第78話15―2.大屋根広場

 大蔵英吉が車を停めたのは、両支持型通路用シェルターが設置された舗装路の端だった。形状は虚栄国のものとほぼ同一なので、恐らく規格化されているのだろう。

「ここで降りてください。この車で銭湯まで行ったらお忍びじゃなくなりますからね。それに、この通路を通れば大屋根広場に出る。そこで、まだ会ってない幹部にも会えますよ。俺はドムスに帰りますんで」

 ヨレヨレのスーツを着た男から説明を受けた地頭方志光は、車を降りるとクレア・バーンスタイン、アニェス・ソレル、見附麗奈、過書町茜と共に通路を歩き出した。周囲は静かで、降り注ぐ邪素の雨がシェルターの天井に当たって立てる音がよく響く。

 通路の先には明るい場所が見えていた。指を伸ばした志光は、誰にと言うわけではなく問いかける。

「あそこが大屋根広場?」

「そうですよ」

 少年に答えたのは麗奈だった。ポニーテールの少女は、ダンベルシャフトを手で回して弄びつつ、彼の隣を歩き出す。

「銭湯は、そこから少し離れた場所にあります。どっちも、魔界日本の住民にとっては大切な施設ですね」

「大屋根広場は何をする場所なの?」

「現実世界に当てはめるなら公園ですね。邪素の雨に濡れずに、散歩したり遊べるのが人気です」

「なるほど」

「後は、そこで邪素を無料で配布しています。そこの責任者が配松さんです」

「配松……聞いたことがあるな」

「最初にやった会議に出てこなかった幹部の一人ですよ」

「ああ、それかあ」

「でも、この時期に初顔合わせって遅くないですか? 確か、お披露目式はあの日から一〇〇日で開催する予定なんですよね? まだ、私のところには何の情報も降りてこないんですけど」

「お披露目式は延期だよ」

 志光はほっとしたような面持ちで事情を語り出した。

「まず、僕の訓練が完全に終わっていない。美作さんの兵器増産計画も遅延しているし、就任式のプログラムも決定していない」

「それで何とかなるんですか?」

「ならないから遅れる。たぶん、最初の計画に三〇日から五〇日を足したぐらいかなあ」

「結構いい加減じゃないですか?」

「元々は大蔵さんと記田さんを説得するために、限界までスケジュールを詰めた計画だったから、二人が今の僕を承認してくれるなら、日程を重視する必要性が無いでしょ?」

「そういえば、最初は麻衣さんも一年から一年半はかかるって言ってましたもんね」

「それでもプロテストを受験できるレベルだからね」

「世界レベルになるのは、どれぐらいかかるものなんですか?」

「それは興味があったから僕も訊いた。麻衣さんは十五歳でボクシングを始めて、世界タイトルを取ったのは二十歳だって。だいたい五年ぐらいかかったみたいだよ。ただし、練習はほぼ毎日やっての話みたいだけど」

「長いのか短いのか、はっきりしないですね」

「練習の重要性の話になると、ネットでよく〝何十年も修行して達人にでもなるのを待ってから戦場に出るつもりか?〟って返されるんだけど、何十年はともかく才能がある人でも五年は打ち込まないとトップクラスの能力は身につかないって事だよね」

「サッカーなんて、小学生から初めてプロデビューが二十歳とかですもんね」

「才能がある子供が一〇年近く練習して、それでも大半はプロになれないんだよねえ」

「ですねえ」

 麗奈が得心していると、背後からソレルがにゅっと顔を覗かせた。

「何の話をしているの?」

「ここから先に、配松さんがいることを話してました」

 ポニーテールの少女の解説を聞いた褐色の肌は、小さく頷いて志光に顔を向ける。

「ベイビーは配松亜紀との顔合わせは初めてよね?」

「うん。変わり者なんだよね?」

「悪魔らしい悪魔よ」

「悪魔らしい悪魔?」

「意味はすぐ分かるわ」

 ソレルは大屋根広場に向けて顎をしゃくった。遠くから見た時は暗くてよく解らなかったが、それは巨大な切妻屋根を複数の柱で支えている構造の建築物だった。屋根の上部は黒く、内側にかなり強力な照明がついている。

「おおー……」

 少年はディルヴェ本部にも劣らないインパクトのある建造物を見上げて口を開けた。

「それじゃ、行きましょうか」

 ソレルは笑いながら彼の腕に自らの腕を巻き付ける。

「私もご相伴するわ」

 すると、すかさずクレアが反対側の腕を取った。二人の巨乳に挟まれた格好になった少年が鼻の下を伸ばすと、麗奈と茜が顔をしかめる。

 一行は通路を歩いて大屋根広場に到着した。屋根の下は周囲の地面と比べると一段高くなっており、陸上競技の全天候トラックで使用される、合成ゴムのような素材で覆われている。恐らく降り注ぐ邪素対策だろう。

 麗奈が説明したとおり、屋根下では高いフェンスで区切られた空間でバスケットボールやフットサルに興じる悪魔たちがいた。また、ベンチに寝そべったり読書をしたり、ダンスの練習をしている悪魔もいる。

 彼らの一部は五人を目にすると「おやっ」という顔つきになった。多分、ソレル、麗奈、茜のいずれか、あるいは複数を知っているのだろう。しかし、彼らは誰も声を掛けてこようとはしない。

「配松はあそこにいるわ」

 そのうち、ソレルが広場の一角を目で示した。そこには、比較的大型のキッチンカーが停まっていた。志光は車体のよく言えばファンシー、悪く言えばケバケバしい装飾に眉をひそめた。ピンク色に塗られた車体に、真っ赤な水玉模様が描かれている。

「あの車が配松さんの?」

「そうよ。あれで邪素を配っているの」

 ソレルは少年の質問に即答した。

「対面で配布しているの? もっと効率的な方法があるんじゃないかな? 水道の蛇口みたいなものを設置しておくとか」

「理論的には。でも、全て配松が拒否しているわ」

「どうして?」

「話せば解るわ」

「行ってみる」

 ソレルとクレアの腕をほどいた志光はキッチンカーに近寄った。車両の近くには、ピンク色のロングドレスを着た中年女性が立っていて、近づいてくる悪魔たちに邪素の詰まったボトルを配っている。

 年齢は四十代ぐらいだろうか? 栗色の長い髪にウェーブがかかっている。痩せていてスタイルは良いが、ドレスの胸元に縫い付けられた無数の花のワッペンのような飾りと顔立ちが合っていない。彼女は志光が近づいてくると、満面の笑みを浮かべながらボトルを差し出した。

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