第68話13―3.男尊女卑国の女スパイ

「お帰りなさいませ、女主人(ミストレス)」

「中の様子は?」

「変わりありません」

「気にすべき相手は?」

「〝男尊女卑国〟のヨーコ氏でしょう。女主人をしきりに探していました」

「ありがとう」

 褐色の肌が青年をねぎらうと、両開きの扉が開いた。中は待合室のようで、奥にカウンターが見える。

「ここは?」

 志光は歩きながらソレルに質問した。褐色の肌は、正面を見つめながら即答する。

「カジノよ。そこがエントランスで、入場料を払って中に入るの」

「悪魔のギャンブルって、嫌な想像しか出来ないんだけど」

「普通のカジノと変わりは無いわ。要はギャンブル中毒の集まり。ただし、元日本人が多いから、パチンコや麻雀の卓もあるのが、欧米のカジノとは違うけど」


 カウンター内にいる黒服に目で合図をしたソレルは、作り笑いを浮かべつつエントランスをくぐった。薄暗く広いホールはカードやダイス、ルーレットなどのテーブルゲーム用らしく、各台にディーラーがいる。


 ソレルが入ってくると、客も含めて全員が彼女に視線を注ぎ、軽く会釈をした。褐色の肌も無言で挨拶をする。


 志光はテレビやネットでしか見たことの無い光景に息を呑んだ。妙に階段が長かったわけだ。ソレルは四階建てだと言っていたが、実際の建物の高さはもっとあるだろう。ただ、彼女が言ったとおり「悪魔のカジノ」という名称のわりには雰囲気は落ち着いており、刃傷沙汰もなさそうだ。聞こえてくるのは日本語と恐らく英語で、どうやら悪魔たちの出自もその辺が多そうな印象だ。


 少年が物珍しそうにしていると、オレンジ色をしたイブニングドレスを着た東洋系の中年女性が近づいてきた。彼女はソレルに向かって深々と頭を下げる。


「お久しぶりです、ミストレス」

「ヨーコさん。お久しぶり。私を探していると、入り口の部下から聞きました」


 褐色の肌も頭を下げ、ヨーコを歓待する。


「はい。ここ数日、女主人がどこにも出てこないと聞きました。お体の調子でも崩されたのかと心配で……」


 オレンジ色のドレスを着た女は、心配とは無縁の顔つきで、ソレルと話をするふりをしつつ志光を一瞥した。中年女性の鋭い目付きに、少年は思わず視線を逸らす。


「ご心配をおかけしたみたいね。現実世界でこなさなければならない用事が多くて、こちらにまで手が回らなかっただけなの」


 褐色の肌は鷹揚な態度でヨーコをいなしにかかる。


「女主人の手を煩わす用事とは、さぞかし大変なものだったのでは?」

「そうよ。知りたい?」

「差し支えなければ」

「差し支えはあるわ。だから、このことは内密にお願いできるかしら?」

「もちろんですとも」


 二人の女がホールで内密の話を始めると、彼女達の周囲にいた客達が声をひそめた。志光は彼らの様子を見てゲームのルールを理解した。


 要するに、ここでは言葉と意味を真逆に解釈すべきなのだ。「差し支えがある」は「差し支えが無い」という意味だし、「内密にお願い」は「公然と喋って良い」という意味だ。もしも、そうでなければ、二人は誰もいない場所まで移動して話をしているに違いない。


 少年が得心していると、ソレルが彼をヨーコに紹介し始める。予定通りだ。


「まだ公式では無いけれども、魔界日本の新棟梁が決まったの。彼よ」

「この方が?」

「イチローの息子さんで地頭方志光君。十八歳よ」

「お若いわね。それで、実力は?」


 オレンジ色のドレスを来た女は愛想笑い一つせず、志光の値踏みにかかった。ソレルは口の端を吊り上げて応対する。


「まだ悪魔化して一週間も経たないのに、白誇連合が送り込んだ魔物を六体も倒しているわ。氏素性は争われぬ、とはよく言ったものね」

「六体も?」


 褐色の肌から戦果を聞かされたヨーコの声が上ずった。中年女性は目を細めると、初めて志光に向かって微笑みかける。


「それで、女主人は志光氏とどういう関係に?」

「ご想像にお任せするわ。ただし、母親役ではないわね」

「そうよね。男から依存されるなんて最悪!」

「あなたの言う通りよ、ヨーコ」

「女主人の新しい相手が、また強い男性で羨ましい限りよ。悪魔化して一週間で魔物を六体も倒せるなら、ウチの国でもプライドを作れるかもしれないわ」

「ありがとう。でも、この話は内密にね」

「もちろんですよ、女主人。でも、魔界日本の新棟梁も男性で良かったわね。それでは」


 話が終わると、ヨーコは手を振りながらホールから消えていった。志光はついに一言たりとも自分と言葉を交わさなかったオレンジ色のドレスを着た女性の無礼な態度に呆れつつ、ソレルに小声で語りかける。


「あの人、なんなんですか?」

「〝男尊女卑国〟のスパイよ。主人の命令で、諜報活動をしているの」

「さっきも聞いたけど、そのフェミニストが聞いたら憤死しそう名前は一体?」

「国名よ。名前の通り、男尊女卑が徹底していて、男性の悪魔一人に対して、女性の悪魔が八人ぐらいで、プライドという集団を形成するの。プライドはライオンの群れから取った名前ね」

「ははあ……それで話が見えてきた。要するに、その国でプライドを作れるのは限られた男の悪魔だけなんでしょう? たとえば滅茶苦茶喧嘩が強いとか、滅茶苦茶顔が良いとか」

「正解。男尊女卑国のモットーは〝ブサイク無能男の一番より、喧嘩が強いイケメンの一〇〇番〟よ」

「最悪だ」

「強いなら最高よ。ちなみに、彼らにとって〝プライドが作れる〟は男性にとっての最高の褒め言葉だから、素直に喜んで良いと思うけど?」

「そうかなあ」

「男尊女卑国の関係者は、ベイビーの新棟梁就任を歓迎するはずよ」

「僕が男だから?」

「そうよ。さあ、次に行きましょう」


 ソレルは志光と腕を組み直すと、カジノ全体を回らずエントランスに引き返した。二人は階段に戻って二階に移動する。


 二階にも分厚い両開きの扉があり、前に黒尽くめの青年が立っていた。


 彼はソレルを目視した途端に頭を下げる。


「お帰りなさいませ、女主人(ミストレス)」

「中の様子は?」

「今日は一九八〇年代特集で盛り上がっています。大きな騒ぎは起きていません」

「気にすべき相手は?」

「〝キャンプな奴ら〟のミス・グローリアスですね。女主人の消息を、気にしていました」

「ありがとう」


 褐色の肌が青年をねぎらうと、両開きの扉が開いた。中は待合室のようだが、カジノとは異なり壁全体が赤く光っている。しかも、奥からは耳慣れない音楽が聞こえてくる。

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