうやって、簡単に謝るくらいなら……最初から……あなたに恋をした事が、決して間違いじゃなかったって思える……そんな素敵なあなたで居続けなさいよばかぁ……ッ!?」


 そこまで言い切ると、カナカナは堤が切れたように目から大粒の涙を溢れ出させ、膝をついてその場で泣き叫ぶ。

 そんなカナカナに寄り添うように抱きしめながら、私はもう一度だけ心の中で謝り―――そして感謝した。


「(ごめんねカナカナ……知らず知らずにあなたの恋を否定してしまって。そして……ありがとう。私の恋を気付かせてくれて……)」

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