第百三十五回 漢陣は晋兵を敗る

 晋軍は腹背に敵を受けて前面の漢陣を衝き破れず、陸機りくきは劣勢を見て加勢を差し向けた。公師藩こうしはん郭勵かくばいたちが攻めかかって張方ちょうほう祁弘きこうを乱戦から救い出す。

 張賓ちょうひんは晋の援軍が出たと見るや砲声を放つ。それを合図に曹嶷そうぎょく孔萇こうちょう楊龍ようりゅう王如おうじょ胡延模こえんぼの五軍十万の軍勢が戦場に衝き入り、加勢に寄せる晋軍に横合いから食らいつく。

 北陣では張敬ちょうけいが晋将の王甲おうこうを突き殺し、西陣では石勒せきろく姫巧きこうを討ち取った。さらに東陣では趙染ちょうせん苟暉こうきの首級を挙げ、南陣では関防かんぼう駱臻らくしんの首を打ち落とす。関山かんざんも郭勵をとりこにして廖翀りょうちゅう桓彬かんひんを刺し殺した。

 上将を討ち取られた晋軍は乱れたち、そこに石勒が率いる一軍が攻め込んで青州せいしゅう刺史の苟晞こうき陳午ちんごを相手に戦となった。十合も過ぎぬうちに汲桑きゅうそうが歩兵を率いて攻めかかり、大斧を振るって晋兵を断ち割っていく。

 苟晞は事態の急を知るや馬頭を返して逃げ去ろうと図る。追いすがる石勒を晋将の高潤こうじゅんが斬り止める。同じく援護に入った陳午が汲桑の大斧に両断されるも、ついに苟晞は危難を脱して乱戦から身を抜いた。

 苟晞を逃がした石勒は大いに怒り、逃げる高潤を追ってその肩骨に斬りつける。一刀を受けた高潤は馬にしがみついて逃げ延びた。


 ※


 この時、祁弘と劉霊りゅうれいは刃を交わすこと百合を超え、乱戦の中で五回にわたって引き離されるもなお戦を捨てずにいる。

 そこに黄命こうめいが駆けつけて大呼した。

劉子通りゅうしつう(劉霊、子通は字)よ、祁弘を決して逃すな。この賊を除けば他は言うに足りぬ」

 祁弘は囲まれつつあると覚り、東を指して逃げ戻っていく。黄命が追いすがるも、そこに北宮純ほくきゅうじゅんが攻め寄せる。

 黄命と北宮純が戦うこと五合を過ぎず劉霊が駆けつけて加勢する。そこに劉曜りゅうよう銅鞭どうべんを振るって打ちかかり、劉霊は後を任せて東に逃れた祁弘を追うべく馬頭を返す。その眼前には加勢に攻め寄せる張軌ちょうきの大軍が広がっていた。

 劉霊が馬を走らせ衝き入れば、張軌麾下の毛賓もうひんが陣頭に出て前を阻む。五合を過ぎぬうちに毛賓は矛を受けて馬下に落命し、それを見た僚友の宋配そうはいが攻めかかる。劉霊の軍勢と張軌の軍勢は揉み合う末に乱戦に入った。

 陣頭に立つ劉聰りゅうそうが叫ぶ。

「晋の軍列は乱れきった。突き崩して奔らせよ」

 言うが早いか自らも大刀を抜きつれて晋の軍中に斬り込み、葉文しょうぶん葉武しょうぶの二将をつづけて討ち取った。晋軍はさらに動揺して乱れたつ。

 劉聰は勝勢を駆って陸機を討ち取るべく晋陣の奥深くまで斬り進む。傍らの張雄ちょうゆうは陸機を見つけると馬を呷って突っ込んだ。陸機はせまる漢軍を見て恐れをなし、馬頭を返して逃げ奔る。

 それを潮に晋の軍列は形を失い、晋兵は背を見せて逃げ出していく。漢兵は勝勢に乗じて追い討ちに討ち、晋兵の屍は道に畳々じょうじょうとつづいて武器甲冑が投げ捨てられている。五鹿墟ごろくきょの地はこれにより黄土が紅く染まった。

 日もすでに暮れかかり、諸葛宣于しょかつせんうは金鼓を鳴らして兵を収める。大勝を博した漢将たちが戻って人馬を点検してみれば、これほどの大勝であるにも関わらず一万以上の兵を喪っていた。


 ※


 晋の陸機は陣法を戦わせて漢兵を破ろうと図ったものの、劉曜に激せられて陥穽に落ち、ついに大敗を喫することとなった。退くこと八、九里(4.5~5kmm)も行ったところでようやく日が落ちて辺りは夜闇に包まれる。

 漢軍も兵を収めたであろうと軍勢を取りまとめて軍営に還るところ、諸王侯より死傷した軍兵の帳簿が提出される。それを見るに、この一戦に四万もの兵を喪い、上将六人、副将八人の戦死に加えて兗州えんしゅう刺史の苟暉の戦死が特筆されていた。

 成都王せいとおう司馬穎しばえいは帳簿に目を通すと怒って言う。

「これほどの大敗を喫するとは、ただ賊徒のみならず天下のわらい者となろう。百五十万余の大軍を動員しながら漢賊の一軍を平らげられぬばかりか、却って賊徒に敗北を喫するなど許されることではない。は何の面目があって朝廷の士大夫にまみえられようか」

 陸機が言う。

「これは智謀が漢賊に及ばぬわけではありません。諸将が命を用いぬがゆえに戦に敗れたのです。漢賊には万夫も敵し得ぬ猛将が二十人ほどおります。これは多数で囲んで討ち取るよりなく、それにも関わらず、諸将が連携できておりません。それゆえに味方の将兵はその鋭鋒にあたれず、横行を許して敗北を重ねているのです」

 張方と祁弘は傍らにあって陸機の言を聞き、忿怒を発して言う。

「元帥は何と吾らを見下されていることか。明日、試しに布陣して賊将どもと吾らの戦いを御覧になるがよい。吾らが王彌と劉霊を打ち取れなければ、吾らは先鋒の印を返して一兵卒として戦場に命を落とし、ふたたび軍営で顔を合わせることはありますまい」

 成都王がなだめて言う。

「二将の勇猛は孤もよくよく承知しておる。ただ、二将に比肩する勇将を欠いておるのだ」

 そう言うと、二将に重賞を与えて慰労した。それでも張方と祁弘は口を揃えて言う。

「元帥がおられるとはいえ、明日の戦では吾らの申し上げる旨によって頂きたい」

 陸機もその言をれて六軍に通知し、成都王は独語する。

「吾が軍の全員が二将のごとく国のために尽力すれば、漢賊などうれえるに足りぬのだが」

 さらに、士気を高めるために六軍に下賜品を授けて訓令をおこなって言う。

「名のある漢将の首級を挙げれば賞金千両、生きながら擒とした者は縣公に封じる。張賓、諸葛宣于、王彌、劉霊をはじめとする十二将の一人を討ち取れば縣公、生きながら擒とすれば郡公に封じる。命令に従わない者は斬刑に処する。たとえ軍功があろうとも命令違反の罪を償ったとはせず、軍令によって処断する」

 将兵たちは勇み立ち、声を揃えて言う。

「死力を尽くして漢賊への怨みを雪いで御覧に入れます」


 ※


 その頃、漢の元帥の劉聰は軍営にいた。周囲には戦勝を祝して酒宴を張る者もあり、明日に備えて軍議を開く者もある。

 その中を諸葛宣于が歩み寄って言う。

「先に韓陵山かんりょうさんにて張孟孫ちょうもうそん(張賓、孟孫は字)が八門の陣によって敵陣を打ち破ったため、陸機は内心に吾が軍を忌憚きたんしていました。ふたたび名色の異なる陣を布けば陸機は畏れて戦を避けたでしょう。それゆえに陣を浅く布いて敵を幻惑し、誘い込んだ後は縦深の陣に変じたのです。臣が布いた陣は五行の陣でも洪範こうはん六壬ろくじん転運てんうんの術を織り込んでおり、陸機は五行の順序により攻めかかってくると思い込んだところを乱されて敗れたのです」

 劉聰が感嘆して言う。

丞相じょうしょうは実によく父祖の妙術を継承しておられる」

 張賓と姜發きょうはつが懸念を口にする。

「幸いにも敵陣を破りましたが、一万を越える兵馬を喪いました。その上、成都王はたびたびの敗戦を喫し、怨みは骨髄に徹しておりましょう。それゆえ、早晩に軍勢を傾けて乾坤けんこん一擲いってきの戦を挑んで参りましょう。これまでとは厳しさがまったく異なります。吾らの勝利は陣法により晋軍を陥穽に落として利を得たに過ぎません。これは彼らが通じぬ策を弄するがゆえのこと、力攻めで来れば吾らは不利になりましょう」

 諸葛宣于も点頭して言う。

「仰るとおり、陣法や戦術では晋軍など敵ではありません。しかし、軍勢と兵糧になれば晋軍に遠く及びません。それゆえ、計略に敵を陥れて吾らの強盛を見せつけ、その目を眩ませるよりないのです」

 張賓が主客の差を案じて言う。

漳水しょうすいでの戦いに比すれば、吾らの軍勢は二倍とは言わぬまでも、一倍半にはなっておりましょう。晋軍など畏れるに足りません。しかし、吾らはいわば敵境の孤城に拠って争っているようなものです。主客の理によれば晋軍より不利です」

 二人の懸念を聞いて姜發が駁する。

「昔、漢の班定遠はんていえん班超はんちょう)は孤軍を率いて西域に横行しました。吾らはまだ山西さんせい平陽へいようより山東さんとう魏郡ぎぐんに攻め込んだに過ぎず、遠路とは言えません。晋軍が倍しようとも、ただ堅陣を布いて守り抜きさえすれば、逸を以って労を打つことはできます。敵を打ち破るのに何の差し障りがありましょうか。血気の勇をたのんで敵に包囲されぬように諸将を戒めさえすれば、晋軍に勝つ機は必ずや得られます。ただし、みだりに戦ってはなりません。彼我の緩急をよくよく測り、劣勢の味方があればこれを救い、味方が勝勢に乗じれば深追いを戒めるのです。そうすれば、晋軍と対峙して大きな失態はございますまい」

▼「班超」は前漢の人、定遠は字。四十名に満たぬ部下とともに西域に使し、鄯善ぜんぜん于窴うてん疏勒しょろくを降して西域南道諸国を漢に従わせたことで知られる。

 劉聰は姜發の言を納れて諸将に次のように訓令をおこなった。

「軍の進退はすべて軍令により、みだりに動いてはならぬ」

 諸将はそれを聞くと応諾し、それぞれの幕舎に戻って行ったことであった。

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