第90話18-1.来賓客

 体育館の地下にある第一控え室は静まりかえっていた。壁には幾つかのモニターが設置されており、体育館の外部やアリーナの様子が映し出されている。


 地頭方志光は壁に設置されたベンチにウニカ自動人形と並んで腰を掛け、ボトルから邪素を飲みつつ体育館に入場してくる悪魔たちの様子を見守った。入り口では、配松亜紀が待ち構えており、彼らに百万円が入った袋を渡すたびに、感謝の念を強制的に沸き起こらせるスペシャルを使っている。


 ピンクのドレスは邪素を消費し過ぎて憔悴していたが、それでも目をらんらんと輝かせ、悪魔たちから謝意を受け取ると恍惚の面持ちになっていた。どこからどう見ても、立派な病気だ。


 しかし、彼女の肥大化した承認欲求と、それを支える特殊能力が、自分のために役立っている。湯崎にも指摘されたが、魔界日本は国民国家では無い。あくまでも所有者は地頭方志光、つまりこの自分だ。


 だから、悪魔たちが住んでいる場所に愛着を覚えることはあるかも知れないが、「自分達の領土を守ろう」という気になることはまずない。配松のスペシャルは、一時的にではあるが、この問題を有耶無耶にしてくれる。


 志光は配松が映っているモニターから視線を外し、今度は外の様子を監視しているカメラの映像に目を向けた。そこでは見附麗奈の部下達が、危険物の持ち込みを未然に防ごうとチェックを行っている。


 新棟梁就任式は、魔界日本の住民だけでなく他国の要人を招待する必要もあったため、約二ヶ月前には日程が発表されていた。つまり、白誇連合がテロを仕掛けようと思えば可能だということだ。


 そこで、門真麻衣や麗奈は爆発物や銃火器の持ち込みに神経を尖らせていた。また、彼女たちに協力する形で、アニェス・ソレルがスペシャルを利用して、人員やカメラを配置していない場所の監視を行っているが、現在のところ異変は無いようだ。


 少年がぼんやり映像を眺めていると、控え室の扉をノックする音がした。すると彼の付き添いをしていたクレア・バーンスタインが立ち上がり、相手を誰何する。


「どなた?」

「過書町です。来賓の方をお連れしました」

「入りなさい」


 背の高い白人女性は志光に目で合図をしてから、過書町茜の入室を許可した。少年は口を閉じるとベンチから立ち上がり、スーツの皺やよれを直す。


「失礼します」


 控え室に入ってきた茜はクレアに軽く会釈をした後で、改めて志光に向き直り、深々と頭を下げた。よそ行きモードだ。


「男尊女卑国から、新垣拳示氏とデリック・バトラー氏が到着。キャンプな奴らからは、ウィリアム・ゴールドマン氏が到着致しました。お三方とも、控え室に入る前に新棟梁とご挨拶がしたいそうです」

「ご苦労様。ここで良いなら入って貰いなさい」


 少年もよそ行きの言葉で応答すると、眼鏡の少女は一旦退室して三人の男性を引き連れて戻ってきた。


 一人は恐らく日本人で、年齢は三十代から四十代。身長は一七〇センチよりやや高い程度だが胴体が恐ろしく分厚い。また、それに伴って手脚も太い。


 男性の頭部ははげ上がっているが、鋭い眼光のせいで年老いているような印象は一切感じない。白いTシャツにパンツ、革靴という中途半端にカジュアルな格好をしている。


 二人目は白人の青年で、背は高いが華奢で恐ろしく顔立ちが整っていた。長い金髪を垂らしているので、首から上だけを見ると女性と勘違いしてしまいそうだ。素肌の上からワイン色のジャケットを羽織り、スリムジーンズを履いている。


 三人目も白人男性だが年齢は恐らく三十代ぐらいで、短めの金髪を後ろに流している。この人物は素肌の上から黒革のパンツと半袖のシャツを身にまとっている。


「お三方と会話が出来るように、私がスペシャルを使わせていただきます」


 志光と三人の男性が顔を合わせると、茜が深々と頭を垂れてから全身から青いオーラを立ち上らせた。チェレンコフ放射に似た光は、やがて部屋全体に広がって薄い霧のようになる。


 過書町茜の特殊能力、同時通訳だ。これで、彼女を中心に半径一〇数メートルの空間内では、異なる言語の使用者同士でも意思疎通ができるようになった。


「初めまして、新棟梁。私の名前は新垣拳示。男尊女卑国の代表者だ。就任式にお招きいただいて感謝している」


 禿げた中年男は、そう言うと右手を志光に差し出した。


「初めまして新垣さん。過書町から事前にお話は伺っております。就任式に来ていただいて、深く感謝しております」


 志光は中年男の手を握り返したが、彼の表皮が異常に分厚いのに驚嘆する。


「どうしましたか?」

「いや、凄い手だと思いまして」

「空手を少し嗜んでおりまして。今度、機会があったら演武でもお目にかけます」


 新垣は笑いながら手を引っ込めると、美青年に目配せした。


「初めまして。デリック・バトラーです。男尊女卑国の代表として、就任式に呼んでいただいた事を、心から感謝しております」


 デリックはそういうと、やはり右腕を少年に差し出した。


「初めまして、バトラーさん。こちらこそ、就任式に来ていただいたことを感謝しております」


 志光は美青年の手を握り返す。


 デリックとの挨拶が終わると、最後に革のパンツを履いた男が右手を差し出した。


「初めまして。ウィリアム・ゴールドマンだ。今日はキャンプな奴らの代表として呼んでいただいて感謝している。新棟梁就任おめでとう。風の噂に聞いたんだが、門真麻衣の弟子というのは本当かい?」

「初めまして、ゴールドマンさん。本当ですよ。昨日も彼女と練習をしていました」

「そうか。今度、一緒に練習をしようぜ。俺は寝技が得意なんだ」


 男は志光との握手が終わると、ひょいと手を伸ばして彼の臀部を揉みながら笑い声を上げた。少年は苦笑しつつ、首を縦に振る。


「機会があれば、是非」


 挨拶を終えた三人が茜の先導で控え室から出て行くと、志光は急に身震いした。クレアは少年の肩を抱いて労いの言葉をかける。


「顔合わせは無事に終わったようね」

「初対面の人に会うのは、もう慣れたと思ったんですけど、それでも今の人達は威圧感が凄いですね」

「あら、事前に麻衣と茜から説明は受けていたんでしょう?」

「ええ。でも、話と実物じゃ全く別物ですよ」


 志光は呼吸を整えるとベンチに座り直して邪素を補給する。

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