第百二十六回 陸機は計って両路の守将を選ぶ

 夏庠かしょう沙麓山さろくさんに向かわせ、朱伺しゅし霊昌道れいしょうどうに遣わした後、晋の本軍にある成都王せいとおう司馬穎しばえいは、漢の援軍はひとまずいて城攻めに専念していた。陸機りくきに言う。

「城中の糧秣も尽きようとしているはずだ。この城さえ陥れれば、漢の援軍は自ずから退くであろう」

 陸機はその意見に同じて諸王侯の軍勢に下知する。城攻めは先に同じく諸王侯の軍勢を輪番とし、時を定めて軍勢を入れ替える方法によった。

 張賓ちょうひんは城内にあって城門の戦況を総攬そうらんし、戦況により将兵を配して防禦に務める。攻め寄せる晋兵には日々多くの死傷者が出ていた。

 陸機が攻撃を命じて三日目の未の刻(午後二時)、晋軍が交替するべく兵を引く。次の番手が進むより早く、城の六門より王彌おうび劉霊りゅうれい関防かんぼう黄臣こうしん楊龍ようりゅうなど十二将が飛び出した。

 その勢いは凄まじく、晋兵は軍列を乱して逃げ惑う。晋将たちが慌てて叱咤しったするも、混乱は容易に収まらない。

 鋭気を養っていた漢将たちには敵しがたく、晋兵の屍が丘のように積み上がって流れる血は紅い溝のように見えた。

 この一戦で晋兵は七千もの死者を出したが、王彌たちは散々に追い散らすと兵を収めて城に返した。

 報告を聞いた成都王は漢兵が戦意を失っていないと知り、落胆したことであった。


 ※


 成都王がふたたび軍議を開くべく諸王侯と主だった部将を召し寄せた時、早馬が中軍に駆け込んで文書を成都王に呈した。成都王は一読の後に諸将に示す。書状を読んだ全員が顔色を失って絶句した。

 成都王は使者を召して問う。

「そもそもこの沙麓山を攻める劉曜りゅうようなる者は何者であるのか」

「その身の丈はおよそ九尺(約280cm)、面貌は春の桃花とうかのように紅く、目は漆で描いたように黒く、口は血を受けた盆のように大きく紅く、眉は指二本が入るほどに太く、手の長さは膝を過ぎます。銅鞭どうべんを得物として技量は入神にゅうしんの域に達し、戦うほどに力を益します。味方に敵し得る者なく、戦えども敗戦を喫するばかりでございます」

 つづいて、夏庠の計略により谷中に包囲したことをはじめ、戦の始末を首尾しゅび一遍いっぺん報告して多くの驍将ぎょうしょうが討ち取られた経緯を申し述べる。成都王はそれを聞くと瞑目めいもくして黙座もくざし、諸王侯は胆を奪われるばかりであった。

 成都王がようやく口を開いた。

「劉曜がそれほどの猛将であるとは、真の大丈夫だいじょうふというべきであろう。それがなにゆえに中華の真主である晋帝を助けず、漢賊のために尽力するのか。霊昌道に攻め寄せる石勒せきろく洛陽らくように入った折に顔をあわせたが、一個の快男児であった。孫秀そんしゅうに養父の仇を報じた時にはその義挙をみなが褒め称えたものだ。それが今や漢賊の猛将となって国に仇をなしておるとは」

 成都王が慨嘆がいたんするところ、もう一騎の早馬が中軍に駆け込んだ。使者は馬から飛び降りると、霊昌道の皮初ひしょ、朱伺からの援軍を求める書状を呈する。

 成都王が怒って言う。

「沙麓山も霊昌道も、ただ険阻によって漢賊の援軍を防げと命じたにも関わらず、何故に出戦して兵を失い将を挫くのか。孤の命令が聞けぬというのか」

「石勒が攻め寄せてくる以上、戦わぬわけには参りません。しかし、石勒の副将の姜飛きょうひ汲桑きゅうそう夔安きあんは死を懼れぬ戦いぶりで、味方の多くは討ち取られて軍勢の四、五千を喪うに至りました。もし、霊昌道の軍営を破られれば、漢賊は内外連結して勢いを増し、また兵糧が城に入ればこれまでの軍功が無に帰す、由々ゆゆしき事態となりましょう」

 使者はそう言うと、死傷者の名簿を差し出した。成都王はそれを受け取ると、使者には賞を与えて休息させ、自らは書状をひらいて一読する。

 読み終わると、書状を握り潰して言った。

「百万もの大軍で魏縣ぎけんの城を四十日も囲んで陥れられず、さらに漢賊の援軍を率いる小童にも勝てぬようでは、何の面目があって聖上に復命ふくめいできようか」

 陸機が進み出て言う。

「沙麓山と霊昌道の漢賊どもに抜群の軍略があるわけではありません。ただ、救援に遣わした者たちが将佐の材であって主帥を務める才ではなかったことが原因です。それゆえ、幾度も軍勢を挫かれる過ちを犯したのです。この度は知略に優れた刺史を選んで遣わせば、必ずや漢賊どもを退けられましょう」

 成都王が陸機を睨んで言う。

「卿は元帥の職にあって軍勢の差配を専らにするべきであるに、何ゆえに今まで進言せぬ。徒に自ら名乗り出る者の言葉によって任に見合わぬ器量の者を遣わし、ただ将士の生命を喪うのみならず漢賊の士気を長じて大国の威風を損ない、天下の笑い者となるとはどのような所存か」

「当初は沙麓と霊昌の二賊をくみし易しと見て事を誤りました。今や二賊の勢いは盛ん、精鋭を差し向けて打ち破らざるを得ません。涼州りょうしゅう刺史の張軌ちょうきは計略に長じ、軍略にも精通して麾下に猛将が揃っております。張軌を前駆に揚州ようしゅう刺史の陳敏ちんびん樂陵がくりょう太守の邵續しょうぞく後詰ごづめとします。この二人も知略に優れて識見も長じております。三鎮の軍勢であれば姫澹きたんを援けて劉曜を打ち破れましょう。また、青州せいしゅう刺史の苟晞こうきを前駆として南平なんぺい太守の應詹おうせん雍州ようしゅう刺史の劉沈りゅうちんを後詰とし、霊昌道に遣わします。いずれも三略さんりゃく六韜りくとうに精通して孫子の兵法を会得えとくしており、機略は世の常の者ではありません。この三鎮の軍勢を遣わせば皮初、朱伺を救って石勒を打ち破るのは必定ひつじょうです。さらに、魏縣の城を囲む吾らが昼夜を問わず攻撃をつづければ、必ずや陥れることができます。魏縣、沙麓、霊昌の一箇所でも破れば余は自ずから敗れます。そうなれば漢賊を退けるなど易きことです」

 成都王はその言をれて張軌、陳敏、邵續、苟晞、應詹、劉沈の六鎮将を召して軍議を開くこととした。



 六部の鎮将は成都王の命を受けて幕舎に参じ、成都王が言う。

「孤は六位の方伯ほうはくの軍勢は精強にして将帥は勇敢、威は人を服するに足るものであると知っている。承知のとおり、漢賊の劉曜と石勒が援軍を率いて魏縣に糧秣を送り込むべく攻め寄せている。二賊は猖獗しょうけつを極めて先に遣わした将兵を打ち破り、大国の威厳を損なっておる。思うに、列公を煩わせねば掣肘せいちゅうできまい。それゆえ、六位に足労を願ったのだ」

 張軌たちは互いに顔を見合わせると、成都王に言う。

「劉曜と石勒は胡虜こりょの性を習うがゆえ、野戦に秀でております。力を比べてはならず、智によってとりことするのがよろしいでしょう。先に遣わされた諸将は勇をたのんで軽々しく戦を交えたがゆえに、敗北を喫したのです。臣らが命をこうむって二賊を制するにあたっては、ただ計略によるのみです。軽率に戦って大国の威厳を損なうようなことは致しますまい。安んじてお待ち下さい。日ならず劉曜と石勒の首級を大王の御前に奉げましょう」

 軍議に同席していた諸将は一様に、愁眉しゅうびを開いて言う。

「智勇兼備の六方伯が出馬すれば、いかなる強敵でも容易く打ち破れよう。まして、漢賊の二将など物の数ではない」

 成都王は六方伯の出陣にあたり餞別せんべつ饗応きょうおうと下賜品を盛んにして送り出す。張軌たちはそれぞれの軍勢を率いて昼夜兼行で沙麓と霊昌を目指したことであった。

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