第33話6-2.トレーニングルームへの移動

 麻衣は入り口近くに置いたバッグを指差した。志光はベッドとバッグの距離を目視してから、赤毛の女性にお願いをする。


「あの……申し訳ないんですけど、バッグをここまで持ってきていただけませんか?」

「どうして?」

「服が見当たらないんですよ」

「知ってるよ。クレアが見附に洗濯を頼んでいたからね」

「じゃあ、僕が全裸だというのは判っているって事ですよね?」

「うん。判ってるよ」

「じゃあ、バッグを持ってきて下さい」

「断る」

「……僕の裸が見たいんですか?」

「うん。童貞の時とどう変わっているか知りたいんだ。キミの人生で一度しかない機会だからね」

「お断りします」


 毅然とした態度で麻衣に言い放った志光は、その顔つきとは裏腹に簀巻きよろしく掛け布団を全身に巻いた。しかし、立ち上がった赤毛の女性は片手で布団の裾を掴み、上半身を半回転させる。


 勢いよく布団を引っ張られた少年は、ベッドの上で回転し、全裸になったところで転倒した。麻衣は彼の股間を覗き込み、小さく何度か頷いてみせる。


「ちょっと腫れてるな。使い過ぎかな?」

「セクハラですよ!」


 平衡感覚を失った志光は、もがきながら股間を両手で覆った。


「知ってるよ。でも、ここは魔界だからね。現実世界の規範や法律は通用しないよ」


 赤毛の女性は腰を伸ばして扉の入り口まで歩くと、スポーツバッグを拾ってベッドまで戻ってくる。


「ほら」

「最初から、そうして下さいよ!」

「良いじゃないか。見ても減るもんじゃないし。というか、もう童貞じゃないんだから、裸を見られたぐらいでいちいち恥ずかしがるなよ」

「もう良いです!」


 麻衣の態度に業を煮やした志光は、乱暴な手つきでバッグのファスナーを引っ張った。中から出てきたのは黒いタンクトップに虎縞のボクサーパンツ、黒いボクシングトランクス、そして黒いボクシングシューズだった。


「これが着替えですか?」

「そうだよ。今からキミはアタシとボクシングの練習をするからね」

「……嘘?」

「嘘をついてどうするんだい? 百日経ったらタイソンと対戦だよ」

「避けられないんですかね?」

「無理だと言ったはずだけど」

「……」


 麻衣の呆れ顔を目にした少年は、無言でタンクトップに袖を通し、ボクサーパンツとトランクスを穿いた。


 初めて会って一日も経っていない相手だが、表情から何を考えているかは見当がつくようになった。彼女は本気で「自分より強いやつしか認めない」という頭のおかしいプロレスラーと自分を戦わせるつもりだ。喜んでケンカに身を投じるような性格だったら、学校で虐めに苦しむこともなかったというのが、どうしても理解できないらしい。


 このまま駄々をこねても、麻衣の援助が得られなくなるだけだ。ここは素直に彼女の言うことを聞いておこう。


 ボクシングシューズを履き、靴紐を結んだ志光はベッドから立ち上がった。彼の様子を見た麻衣は満足そうに目を細める。


「服の着心地と靴の履き心地は?」

「服は問題ないと思います。靴は慣れるのに時間がかかるかも」

「それは魔界特製のボクシングシューズだよ」

「魔界特製?」

「靴全体がブラックマテリアルで出来ているんだ。キミが邪素を消費して力を発揮しても、その靴が壊れることはない」

「ああ。普通の靴を履いて時速百キロで走ったら、あっという間にすり切れそうですもんね」

「ただ、今から始める基礎訓練では、邪素を消費しない」

「はい」

「そんなに緊張しなくて良いよ。大船に乗ったつもりでいてくれたまえ。こう見えても、アタシは全日本女子アマチュアボクシング選手権大会と世界女子ボクシング選手権のタイトルホルダーだからね」

「そう言われても、格闘技なんて全く経験が無いですし……」

「大丈夫。誰でも最初はそうだから。ドムスの二階にトレーニングルームがある。そこに行こう」


 空になったアルミ缶を片手に、麻衣は志光を連れて寝室を出た。二人は鉄扉をくぐり螺旋階段を上がると、中庭を抜けて執務室の裏側に回り、階段を上って二階に到着する。


 ドムスの二階は、彼女の言った通り近代的なトレーニングルームになっていた。ゲートと同様に、壁の二面は鏡張りになっており、反対側の対角線にはサンドバッグなどの格闘系の道具類に並んでベンチプレスが、その脇にはダンベルやバーベルが幾つも置かれている。


 トレーニングルームでは、複数の少女が下着姿で筋トレや格闘技の練習に励んでいた。志光は見るとはなしに彼女達の姿を目で追ってしまう。


「気になるかい?」


 少年の視線の先を確認した麻衣は、からかうような声音で彼に問いかけた。我に返った志光は、少しひねた面持ちになって赤毛の女性の質問を肯定した。


「そりゃそうですよ。生で母親以外の女性の下着姿を何人も見るのは二度目ですし」

「ここでトレーニングに励んでいるのは、見附の部下でキミが新棟梁に就任すれば警護役として働く子達ばかりだよ。君が命令すれば、何でもしてくれる。それこそ、全裸になれでも俺とセ×クスしろでも従うよ」

「そんなこと言いませんよ! ……ちょっとだけ役得だなとは思いますけど」

「もう童貞を卒業したんだから、あの子達だってキミからお声がかかるのを嫌だとは思わないさ」


 麻衣の発言を聞いた下着姿の少女達の動きが一斉にピタリと止まった。彼女達を見回した志光は、眉根を寄せて赤毛の女性に食ってかかる。


「僕が童貞を卒業したのが、そんなに大事なことなんですか? 童貞は害虫か何かですか? どうしてそこまで童貞を嫌がるんですか?」

「アタシは嫌がってないよ。キミの筆下ろしをどちらがするかで、クレアと話し合って決めたぐらいだからね」

「まさかと思いますけど、昨日中庭で話をしていたのは……」

「そうだよ。クレアから理由も訊いているだろう?」

「酷い理由でしたね」

「事実だよ。それはさておきキミの質問への回答だが、アタシは自分のテクニックに自信があるので、童貞が相手でも嫌う理由は全く無い。でも、そうでない場合はどうだと思う? 現実世界では女性専用風俗なんて数えるほどしかないし、ベッドの中では男性がリードする側というのが社会通念じゃないのかな?」

「だから、経験の浅い男性はお断りと言うことですか?」

「当然だね」


 麻衣が断言すると、下着姿の少女達全員が深く頷いた。


「もう良いです。この話を続けるぐらいなら、さっさと練習を始めたほうがマシです」


 志光は歯を剥き出し、議論の中止を宣言する。

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