第43話8―2.影武者
しかし、志光は中年男と赤毛の女のやりとりに口を挟まず、着替えを済ませるとリュックのジッパーを開ける。リュックの中から、スマートフォンが消えていた。オレオレ詐欺の達人とやらが使ったに違いない。
「あの、大蔵さん……」
少年は頃合いを見計らい、大蔵に話しかけた。
「なんですか?」
中年男は麻衣との会話を中断し、志光の方に顔を向ける。
「僕のスマートフォンは返してもらえないんですか?」
「申し訳ないが、あのスマートフォンは貴方の影武者が使っている」
「影武者?」
「ああ。君のお祖父さんとお祖母さんを心配させないように、影武者を送っておいた」
「要するに、僕のそっくりさんですか?」
「いや、あんまり似てないかな?」
頭を掻いた大蔵は、よれた背広のポケットからスマートフォンを取り出した。彼の指が画面に触れると、一人の少年の顔写真が表示される。
「これが影武者君です」
志光はスマートフォンに表示された少年の顔をまじまじと見つめた。自分とは比較にならないぐらい美男子だ。
「全然似てないですね」
「そうだね」
「これでお爺ちゃんとお祖母ちゃんを騙せるつもりなんですか?」
「君のお祖父さんは目が悪いし、お祖母ちゃんの方は〝志光が東京に行って戻ってきたら、顔まで変わって良くなった!〟と言って大喜びしているみたいだよ」
「お祖母ちゃん……どうしてそんな簡単に騙されちゃうんだ…………」
「そりゃあ、孫の顔が良いことに越したことはないからだろう」
「そういう話をしているんじゃない!」
「まあまあ、落ち着いて。影武者は俺に任せてくれれば絶対に良い結果を出して見せるので」
「良い結果って……?」
「既に貴方を虐めていた連中は特定しているので、影武者が学校に行ったらそいつらをみんなの前で殴り倒す手はずになってます。影武者はああ見えて、空手と柔道初段ですからね」
「はあ」
「それで、クラスメイトから一目置かれるようになった影武者は、いじめっ子に目をつけられていた別のクラスの女の子も助けて、二人は恋仲になる予定です」
「大蔵さん、ちょっと待って。そっちの役を僕がやりたいんだけど……」
「何を仰る! 志光君には魔界日本の新棟梁に就任してもらわないと……」
「いやいやいや! どう考えても影武者の人生の方が良いですよ! それが僕のやりたかったことですよ!」
「今まで出来なかったじゃないですか」
「出来なかったからやりたいんだよ! 悪魔化した今なら出来るし! 邪素を消費してパワーアップして、今まで僕を虐めていた連中をワンパンで……」
「それでいじめっ子が死んだらどうするんですか? 影武者の人生が滅茶苦茶になりますよ」
「ちょっと待って! ちょっと待って! 僕より僕の影武者の方が大切ってどういうことなんですか?」
「そんなことは言ってない。大事なのは、貴方と影武者が入れ替わったことが世間にバレないことですよ」
「じゃあ、なんで顔が全然違う奴を用意したんですか? どう考えたってクラスメイトにはバレますよ!」
「そこが俺の腕の見せ所ですよ。大蔵プロデュースをとくとご覧下さい。必ずや影武者の人生を幸せにして見ますよ。ククククク……」
「僕じゃ無くて僕の影武者が幸せになるのはおかしいでしょ!」
「貴方が抱えている問題を解決するだけの力は俺には無い。悪魔同士の抗争ですからね。しかし、影武者ならどうにでもなる。四、五年もたてばドストエフスキーの『二重人格』みたいになってますよ」
「あれは主人公のゴリャートキン氏が、自分の分身に負けちゃってラストで精神病院に入ってるじゃないですか! 僕が知らないと思ったら大間違いですからね!」
「ちっ。子供にしてはマイナーな小説まで目を通しているな」
「子供を舐めるなよ! やっぱり当てつけで僕の影武者を幸せにするつもりだったんじゃないですか!」
「当てつけじゃないですよ。面白そうだからです。だって、貴方のスマホを渡した影武者から、〝この人、自宅と学校以外の電話番号が四つしか入ってないんだけど大丈夫ですか?〟って心配するようなメールが入っていたんですよ。ボッチ過ぎて腹がよじれるほど笑わせて貰いましたよ」
「全員ネッ友ですよ! MMORPGで知り合った人ですよ! でも、四人もいるじゃないですか! 何で心配されなくちゃいけないんですか? 友達が百人いなくちゃいけないんですか? 殺す! その影武者は絶対に殺す!」
志光が室内に響き渡る声で喚いていると、ベッドの上に転がっていた少女達が起き始めた。麻衣は少年の背中を叩いて注意を促した。
「志光君。今ので部下が起き始めた。このまま放っておくと、もう一戦を要求されるよ」
志光はピタリと口を閉じ、ベッドの上を確認した。大蔵は女性陣に軽く会釈をすると、少年の肩を叩く。
「じゃあ、そろそろ出立しましょうか」
「……行ってきます」
志光は憮然とした面持ちで寝室のドアを開けた。大蔵を置き去りにして短い通路を抜けると、焦げ茶色に統一された執務用の部屋に一人の少女が立っているのが見えた。
少女の背は低く、眼鏡をかけており、ドレープが入ったメイド服を身につけていた。魔界日本の外交を担当している過書町茜に間違いない。
「お早うございます、過書町さん」
志光は軽く頭を下げ、過書町に挨拶した。眼鏡の少女も頭を下げたが、彼女の可愛らしい唇からとんでもない単語が飛び出してくる。
「お早うございます、ヤリチンさん」
「僕は地頭方だ。地頭方志光。そんな卑猥な名前じゃ無い」
少年は下唇を突き出し、過書町に訂正を要求した。しかし、彼女は腰に手を当てて胸を反らせ、拒絶の言葉を吐いた。
「お断りします。話は色々と私の耳にも入ってますから。クレアさんに〝新棟梁になるのに童貞のままじゃみっともないから、どうかお願いですから僕にセックルを教えてください〟と言って土下座したとか。あり得ないぐらいみっともない話ですね」
「ち、違う! そんなこと言ってないし! 誰だよそんな嘘ついたのは!」
「申し訳ありませんが、情報提供者は秘匿させていただきます。それと、さっきまで親衛隊の面子と乳繰り合っていたのだって、トレーニングルームで〝俺はもう童貞を卒業した。オナニーをしたくないから、俺がセックルしたくなったらお前らの誰かを呼ぶ。中古女も練習台として使ってやるからありがたく思え〟と宣言して、無理矢理ベッドルームまで連れて行ったそうじゃないですか。童貞卒業直後に、そこまでして自分の男性性をアピールしたいんですか? 信じられないですね」
「それも違うから! 誰だよ、そんな嘘をばらまいているのは!」
「申し訳ありませんが、情報提供者は明かせません」
「名誉毀損罪で訴えてやる!」
「魔界に日本の法律は適用できません」
「あああああ……」
過書町がそっぽを向くと、志光はその場で地団駄を踏んだ。すると彼の背後からゆっくりした足取りで大蔵が現れる。
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