056話 聖なる雫 / 後編
「やっぱりこの俺がいないと、締まらねえよなっ!」
復活したラックが正面に手を突き出すなり、指をこすって軽快な音を鳴らすと、魔法陣が輝いてすぐに波紋が広がった。その波紋はルベンの衝撃波を打ち消してマルー達を解放する。これを目にしたルベンは、目と口を開けたまま動かなくなった。
「あれ? どうしたんすか先生? ありったけ魔力を吸い取ったはずの俺がどうしてぴんぴんしてるのかって、聞きたいんですか?」
挑発的な態度で距離を詰めるラックから驚きのあまり後ずさるルベン。その表情は今までとは明らかに違い、額には汗が滲んでいた。
「それは俺が、あなたが認めた優秀な魔法使いだからに決まってますよ。だから先生がどんな魔法を使っても、俺はそれを凌駕出来ますよ」
「な、何ヲ言っているんだね! 私より崇高な人間ガ居てたまるものか!」
「おっと!」
激昂したルベンが放ったらしい雷撃はラックの上空で弾かれた――彼を中心に張られた半球状の魔法壁によるものだ。今までの相手とは段違いの対応を受けルベンは歯ぎしりする。
「落ち着けって先生。そんなに魔法をぶつけたいなら正面からどうだ?」
「――君ニ私ノ魔法ヲ全て受け止められるかな!?」
挑発されるがままルベンは両手からあらゆる魔法を放出してきた。それらをラックは先程放った魔法壁一つで防いでゆく。
「すごい! いろんな魔法をずっと防いでいってるよ!」
「あいつの魔法は誰よりも高い完成度を誇ってるの。簡単には破れないわ」
「ですが、ラックさんが自ら言った通り、機械で魔力を吸われて間もないですわ。状態は万全ではないはず」
「万全じゃないのは向こうも一緒だわ! あたし達がどんだけ弱らせたと思ってるのよ!」
「それに、ラックの後ろにはボールがついてるから、きっと大丈夫だよー」
だと良いのですが、とフロウが視線を送った先で、魔法の攻防戦は続いてゆく。
「このまま耐え抜くぞ、ボール」
「おう。って言っても――」
「余計な話はするなよ」
言われて顔をしかめるボールだがラックは気に留めない。真っ直ぐ相手を見ている彼は滝のように汗を流していた。
背に張り付くシャツの湿り気。力むべく喉から絞った獣のような唸り声。水を与えればすぐ蒸気にしそうな熱を放出する身体等。相手の魔法と魔法壁が放つ鮮やかな輝きで霞むこれらは、明らかにラックの労苦であり、実力の限りが生み出したものだ。そう思ったボールからしかめっ面は消えていた。
「――泥臭いやつ」
「あ? 何か言ったか!?」
「気にするな。集中してろ」
言ってボールは自身の手をラックの背中に添える。その効果か否や、彼が張る魔法壁に輝きが増した。
「まだ君ハ私ノ魔法ニ耐えるか! その魔力ハどこから湧いて出てくるのかね!」
「俺の身体からに決まってるだろ? それ以外に何があるんだ?」
「君ニならいくらでも思いつくだろう? 例えばそうダ。誰かから魔力を供給してもらったダとか」
「っ!」
「大丈夫だボール。平静を保て」
「何故大丈夫ト言い切れるノかね?」
「は?」
「っ、まさか――!」
問いかける声が聞こえた直後にボールが後ろに振り返ると、既に彼の目には火球が映っていた。
「「「 ボール!? 」」」
「「 ラック(さん)!? 」」
マルー達すらも目を疑う展開だった。魔法を乱射していたはずの位置にルベンはおらず、代わりにボールとラックが転がり込む。そして彼らがいた位置には、ここまで無かった魔法陣が小さく敷かれており、その上にルベンが立っていた。
その人はマルー達の方へ向くと、首を傾げながら「おやぁ?」と切り出す。
「仲間ノ君達ハ何故そんなニ驚いているのだね? ……まさか君達、私ガ純粋ニあの壁を壊しニかかっているト思っていたのか!」
ルベンは吹き出す。
「ならば私ガ解説しよう。私を挑発し、私の魔法を防ぎ続けるラック君を見て、君達ハ彼ガ全快したト思っていたのだろう? しかし実際ハ、後ろニいた彼ノ魔力ヲ媒体ニしていただけ。ラック君自身ノ魔力ハからきしなのダよ」
「からきしだぁ?」
突然飛んできた言葉の主はラック。ボールと共に、片膝をつきながらも身体を起こした。
「俺は、優秀な魔法使いで、いずれ賢者になる、男なんだ。俺をなめてたら、痛い目に遭――」
「ラック! 無理すんなって」
「んなこと言ったって――はぁ、ぁあくそぉ……」
倒れそうなところを支えたボールに諭されてもなお立とうとするラック。だが彼は足を滑らせるばかりか、喋ることもままならず、戦闘することは困難だと誰から見ても明らかだった。
「どうだ君達、治癒魔法“ライフ”ハ身体的疲労ヲ回復するものの、魔力までモ回復させることハ不可能ダと、よく分かっただろう? ここまで把握している私ハあえて彼らノ挑発ニ乗り、うまくいっているト思わせられたところデ魔法陣“ワープ”ヲ足元ニ張らせてもらった」
「やっぱりあの魔法陣はワープだったのか。ただ、手がふさがっていた中でどうやって魔法陣を描いたんだ?」
「ブッ、ふふふ――一体いつ誰ガ、魔法陣ハ手デ描きましょうと決めたんだ!? そんな狭い思考デ私ニ歯向かおうなど片腹痛いわ!」
そんなもの――とルベンが両腕を広げると、それぞれの手からあらゆる魔法を生成し始めた。ホノオの渦を巻き、ラクライを迸らせ、氷水を流し込んではタツマキを疼かせる。四つの色が混ざり合い、混沌が顔を出すと瞬く間にルベンの手元を飲み込み大きくなった。
「なんですのあの魔法? 破格が過ぎますわ……!」
「あんな寄せ集めをまともに受けたら――」
「二人共離れてー」
「離れてー、じゃなくて! 二人共動けないんだから助けに行きなさいよ!」
「私ノ視界から消え失せたまえッッッ!」
仲間がしどろもどろしている間に混沌の魔法弾はボール達を喰らおうと迫る! 成す術が無いと目をつむる彼らの両耳をルベンの笑声が支配した。
だが、それは束の間だった。
「ぬぅぅぅ……!」
「――何してんだよマルー!?」
「何って……助けに、来たの!」
「馬鹿な!? 何故私ノ魔法ニ屈しない!?」
両手でしかと握った剣で魔法弾と鍔迫り合うマルー。最高火力であるはずのそれをたった一人で受け止める姿に、その場の全員が驚きを隠せなかった。
「私は、黄の戦士マルー。フェニックスと共に、未来を拓く者!」
白淡の光を身にまとう彼女は刀身を使ってみるみる混沌を吸収してゆく。相手の魔法を自分の攻撃に変えたそれは紛れもなく、ローゼがマルーに伝授した技術だった。
そうして就いた混沌はマルーの逆袈裟で魔力の刃となって放出! その勢いはルベンの思考をも吹き飛ばし、身体を壁まで押し込んでゆく!
「お前の彼女、なかなかやるじゃん?」
「まあな…………ってアホかっ! 俺の彼女とかっ違っ」
「んだよー! 一瞬その気になっといてさー?」
「フェニックスぅううううううううううッ!」
まだ終わってないと言わんばかりの一喝。振り上げた剣に光が堕ちると、それはフェニックスソードに姿を変えた。
「切り拓け! フェニックス・ロぉおおおおおおおっドッッッ!」
両腕で思い切りフェニックスソードを振り下ろせば、翼を広げたフェニックスが壁際のルベンに向かって速度を上げる。
「 ぬわああああああああああああ――!? 」
ルベンが雄叫びを上げ、壁はばらばらに砕けて瓦礫を落とし、砂塵が舞った!
怒涛の攻撃に仲間が目を見張る中、マルーは転身が解けるとその場に座り込む。
「はあ、はあ。来て、くれた……」
「すごいわね、マルー!」
遠くから聞こえたレティの声に、マルーは振り返り、にっと笑い返してみせた。
一方で、砂塵が止んだ場所ではルベンはすっかり気を失っている――マルー達は、彼による特別授業に終止符を打ったのだった。
「レティ、そんな事を言ってる場合?」
「先生、大丈夫かなー?」
「そうですわ! 今すぐ治癒しなくては!」
戦いが終わり、フロウが真っ先にルベンの下へ駆け出した。その場にいたリンゴを始め、マルーやボール達もルベンの周りに集まってゆく。
「……良かった。命に別状はありませんわ。ただ、私だけでは治癒に三日三晩はかかりそうです」
「まあ、この人は私が麻痺で動けなくなった技の真打ちを受けたんだもの。そのくらい時間がかかるのは当然よね。というか、それ以上の時間をかけて反省してもらわないと私の気が済まないわ!」
「そう、だよな」
レティの言葉に力なく肯定したのは、ボールに支えられながらやって来たラック。魔力を使い果たしたからか、彼はやつれた顔でルベンと対峙した。
「いざ真実を目の前にしても、やっぱり思うんだよな。俺達の調べた事が間違いであってほしいって。これは夢であってほしいってさ」
うなだれるラックを見て、皆が静まり返る。だが一人だけは、ラックを座らせては倒れたルベンの傍に進み出た。
「この人の事を、コレで醒まさせてやらねえとな」
取り出したのは、セイント・ドロップの入った小瓶。栓を抜き、先生に振りかけると、全身から不気味な気が抜け出てきたのであった。
「これできっと、大丈夫だぜ」
「おや。漂っていた悪の気配が消えましたね」
「なんだここ?」「こんな場所初めて!」「学園の施設?」「変なのばかりだな」
突如、後ろから声がしたかと思うと、辺りが急に騒がしくなった。全員が後ろを振り向くとそこにいたのは。
「「 学園長先生! 」」
「やあ君たち。大丈夫だったかい」
「皆さん、頑張りましたね」
「ローゼ先生! いつの間に学園長と一緒にいたんですか?」
「閉じ込められていた生徒達を助けに行ったところで、学園長先生と寮長さんが駆けつけて下さいまして」
「「 おばちゃんも!? 」」
「みんな心配したじゃないか! 学園長に聞いたときはもう不安で不安で、仕方なかったんだよ!」
「すみません、勝手に抜け出してしまって」
「みんなが無事なら、私は……ひぐっ!」
「ああっ! 泣かないで下さいっ!」
フロウが思わず寮長さんの方へ駆け寄った。レティも武器を投げ捨て、ローゼ先生の方へまっしぐら。
「くっそー、俺を置いて行きやがって」
「お前はダメだそ。重傷なんだから」
「とにかく良かったー。 捕まってた人たちも、何ともなさそうだしー」
「そうね。ばっちり事件解決出来たわ!」
「お嬢さん、そして皆、よく頑張ってくれたね」
リンゴも転身を解き、取り残されたラックの周りで皆と談笑しているところに学園長がやって来た。
「私よりボールの方が頑張りましたよ! ボールが私達のケガを治してくれなかったら、ここまで出来ませんでした」
ほう、と学園長が言ったきり、ボールをまじまじと見つめて動かなくなってしまった。
「……なるほど。私の仕掛けを解いたのは君だったんだね」
「仕掛けって何ですか?」
「お嬢さんや皆に、私が「お守り」をかけただろう? 実はね、それは治癒魔法を受けたときに、力を限界以上へはね上げるという「仕掛け魔法」だったんだ」
「じゃあ、ボールの魔法のおかげで、力が上がったんじゃないのー?」
「なーんだ。ちょっとはあんたのこと、感心してたのに」
「よく分かんねぇけど悪かったな」
「しかしながら君の想いは素晴らしかった。この石から漏れ出ていた、優しくて暖かい、強い魔力は私をこう感じさせたんだ。君は類をみない有望な魔導師である、と」
「そう、ならいいんすけど」
「絶対そうだよ! ボールは私や皆を助けてくれたんだもん!」
学園長やマルーが浮かべた微笑みを見て、ボールは胸がいっぱいになってゆく感覚を覚えた。
「そうそう! 学園長が言うなら間違いないって!」
下方では座り込んでいるラックが、拳から親指を立ててボールに向ける。向けられた彼は、腰元で同じように拳から親指を立てたのだった――自信を滲ませた口角を添えて。
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