第百二十八回 石勒は晋の四将を斬る

 一方、青州せいしゅう刺史の苟晞こうき雍州ようしゅう刺史の劉沈りゅうちん南平なんぺい太守の應詹おうせん霊昌道れいしょうどうに攻め寄せる石勒せきろくを退けるべく道を急ぎ、やはり数日後に晋の軍営から十余里ほどの地点に到った。その時、向かう先から砲声が響き渡る。

 それを聞いた應詹が言う。

「これは漢賊が吾が軍営に攻め寄せているのではありますまいか。急ぎ救わねばなりますまい。この大軍を見れば漢賊は軍を返すでしょう。晋陣の将兵が進んで後を討ち、吾らが横から襲えば必ずや大破できます」

 苟晞も同じて急行する。その時、斥候が馳せ戻って言う。

「石勒が吾が軍営に攻め寄せており、極めて危険な状況です」

 前駆を務める雍州刺史の劉沈は、急行するよう諸将に命じた。


 ※


 この時、漢軍は晋の軍営を攻め破ろうと苦闘をつづけており、晋軍は軍営を死守していた。死傷者はおびただしく、ついに柵が攻め破られそうになる。その時、にわかに三鎮の軍勢数万が風のように現れた。

 漢軍の謀主を務める姜發きょうはつは救援を見て軍令を発する。

「みだりに動かず、陣を固めよ。晋の援軍は必ず攻め寄せてくる。攻撃に備えよ」

 諸将は軍令を受けると攻撃を止めて陣を固める。しばらくすると、三鎮の全軍が到着し、劉沈の麾下にある高標こうひょう伍兌ごだが苟晞に願い出た。

「胡賊の石勒めは、大晋を侮ること甚だしい。吾らが先陣切って漢陣に斬り込み、軍威を示して士気を盛んにし、晋の方伯ほうはくの気概を見せ付けてやります」

 苟晞は黙して答えない。南平太守麾下の部将である蔣和しょうわ沈吟ちんぎんも高標に同じて言う。

「吾らの大軍が救援に来たにも関わらず、なお軍勢を返すこともなく、軍列を整えて隙を窺っております。これは大国の藩鎮諸侯をないがしろにするものです。これを許しては漢賊がさらに増長するでしょう」

 苟晞が口を開く。

「漢賊は追撃を畏れて布陣したに過ぎず、他意はなかろう。吾らとて到着したばかり、戦の備えが整っておらん。軽率に戦を始めるべきではない。そのうえ、兵は行軍に疲れておる。戦を始めるには望ましくない。明日を待って計略を定め、それから打ち破っても遅くはあるまい」

 苟晞麾下の部将である夏暘かようが言う。

「漢賊と一戦しないのは賛成ですが、軍を出して陣を連ね、敵の強弱虚実を窺うとともに吾が軍容を見せつけて威を示すべきかと考えます。賊が無知であれば軍を返して退くでしょう。その時を待って追撃に出るのも良策ではありませんか」

 苟晞はその意見を容れ、軍営を出て陣を布いた。


 ※


 漢兵は苟晞の意図を知らず戦を挑む。

 石勒に従う上黨じょうとう王楊おうよう冀保きほが馬を出して戦を挑み、晋陣からは高標と伍兌が馬を出す。四将は対峙すると二十余合も戦って勝敗を決さない。

 蔣和と沈吟も馬を出して加勢に向かい、漢陣からは呉豫ごよ劉徹りゅうてつが迎え撃つ。八将が陣前で戦うこととなり、馬蹄ばていが揚げる砂塵が日をおおうに至った。

 三、四十合を過ぎたあたりで高標は王楊を鎗で突き殺し、勝勢を駆って冀保を挟撃すべく向かう。そこへ郭黒略かくこくりゃく鐵蒺藜てつしつれいを手に馬を駆る。

 晋陣からは伍兌の弟の伍曹ごそう鋼叉こうさを手に馬を駆り、食い止めに出た。郭黒略が放った鉄蒺藜が片目にあたり、伍曹は眼球を飛び出させて馬から落ちる。

▼「鐵蒺藜」は一般に”撒菱まきびし”に類するものを指す。『明史みんし陶魯傳とうろでんには「すなわ堡砦ほさいを築き、甲兵をつくろい、技勇を練り、孤城を以て賊衝をふせぐに郭を建て濠を掘り、鐵蒺藜、刺竹しちくを外に布かば、城の守りは大いに固し」とあり、あきらかに守城戦の際に設置して使われるものと分かる。ここでは郭黒略が投擲とうてきして使っていることから、鎖の先に棘つきの鉄球がつけられたものを想像する方がよい。

 伍兌は冀保を捨てると郭黒略に馬を馳せ、仇を討つべく斬りかかる。郭黒略が迎え撃つもその勢いは凄まじく、五合を過ぎず一刀を浴びて馬から斬り落とされる。

 郭黒略を討ち取った伍兌は、馬頭を返して冀保に向かう。冀保は逃げ出したものの、沈吟の鎗で背を突かれ、ついに討ち取られた。


 ※


 胡延模こえんぼが叫んで言う。

「一戦に三将を喪うとは、都督ととくや先鋒は何ゆえに救われぬのか」

 言うや否や、鎗を引っ提げ馬をち、晋陣目指して馳せ向かう。石勒も咆哮ほうこうすると大刀を抜きつれ、風のように斬り込んでいく。

 高標が鎗を引っ提げて前を阻み、石勒と戦うこと数合を過ぎず伍兌も駆けつける。石勒は左右に敵を受けて物ともせず、たわむれるように戦をつづける。

 蔣和は石勒の勇猛を知ると馬を駆って加勢に向かい、三方から攻め立てた。姜飛きょうひが石勒を救うべく馬を飛ばし、その向かう先を雍州刺史麾下の皇甫澹こうほたんが迎え撃つ。

 苟晞は三将が石勒を包囲したと見るや下知して言う。

「一斉に攻めかかって石勒を討ち取り、しかる後に残党を掃討せよ」

 皮初ひしょ朱伺しゅし夏雲かうん衙博がはくなど十余将が下知を受けて石勒目がけて攻めかかる。姜發が諸将を顧みて言う。

「晋将どもが都督を陥れようとしておる。すみやかに救いに向かえ」

 それを聞いて夔安きあん桃豹とうひょう張越ちょうえつ孔豚こうとん、胡延模、趙鹿ちょうろく劉寶りゅうほう劉膺りゅうよう支屈六しくつりく張曀僕ちょういつぼくが一斉に救いに向かう。

 それより石勒を挟んで攻めかかる晋将と救い出さんとする漢将の戦となり、戦場は混乱して前後を分かたぬ有様となった。

 汲桑きゅうそう呉豫ごよはただちに石勒を救いに向かい、包囲する高標、伍兌、蔣和に斬りかかる。蔣和が怒って鎗を突くも、汲桑は鎗先を躱すと大斧を振るって乗馬の脚を斬り飛ばす。

 石勒は馬から投げ出された蔣和に馬を寄せると一刀の下に両断した。伍兌が救いに向かえば刀の乱れを突いてこれも両断に斬り殺す。

 なおも馬を止めず呉豫と戦う高標の背後に迫る。高標が大いに愕いて馬を返すところ、石勒は馬を寄せて腰から上下に両断した。

 沈吟が胡延模を相手に戦う背後より呉豫が斬りかかる。沈吟は大いに慌て、戦を捨てて逃げ戻る。汲桑は晋兵を斬り散らして数丈の道を拓く。

 胡延模は加勢を受けて勢いづき、呉豫と馬を並べて逃げる沈吟に追いすがった。後ろを顧みて走る沈吟は、憶えず石勒の馬前に飛び出す。

 石勒が一刀を振り落ろして沈吟を馬下に斬り落とした。


 ※


 苟晞の家将の苟應辰こうおうしん驍勇ぎょうゆうを知られ、趙鹿と孔豚を単騎で追っていた。石勒が横ざまに斬りかかって前を阻み、大喝とともに大刀を振るえば、頭は刀に従って地に落ちる。

 夏暘、皇甫澹、衙博、皮初、朱伺、夏雲たちは石勒に従う上黨の諸将と戦い、敵味方が入り混じっての戦がつづく。そこに夔安が飛び込んで見る間に晋将の霍原かくげんを斬り殺す。つづいて汲桑の大斧が胡徳ことくを両断した。ついに上黨の諸将を阻んでいた晋兵たちは総崩れとなる。

 晋の副将の應寵おうちょうが姜飛の馬前を駆け抜ける。姜飛はそれを生きながらとりことし、馬を返して漢陣に向かう。同じく晋の副将の方態ほうたいが應寵を取り返すべくと鉄叉てつさを振るって後を追い、姜飛の脇を狙って鉄叉を突き込んだ。

 漢将の劉膺が叫んで言う。

「姜先鋒、背後より晋将が迫って先鋒をはからんとしておりますぞ」

 聞いた姜飛が顧みれば方態の鉄叉が身に迫る。その柄を掴み止めると微動だにしなくなった。姜飛は片手に應寵を抱えたままで鉄叉を握って離さず、方態は両手で鉄叉を奪い返そうとする。

 姜飛の金剛力に方態は抗う術もなく、ついに引き寄せられて同じく擒とされた。

 應寵と方態の二人を小脇に抱えて漢陣に戻ると、姜飛は二人を地面になげうって縛り上げさせる。漢兵はさらに勢いづき、勇んで晋陣に攻めかかる。

 晋兵が総崩れとなる中、青州刺史の苟晞は諸将に命じて軍列の立て直しを図る。そこに晋兵を斬りたてる汲桑が思いがけず行き遭って襲いかかる。苟晞は馬を返して避けんするも、すでに汲桑の大斧が乗馬の脚を斬り飛ばしている。

 苟晞は馬鞍を蹴って宙に跳び、二丈(約6.2m)ばかりを跳び越えて小高い場所に降り立った。汲桑が大斧を振るって追い詰めようとするところ、晋将の夏暘と皇甫澹が前を阻む。苟晞はその隙に晋の陣に逃げ戻った。

 一方の汲桑は二将を相手に戦いながら晋の陣中に取り込まれた。包囲を破れず、四方に駆けて戦いつづける。そこへ石勒と姜飛が駆けつけて包囲を破り、夏暘と皇甫澹も恐れをなして兵を引く。ついに晋兵たちは潰走に至って踏み止まる者もない。

 劉沈が叫んで言う。

「半歩でも退く者は斬刑に処する。進んで漢賊を退けよ」

 その声に応じて應詹、高潤こうじゅん許雄きょゆう應詔おうしょう、皮初、衙博、朱伺、夏雲が一斉に攻め寄せる漢軍に斬り込む。

 すでに日は暮れかかっている。石勒も眼前の敵が一戦に打ち破れる相手ではないと見切り、諸将に下知して兵を返す。苟晞も金鼓を鳴らして兵を引き、ついにその日の戦はこれまでとなった。

 その後、三鎮将が軍営に戻って兵馬を点検してみれば、一戦の負傷者は五千余人、死者は一万人、劉沈の部将では高標、伍兌、霍原の三将、應詹の部将では沈吟、蔣和、胡徳、方態、應寵の五将、苟晞の家将の苟應辰が戦死した。晋将たちはその死を悼み、嘆息しない者がない。

 朱伺はそれを見て言う。

「ただ嘆くだけではいけません。公らとともに一計を案じ、明日にも今日の仇に報いねばなりません」

 ついで酒宴を開いて苦戦の憤りを散じた後、それぞれの幕舎に戻ったことであった。

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