第百五回 李雄は諸将を昇す
晋の官吏たちも朝廷がすでに蜀の地を棄てて救援を遣わす意志がないと察し、郡縣を死守する心を失っていた。それゆえ、李雄に降る者は降り、降らない者は郡縣を棄てて逃げ去った。これによりついに蜀の全土は李雄の有に帰したのであった。
日を選んで祭壇を築き、天に告げる儀礼をおこなって即位し、国号を
▼「天に告げる儀礼」は「
成都を国都として宮室と役所の建設も始められ、
「臣は大王の顧望により光武帝が
▼「骸骨を賜る」は「辞職を許す」という意に解すればよい。老病により官職を願い出ることを「骸骨を乞う」と言い、それから発した言い回しと考えられる。
▼「厳子陵」は後漢の人、子陵は字、名を光という。光武帝劉秀と洛陽で同学であったが、その即位を知ると姓名を変じて身を隠した。光武帝は使者を三度遣わして洛陽に招聘したと伝わる。最期は職を辞して故郷に悠々と暮らして没した。ここでは、「厳子陵のように強いての招請に応じたのであるから、最期も同じように故郷に暮らさせて欲しい」という意味で援用されている。
▼「昆陽の勝」は
李雄は敢えて任官を強いず、絹千疋と金千両(約37kg)を下賜し、
成都の大官は次のように定められた。
また、別に外郡の太守として十人の部将に鎮守を命じた。
それ以外の郡縣、
また、
境内に大赦をおこない、法律を簡素にしてたがいに侵擾することを禁じ、清廉な官吏を登用して民の
これより、蜀の民は生業を楽しみ、中原であってもその安寧には及ばないと言われるまでになったことであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます