第67話13―2.虚栄国へ
「このエレベーターは、地上四階まで直通よ。そこから順に、階段で一階まで降りていきましょう」
「魔界にエレベーター? 電気はどうしているの?」
「ここと同じ階に、大型発電機があるの。邪素を燃料に駆動する邪素エンジンよ」
「誰かがその名前を言っていたような気がする」
「邪素エンジンの製造は、〝サタン重工業〟が独占的に行っているの。〝夢魔国〟と並ぶ魔界の技術立国よ。この建物の発電機も〝サタン重工業〟の製品なの」
「サタン! ようやく悪魔らしくなってきた」
「名前だけはそうね。実際にはエンジンを悪魔に売りつけて儲けている技術者の集団よ」
「そういえば、美作さんが水は発電の副産物だって言っていたような……」
「邪素エンジンは副産物として水を生み出したりしないわ。魔界日本の発電システムは、邪素エンジンだけでは無いのよ。別の方式も利用しているわ」
「何か理由でもあるの?」
「複合的ね。邪素エンジンへの依存度が高いと〝サタン重工業〟と敵対関係になりづらいというのもあるし、そもそも魔界日本には大量の水が必要という事情もあるわ」
「どうして大量の水が?」
「大浴場があるからよ。魔界日本以外で、大規模浴場を設置している場所は無いから一種の象徴になっているの。しかも、安値で誰でも利用できるわ」
「なるほど。元日本人なら、入浴設備は魅力的かも」
志光が何度か首を上下させていると、エレベーターのドアが開いた。ソレルと少年は、それほど大きくない箱に乗り込むと四階に向かう。
四階の出入り口は、応接室のようなつくりになっていた。またしても白い、高級そうなソファにはウォルシンガム三世が腰かけている。青年も普段の黒尽くめの服装とは異なりタキシードに身を包んでいるものの、その陰気そうな雰囲気に変わりは無い。
「お疲れ様です」
立ち上がったウォルシンガム三世は、ソレルに向かって一礼すると、ワイヤレスイヤホンのようなものを彼女に手渡した。
「ありがとう。計画通り、スパイの一本釣りに行ってくるわ」
褐色の肌は陰気な青年にそう述べると、イヤホンを耳に装着する。
「ベイビー。そろそろ行きましょう」
しかし、志光は何かを思い出したかのように足を止めた。
「ちょっと待って。歩くだけで良いって言っていたけど、途中で誰かが僕に注目したらどう答えれば良いの? 麻衣さんは僕のことを隠したがっていたんじゃなかったっけ?」
「門真はね。公式の場なら、彼女の考え方も間違っているとは言えない。悪魔の世界は弱肉強食が基本。棟梁はいた方が良いけれど、その人物が弱いと判ったら周囲が牙を剥くでしょうね。でも、非公式の場だったらどうかしら?」
「非公式というのは?」
「魔界日本における外交面での担当は過書町よ。彼女が発表しない事柄は、他国にとって全て非公式での発表になるわ。たとえば、ベイビーが私と一緒に虚栄国を練り歩いて、自分が魔界日本の新棟梁だと言ったとしても、過書町が事実を認めなければ、それは公式の事実にはならないのよ」
「なるほど……そうすることのメリットは?」
「非公式なルートで、他国にこちらの事情が伝わるわ。たとえば、虚栄国の周辺にたむろしているスパイ連中の情報網とか」
「僕が新棟梁に就任するという情報が、スパイを利用して他国に伝わることで、どんな効果が見込めるのかがよく解らないんだけど……」
「相手が驚かずに済むじゃない。ベイビーだって、初対面の人間の情報は知りたいでしょう?」
「ああ……最初に魔界日本の幹部連と会った時、事前に名前を教わっていたお陰で、パニックにならなくて済んだのは確かだね」
「そういうこと。それじゃ、準備はできた?」
「うん」
ソレルに志光が同意すると、ウォルシンガム三世が部屋のドアを開けた。褐色の肌と少年は身体を密着させつつ室外に足を踏み出した。
エレベーターが設置されている部屋の外は比較的大きな廊下だった。壁にはクリーム色の壁紙が貼られ、床には赤い絨毯が敷かれている。
少年は首を振りながら周囲の状況を確かめた。両サイドに定間隔で焦げ茶色のドアが見える。どうやら、ホテルのようだ。
「ここはホテル?」
「そうよ。虚栄国の四階は宿泊施設になっているわ」
「悪魔が泊まりに来る?」
「ええ。ここから麻布十番のゲートを通って、現実世界に出入りするのが定番のコースよ。私の許可が必要だけど」
「なるほど……」
ソレルの説明に耳を傾けながら、志光はホテルの廊下をぼんやりと眺めていた。少年の態度から事情を察した褐色の肌が苦笑する。
「門真が気になる?」
「……バレちゃいましたか?」
「意識が戻った後でも、彼女の悪口は一言も言っていないんだから、バカでも分かるわ」
「僕のことを空に吹き飛ばした相手に、どう接すれば良いですかね?」
「門真に殴られたけど、全然気にしていないという素振りをすれば、大物の風格が出るわよ」
「重症だったのに?」
「じゃあ、彼女とやり合いたいの?」
「それは……そういえば、父さんはどうしていたんですか?」
「襲われる度に蹴り飛ばしていたわ」
「僕には無理だ」
「そうね。今のベイビーじゃ勝てる可能性はゼロだし、彼女のシンパを敵に回す危険もあるわね」
「やっぱり強いと人気もありますよね」
「門真は戦闘になれば必ず先陣を切る。だから、部下達にも信頼されているのよ。ただ強いだけじゃ人気は得られないのは、人間も悪魔も変わりは無いわ」
「ああ……分かりました。気にしないことにします」
「どうしてもけじめをつけさせたかったら、好きな下着を履かせて、セッ×スするとかが良いかも知れないわね」
「そういうDVの後の仲直りHみたいな、危険な発想は止めてくれませんか?」
志光が憮然とした面持ちになると、ソレルは笑って彼の腕に乳房を押しつけた。時間帯のせいなのか、ホテルの廊下に人気は無い。
「三階に降りましょう」
幅の広い階段が見えると、褐色の肌がハイヒールの爪先の向きを変えた。二人が三階に到着すると、分厚い扉の前に黒尽くめの青年が立っている。
ソレルの姿を目にした男は恭しく頭を下げた。
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