第32話6-1.朝チュン
換気扇の立てる低い回転音が寝室に響いていた。
天井についた白熱灯風の照明が大きなベッドを真上から照らしている。
眠りから覚めた地頭方志光は大きく伸びをして、半身を起こした。
今は何時なのだろう?
外の様子が分からないと、簡単に時間感覚が狂ってしまう。
もっとも、真っ黒な空が広がる魔界では、外に出ても日光の加減から時間を推測するのは難しい。それどころか、この世界では月も星も存在しない。
それにしても、昨日は散々だった。
父親の遺産がもらえるという話を聞いて、埼玉の田舎から東京くんだりまで喜び勇んでやって来たら、変な怪物に追われた挙げ句に自分自身も悪魔になってしまったのだ。
しかも、父親の後継者として魔界に連れて行かれ、元プロレスラーと戦わなければならない羽目になった。
こうやって、昨日の出来事を頭の中で一覧にしても、自分にプラスになるようなものは全く見つからない。
敢えて良かったと言えるのは、クレアに襲われて童貞を喪失したことぐらいだろうか?
しかし、あれだって半ば無理矢理同意させられた上での行為だ。
そこまで考えたところで、昨晩に起きたクレアとのあんなことやこんなことが脳内に蘇った志光は、ベッドの上で顔を覆って両脚をばたつかせた。
あれを一瞬でも幸運だと思ってしまうなんて、自分はなんというさもしい人間……いや、悪魔なんだろう。
自分のような何の魅力もない男にとって、彼女のような美人と「合体」できるのは望外の出来事だというのは分かっている。男である自分から、女性を誘わなくて良かったのも幸運だった。それは認めざるを得ない。
しかし、まさかベッドの上で言葉に出来ないようなことを次から次へとされるとは思っていなかった。特に、アレした直後にアレをされると、前立腺液がアレから出てくるなんて、ネットで見たエロ動画ですら……。
「あれ?」
そこまで回想が進んだところで、志光は周囲を見回した。
クレアの姿が見当たらない。どこにいるのだろう?
ベッドから起き上がった少年は、昨日まで着ていた衣類もないことに気がついた。
このままでは、全裸で外に出ざるを得なくなる。それは避けたい。
ベッドから降りた志光は、股間を手で隠しながら室内をさまよった。だが、学生服も下着も見当たらない。
途方に暮れた少年が立ち尽くしていると、入り口のドアがノックされる音がした。志光は慌ててベッドに戻る。
「どなたですか?」
「アタシだよ。お早う」
扉の向こう側から聞こえてきたのは門真麻衣の声だった。どうやら、通路に続く鉄扉を開ける鍵を持っているらしい。
「どうぞ」
赤毛の女性は、少年の返事がするや否や扉を開けた。彼女は肩からスポーツバッグのようなものを下げている。
「お早うございます。といっても、時間はよく分からないんですけど」
ベッドから顔を出した志光は作り笑いを浮かべた。
「東京の時間で午前九時ぐらいだよ」
麻衣はバッグを床に置くと、ベッドルームのソファ近くに設置された冷蔵庫を開き、中からペットボトルに詰まった邪素を取りだした。
「ほら、朝食をとって」
志光は赤毛の女性からペットボトルを受け取った。彼女は片手にアルコールが入ったアルミ缶を持っている。
ペットボトルに封入された邪素を飲んだ志光は、一息つくと頭の中から眠気を追い払った。彼はベッドの端に腰かけて飲酒している麻衣に、思いついく限りの質問を開始する。
「午前九時と言うことは、もう一日が経ってるんですね?」
「そういうことになるね」
「僕は埼玉のお祖父さんとお祖母さんに連絡していないんですけど、麻衣さんの方に二人から電話がかかってきていたりしませんか?」
「その件なら心配ない。君がクレアに捕まったのを知った大蔵が手を打っている」
「手を打ったとは?」
「彼の配下にいる人間で、かつてオレオレ詐欺で荒稼ぎした天才オレオレ詐欺師に、君のお祖母さんに電話をかけさせて、上手く騙しておいたそうだ」
「……お祖母ちゃん、僕の声と詐欺師の声の違いが分からなかったんですか?」
「アタシが受けている報告だとそうなるね」
「お祖母ちゃん、駄目じゃん……」
志光が切なそうに嘆息すると、麻衣が思い出したように彼に祝辞を述べた。
「ああ、そうだ。童貞卒業、おめでとう。前立腺液まで出ちゃったんだって?」
顔を真っ赤にした少年の手から邪素入りペットボトルが滑り落ちた。彼は白い掛け布団の端で顔を覆って激しく首を振る。
「それ、クレアさんから聞いたんですよね!」
「ああ。ドムスにいる人間に、片端から言いふらして回っていたよ」
「あの人、最低だ!」
「人じゃなくて悪魔だからね。でも、出ちゃったんだろう?」
「ああ、そうですよ。出ましたよ。何か悪いんですか! 出ちゃったものは仕方ないでしょ!」
「誰もキミを責めてないよ。クレアのヤツが容赦ないなあと思っただけさ」
「……そういえば、クレアさんは?」
掛け布団から顔を離した志光はボサボサになった毛髪を手ですくと、背の高い白人女性の居場所を麻衣に問いただした。赤毛の女性はアルコールを飲み干してから答えを口にする。
「大塚のゲートに戻ったよ。工事の様子をチェックするってさ」
「……ちゃんと働いているんですね」
「マメじゃないとアソシエーションのメンバーは務まらないよ」
「そういえば、アソシエーションの仕事ってどんなものなんですか?」
「大国しか入れない国連みたいなものかな? 現実世界と違って、魔界には国際条約のようなものは存在しない代わりに、大国間の利益の調整をアソシエーションが代役でやってくれる場合がある、というのが実態だと思うよ」
「ああ、つまり国同士が直接する場合もあるって事ですね?」
「そういうこと。国の勢いがあってイケイケの時は邪魔な存在だけど、ウチのように棟梁不在で組織がガタガタになってしまっているような国には有り難い組織かな?」
麻衣は空になったアルミ缶を振りながら、珍しく真顔になった。彼女は志光の目を見つめ、片眉を吊り上げる。
「しばらくしたらキミを新棟梁にいただいて、これまで奪われた領土は全部取り返すつもりだけどね」
「はい」
「そういうわけで、さっそくだけど今からトレーニングを開始しよう。そこのカバンに美作から預かった下着とタンクトップと靴があるから着替えてくれ」
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