第44話8-3.過書町茜

「なんだ、志光君は過書町君ともやり合っているのか。大切な幹部に噛みつくなんて、随分と部下思いなんだねえ」

「僕は嘘をつかれたことが我慢出来なかったんです」

「嘘?」

「志光さんが、自分はヤリチンではないと言ってるんです」

「まあ、ヤリチンと言うよりは、金魚に偽装したピラニアのいる河に放り込まれた肉の塊が正確だな」

「的確だけど酷い言い草だ!」

「嘘で無ければ良いんでしょう? ああ、そういえばスマホに友達の番号が四つしか入っていなかったのも事実でしたね」

「そこでその話を持ち出すのか!」

「え? 志光さん、友達が四人しかいないんですか? うわ、引く……」

「四人しか、じゃない。四人もだ! 訂正しろ!」

「お断りします」

「俺もお断りだな」

「……貴方たちは将来僕の部下になる気があるんですか? 少しは、そうほんの数ミリでも良いから僕に媚びを売っておこうぐらいの気持ちは?」

「ないですね」

「俺も無い。俺も過書町君も、魔界日本のために粉骨砕身で頑張っているからね。君も同じぐらい頑張らなければ、仲間だとは認められない」

「頑張りの押しつけですか。ブラック企業そのものじゃないですか!」

「悪魔の集団がブラックにならないわけがない。当然じゃないです。その通り。この組織は真っ黒だ。その片鱗を、今から現実世界でお目にかけたい」

 大蔵は勿体ぶった言い方をすると、地下通路に続く扉に向かって歩き出した。過書町も彼の後を付いていく。

 二人は比較的大きめのカバンを提げていた。大蔵は黒に近い灰色のトート型ビジネスバッグ、過書町は更に厚みのあるショルダーバッグで、あまり見かけない形状をしている。

 二人とも、あの中に邪素を入れているに違いない。

 志光はそこでリュックサックに邪素を詰め忘れていた事実に気がついた。

「忘れた!」

 少年が素っ頓狂な声を出すと、過書町が不思議そうな顔をして振り返る。

「どうしましたか? 土下座ヤリチンさん」

「僕の呼称がもっと酷くなってる! 嘘だって大蔵さんが言ってるのに!」

「私は信じていません。以上です。それで、何を忘れたんですか?」

「……邪素のペットボトル」

「仕方ないですね。私のを一本さしあげます」

 眼鏡の少女はバッグを開けると中から邪素の入ったペットボトルを取り出して志光に手渡した。

「ありがとう」

「どういたしまして、乱交土下座ヤリチンさん。現実世界に出たら、そこで改めて補給してください」

「更に呼称が酷くなった! 撤回と謝罪を要求する!」

「お断りします」

 少年と茜は漫才をしつつ、大蔵の背中を追った。三人はやが鉄扉をくぐり通路を抜け、螺旋階段を上がって中庭に到着する。

 棟梁の執務室に続く扉の前には、見附麗奈が待ち構えていた。彼女はスクールバッグのようなカバンを肩にかけ、片手には薙刀袋に入った棒を持っている。恐らく、あの中に入っているのは、競技用の薙刀では無くバーベルシャフトだろう。

「お早うございます、皆さん。今日は護衛を務めさせていただきます」

 深々と頭を下げたポニーテールの少女は、志光の傍らに近づくと、軽く肩をぶつけてくる。

「先日はありがとうございました! お陰で処女の私も凄く勉強になりました!」

「う……あ? あぁ、そう…………良かったね」

 ベッドルームで行われた数々の行為を思い返した志光が赤面していると、茜が眉をひそめて麗奈を非難する。

「交尾を間近で見るのが勉強なの?」

「当然だよ、茜。だって私は興味があるもの」

 ポニーテールの少女は怒りもせずに即答する。

「それに、茜だってセック×が嫌いってわけでもないでしょ? ほら、何だっけ? 男同士が乳繰り合ってる薄い本。BL?」

 麗奈の解答を聞いた眼鏡の顔からみるみる血の気が引いていった。薄ら笑いを浮かべた志光は、彼女の肩を優しく叩く。

「ほほう。BLを嗜んでいるとは。それで合点がいった。女性としか合体していなかったから、僕を罵倒していたんだな」

「じゃあ、私が男とセッ×スしろと言ったらしてくれるんですか?」

「断る」

「それなら、罵倒されても仕方ないですね」

「どんな屁理屈だよ」

「二人とも、そろそろ本題に入っても良いかな? 見附君も、子作りに興味津々なのはいいことだが、詳しい話は今日のミッションが終わってからにしてもらえると嬉しいね」

 志光と茜が言葉の暴力を振るい合っていると、大蔵がうんざりした面持ちで仲裁に入ってきた。麗奈はピンと背筋を伸ばし、快活そうな口調で中年男に謝罪する。

「大蔵さん、ごめんなさい」

 ポニーテールの切り替えの早さに呆気にとられた志光と茜が口を閉じると、大蔵は事情を説明し始めた。

「志光君は既に知っているが、我々は門真副棟梁の指示で大塚のゲートを使用して現実世界に戻り、そこから千葉の本部へと移動する。千葉にいた方が移動距離は短いんだが、門真君は志光君を幹部以外の悪魔に見られたくないそうだ」

「その話は、もう麻衣さんから聞いています。新棟梁を鍛えて、見栄えを良くしてから公開したいそうです」

 麗奈の補足に茜は口をへの字に曲げる。

「鍛えるって肉体改造をさせるの?」

「うん。ボクシングのトレーニングで変わるって」

「そんなに見栄えって大事? 大塚のゲートは敵から監視されているんでしょう?」

「そういえば、ここに来る前に僕が読んだ本にメラビアンの法則っていうのが載っていて……」

 志光が知識を開陳しようとすると、茜はそれをぴしゃりとはねのけた。

「メラビアンの法則は嘘ですよ。メラビアン博士は実在の人物ですが、彼の行った実験は表情と声を対象にしたもので、身振りや身だしなみは関係ないんです」

「……え?」

「パオロ・マッツァリーノの『反社会学講座』も読んでないんですか? 活字中毒だと聞いていたのに、その程度とはがっかりですねえ」

「ギギギギギ……」

 眼鏡をかけた少女の他人を見下したような態度を目の当たりにした少年は歯を食いしばった。

 もう間違いない。過書町茜に対する感情は近親憎悪だ。

 体育会系、文化系という区分は二元論なので、胡蝶の夢と同じように間違いだが、門真麻衣や見附麗奈が、どちらかというとアスリート的な発想をしているのは事実だと思う。それに対して、過書町茜の行動原理は知識量や頭の回転の速さに自身がある人間のそれだ。つまり、自分とよく似ている。

 だから、麻衣や麗奈の話は他人事だと思って聞けるのに、茜の話は引っかかる。悪い意味でシンクロしているのだ。

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