第22話4-1.ドムス

 古代ローマの上流階級が住んだとされるドムスの原型は、ローマの近隣に住んでいたエトルリア人の住居だったのではないかと考えられている。エトルリア人は住居の壁を防御に用い、中央部を天窓にしてそこで火を焚いたとされる。煙を逃がすのにうってつけだったのだろう。


 古代ローマのドムスは、逆に天窓を雨水を溜めるのに利用した。屋根に傾斜をつけ、その下に貯水槽を置いたのだ。


 魔界のドムスの構造も、古代ローマのものとよく似ていた。屋根部分が中央部に向かって傾斜しており、そこに落ちた邪素を蓄えられる構造になっているのだ。


 古代ローマのドムスとの決定的な差はそこから先が腕ほどの太さしかない管につながっていて、不審者がいても天井から内部に侵入するのは困難だという点と、邪素が貯水槽、正確には貯邪素槽に届く前の段階で加工する仕組みがある点だった。


 現実世界から実体化したての邪素は、よく見ると青く輝く部分と黒ずんだ部分が混在している。そして、黒ずんだ部分は酷くまずい上に悪魔の肉体を維持するエネルギーにもならないそうだ。


 クレアによると、その味は不味いことで有名な北欧の飴、サッキアルミの千倍近く酷いとのことだった。実際に志光も舐めてみたのだが、反射嘔吐が起きて呑み込むことすら出来なかった。青い邪素と黒い邪素の分離法が確立されるまで、悪魔たちはこの液体を飲んでいたというのだから、色々と苦労があったはずだ。


 ドムスの内部、守衛室と唯一の入り口を兼ねた場所から少し離れた位置に設置された貯水槽で、青く輝く邪素を眺めながら、地頭方志光は深呼吸を繰り返した。建物の内部は外に比べると涼しいが、それでも恐らく30度より少し低いぐらいだろう。


 これが赤道直下の国々なら、まだ太陽が見られるので雰囲気も明るいが、魔界には太陽も月も星もない。地獄の釜という言葉がぴったりだ。


 その真っ暗な世界から、空飛ぶ蛇を倒した志光がクレアに連れられてドムスに入ったのは一時間ほど前のことだった。一カ所しかない入り口から警備室を通り、邸宅内に入って一〇分もすると門真麻衣と見附麗奈が駆けつけた。恐らく、護衛の一人が彼女達を呼んだのだろう。


 そこで、二人はクレアと簡単な打ち合わせをして、すぐに全体会議を開くことを決めた。今なら、自分が魔物を二体も倒したことをアピールできるというのがその理由だった。三人は会議開催のために駆けずり回る羽目になり、自分はドムスの中に置き去りにされた。


 不安で仕方が無いが、代案も思いつかない。邸宅の中をうろついて気を紛らわせるのが関の山だ。


 貯水槽を離れた志光は狭く短い通路を使って中庭に移動した。ペリスタイルと呼ばれる中庭は古代ギリシア式の円柱に囲まれており、中央部に芝生が植えられていた。円柱の奥はひさしになっており、その更に奥には部屋の扉が定間隔で見える。


 しかし、中庭の最大の特徴は光があることだった。それは、天井に設置された照明によってもたらされたもので、色温度が太陽光と同じになるように調整されていた。


 この箱庭が、ゲートと並んで魔界における権力の象徴だった。魔界にいても、人間の世界と同じように植物を育て、日の光を浴びることが出来る! 何という幸せだろう。


 志光は中庭を見回してから、執務室に戻った。そこは20人程度の人間が入れる広さの長方形で、両サイドの壁はなく、貯水槽と中庭を同時に見渡せる構造になっていた。


 執務室では見附麗奈の部下とおぼしき少女が、椅子と机を並べている最中だった。彼女は少年の姿に気づくと深々と頭を下げ、机を並べる作業に戻る。


 ここが、一度も会ったことの無い父親が所持していた邸宅だ。彼の領地は、ここに集まった悪魔たちによって経営されている。


 これから、その悪魔たちと話し合い、自分を正統な後継者であると認めて貰わなければならない。もしも、彼らが自分を見限れば、職務を放棄してここから出て行ってしまう。そうなったら、せっかく悪魔になった意味が半減してしまう。


 クレアと麻衣は上手くとりまとめをすると言っていたが、自分もそれなりの対応をしなければならないとも言われた。だが、人前で話すのは苦手だし、多くの人と接するのも嫌いだ。想像しただけで手の平に汗が滲んでくる。


 何でこんな事になってしまったのだろう? 半日ほど前の自分は、父親の遺産を受け取ったら引きこもり生活に入ることを考えてニヤニヤしていた。それが邪素を飲んで悪魔化せざるを得なかったのは、白誇連合とやらのせいだ。


 一体祖父母には何と説明すればいい? 麻衣やクレアが嘘をついていなければ、これからの自分は人間よりも十倍長生きすることになるのだ。いつまで経っても見た目が十八歳というのは、どう考えても不自然だろう。


 志光が浮かない顔をしていると、片手に缶入りの酒を持った門真麻衣が執務室の様子を見にやって来た。彼女は少年の肩を叩き、背中を押して伸ばす。


「しゃんとして。いよいよ本番だよ。幹部共は入り口に待たせてある」

「解ってます。できるだけ頑張りますよ」

「できるだけじゃ駄目だ。最後までやって貰わないとね」

「すみません。言い直します。最後までやり遂げます」

「OK! その意気だよ。最初から勝負を投げていたら試合にならないからね」

「話は全然変わるんですが、ドムスってどこでもこんな感じなんですか?」

「どういう意味だい?」

「見た目というか室内の装飾ですよ。これって古代ローマ風なんですよね?」

「私はそういう風に聞いてるよ」

「魔界日本という名前だから、もっと和風だと思っていたんですが……どうにもちぐはぐな感じがして」

「この内装は先代の副棟梁、花澤さんの発案らしいよ」

「先代がいたんですか?」

「うん。その人、男同士の恋愛やセ○クスを書いた本……何て言ったけ?」

「ボーイズラブです。BL」

「そうそう。それのマニアで、何とかという漫画だかアニメだかのBLにはまって、そこから趣味が高じてイギリスに留学して、古代オリエント研究をやっていたという人でさ」

「はあ。随分と高学歴っぽいと言うか……」

「実際に頭は切れたみたいだよ。まあ、とにかくこのドムスを建設するときに、彼女が古代ローマっぽくしたいって駄々をこねたからこうなったらしいよ」

「その方は……」

「悪魔同士の抗争で殺された。アタシがここに来たのは、その後の話だから詳しいことは解らないんだ。悪魔は死ねば塵になるからね。墓もない」

「……なるほど」


 麻衣と志光がやりとりをしている間にも、麗奈の部下は淡々と準備を進めていた。底面が広い二脚の机が置かれ、その奥に木製の椅子が置かれていく。どうやら、それらの見た目も古代ローマ的らしい。

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