第153話31-4.茜との漫才

 事前に調べた成田空港からロサンゼルス空港のフライト時間は約一〇時間。大塚から成田までの移動時間と飛行機に搭乗するまでの時間を合わせて三時間と見積もって、この二つを合わせると約一三時間。つまり、魔界を利用して移動した方が圧倒的に早い。


 しかし、それは常識的に考えられない現象だ。魔界から現実世界へと移動する過程で、時空が歪んでいるのだろうか?


「今度はこの車に乗って。同じ車種だけど、あちらは魔界と現実世界を往来するための専用車なのよ」


 ミス・グローリアスの指示によって、一行は新しいフォードラプターに乗車した。準備が整うと、ヒョウ柄のジャケットが車を発進させる。


「私たちが掴んだのは、オタイー・メサという田舎町で行われている麻薬取引についての情報よ。サンディエゴ市の南端で、メキシコの国境に接しているわ」

「いかにも麻薬の取引をしていそうな場所ね」


 魔界では聞き役に回っていたクレアが口を開いた。ミス・グローリアスは笑って首肯する。


「メキシコの麻薬カルテルが国境を越えて麻薬を密輸していることで有名な場所よ。トンネルを掘ってるのよ」

「トンネルを使って麻薬をアメリカに密輸しているの?」

「ええ。恐らくメキシコの麻薬カルテルにとって、最大の麻薬密輸場所はオタイーからずっと東に行ったエル・パソなのだけれど、今回の情報はオタイー・メサってことね」

「田舎と言っても色々あるわ。どんな場所なのかしら?」

「町の東の外れに、少年院と刑務所があるわ」

「あら。私好みだわ」

「ただ、今回の目的地は違うのよ」

「それじゃ、どこに向かっているのかしら?」

「カヤマカ・ランチョ州立公園近くにある牧場よ。メキシコの国境から二〇キロほど離れているわ」

「なるほど……国境付近は不法入国者(ウェットバック)のチェックが厳しくて、麻薬の保管場所を確保できない、ということかしら?」

「ご名答。ここから車で約二時間かかるわ」

「じゃあ、その牧場に着いたら作戦開始ですね。僕たちは何をすれば良いんですか?」


 志光が二人の会話に加わると、比較的強い調子でゴールドマンが返答する。


「君たちは客人だ。何もしなくて良い」

「はぁ」

「最初に襲撃する相手は人間だぞ。俺たちのプライドを傷つけないでくれ」

「……なるほど。ご尤もです」

「解ってくれて助かる。ホワイトプライドユニオンの襲撃も、できる限り俺たちだけで対処するよ」

「解りました」


 少年が素直に引き下がると、強姦魔は腕を組んで黙り込んだ。車は片道四車線の州間高速道路一〇号線に乗ると東進し、しばらくして二車線のチノ・バレー・フリーウェイに移って南下を開始する。


 ロサンゼルスやサンディエゴと言われると、何となく「暖かい気候」とか「海が見える」というイメージを抱いてしまうのだが、三月だったので気温は低かったし、道路は内陸部を通っているため海は見えないし、そもそも日没を過ぎたため海では無い場所も闇に覆われている。辛うじてアメリカだと認識させてくれるのは、一緒に走っている車両とたまに見える看板ぐらいだ。


 観光を諦めた志光は、リュックサックの中からタブレットを取りだし電源を入れた。悪魔化した後でも、一番好きな暇潰しが読書であることに変わりは無い。


 少年が文字列を目で追い出すと、彼の脇にいた過書町茜がタブレットを覗き込んできた。十数分後に一息ついた志光は、眼鏡の少女に顔を向ける。


「どうしたの?」

「何を読んでいるんですか?」

「『大学数学ほんとうに必要なのは「集合」』。ほら、僕はこうなっちゃったから大学に行けなかったでしょ? だから、最低限でも自分で勉強しておこうと思って……」

「替わりに影武者が行ってるじゃないですか」

「……僕をわざと煽ってるの?」

「悪魔になったんだから、学歴は関係ないでしょ」

「そりゃそうだけど、ウチの組織って論理的思考が出来ない人に厳しい傾向があるじゃないか」

「そうですね」


 茜は少年に同意しつつ、彼の手首に嵌まったブレスレットをチラ見した。志光は彼女の鼻先に黒い勾玉がついた装身具を近づける。


「見たければどうぞ」

「念のために確認ですが、これは麗奈から貰ったんですよね?」

「そうだよ」

「その……最後までやったんですか?」

「やったよ」

「回避はできなかったんですか?」

「彼女、悪い女性たちに前立腺開発グッズを持たされていて、僕が彼女をやらなきゃ、彼女に僕がやられるところだったんだ」

「そっちの方が良かったじゃないですか! トコロテンでメスイキできる身体になれたのかもしれないのに」

「碌でもないことを言っているんだろうけど、処女がいきなり前立腺開発の達人になれるわけないでしょ? 安心して身体を任せられますか?」

「童貞嫌いの女みたいな言い訳は止めてください」

「じゃあ、過書町さんは初体験の相手が童貞でも良いんだな?」

「それはぁ……も、もちろんですよ! 清い身体、大好きですから!」

「聞いたぞ。相手が童貞じゃなかったらただじゃ済まさないからな」

「何で私がヤリチンさんに追い詰められてるんですか! ただでさえ、今後のことを考えると憂鬱なのに……」

「見附さんとの関係が?」

「もちろんですよ。麗奈が自慢しに来ないと思いますか?」

「来るだろうね」

「微に入り細に入り、ヤリチンさんとの合体話を聞かされるんですよ。想像しただけで吐きそうですよ」

「脳内で男性同士に変換すれば良いじゃ無いか」

「麗奈を男に? 冗談じゃ無いですよ。とんでもない変態じゃないですか!」

「本物は自分をノーマルだと思っているというけど、その実例が隣にいるとは」

「不特定多数の女性をとっかえひっかえしている男性に言われたくありません」

「悪魔は現実世界の規範に従う必要は無かったんじゃないのかい?」


 志光と茜が肩を寄せ合ってお互いを罵り合っている間にも、フルサイズのピックアップトラックは東南へと進んでいった。やがて車はカリフォルニア州道九一号で一旦進行方向を東に変え、しばらく進んで州間高速道路十五号線に乗ると再び東南へとひた走る。


 サンディエゴ市の東部にある約七万人収容可能な巨大なスタジアム、クアルコム・スタジアムの脇を通ったピックアップトラックは、左折して州間高速道路八号線に乗った。車線はやがて二つに減り、車両の数も少なくなり、外灯も消える。真っ暗な中で、ただ舗装路が続いているような感じだ。


 フルサイズのピックアップトラックは最後にカリフォルニア州道七九号に入り、北上を開始した。二車線の周囲には、既に人家もまばらになっている。州立公園が近づいているのだろう。昼間ならともかく、夜間にこの場所で襲撃されたらと思うとぞっとしない。

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