第百一回 李雄は成都を取る

 少城しょうじょうを失った後、援軍として成都せいとにあった諸郡の軍勢も犍爲けんいより供給されていた兵糧が乏しくなり、それぞれの鎮所に還っていった。

 羅尚らしょうは内心に怨んだものの、兵糧がなくては如何ともしがたい。

 ちょうどこの頃、李流りりゅうが病床について李雄りゆう李譲りじょうたちが廣漢こうかんに向かったと聞き及び、出陣の準備を進めていた。そこに斥候が還って告げ報せる。

「李流が病死し、李雄がその跡を嗣いで益州牧えきしゅうぼくを名乗りました。流民どもはしばらく軍勢を動かせないでしょう」

 羅尚は常深じょうしん許氾きょはん賀仁がじん費深ひしん李苾りひつたちに一万の軍勢を与えて郫城びじょうと少城の奪回を命じた。任道じんどう王辛おうしんはこれを知るとすぐさま人を遣わして李雄に告げ報せる。

 報告を聞いた李雄は諸将の中で叔父の李讓を見て言う。

「羅尚は先公(李流)の死を知り、侮って無謀にも軍勢を動かしたのであろう。この一戦はかつての戦とは異なり、必勝を期さねばならん。吾は跡を嗣いで日が浅く、易々とは勝利を得がたい。ここは叔父上に出て頂くよりなかろう」

 李譲が言う。

「主公は何も言われますな。五千の精鋭を率いて迎え撃ち、羅尚の軍勢を打ち破って吾らの功業を固めて御覧に入れましょう」

 李雄はそれを許し、上官晶じょうかんしょう任回じんかい楊褒ようほう王角おうかくに一万の軍勢を与えて李譲とともに郫城と少城の防衛に向かわせた。李譲が少城の境界に入ると羅尚の軍勢が郫城にあるとの情報を掴み、昼夜を分かたず道を急いで数日のうちに郫城に到った。

 この時、上官晶は軍を分けて城を囲む官兵の背後に回った。常深はこれを見て言う。

「塵埃が空に舞い上がっておる。賊兵の救援が着いたのであろう。すみやかに敵襲に備えよ」

 官兵は包囲を解いて陣形を整えたものの上官晶の突入を防ぎきれず、たちまち軍列を崩された。郫城に籠もる任道も城門を開いて打って出る。

 官兵は前後に敵を受けて乱れたち、算を乱して逃げ奔った。

 上官晶は軍勢を駆って追い討ちに討つ。官兵たちは刀鎗や兜を棄てて逃れ去り、拾い集めれば数え切れぬほどになった。大敗を喫した常深たちは成都に逃げ戻り、李譲たちも廣漢こうかんに軍を返した。


 ※


 李雄は李譲を城外まで出迎えて言う。

「叔父上の武勇に官兵どもの胆は大いに破られたであろう。しかし、羅尚の老賊をいつまでも生かしておくわけにはいくまい。ただちに成都に攻めかかって一戦し、父兄の仇に報いねばならぬ。それでこそ吾が志も果たされるというものだ」

 閻式えんしきがそれを阻んで言う。

「にわかに成都を攻めるわけには参りません。羅尚の虚実を測って軍勢が出払うのを狙いすまし、急襲すれば成都は必ずや吾らの有に帰しましょう」

 李雄はその言に従って成都に間諜を潜ませ、羅尚の動静を窺わせることとした。それより一月を過ぎず間諜の一人が駆け戻って言う。

「羅尚は兵糧の不足に苦しみ、軍勢を率いて夔州きしゅうに向かい、閬中ろうちゅうの食によるつもりのようです。成都は牙門がもん将軍の羅特らとくが留守となり、涪城は任明じんめいが守っております」

 李雄は諸将を集めて軍議を開き、成都への攻撃を諮った。副総官の徐輦じょれんが言う。

「羅尚は成都を空けるにあたり、孺子じゅしに過ぎぬ羅特に成都を委ねました。これは天が主公に成都を与えたのです。羅特は年若く謀を知りません。精兵を率いて包囲すれば、降るか逃げるかのいずれかより選ぶところはありますまい。涪城を守る任明は謀はあっても決断を欠き、くみするに易きのみです。時機を失ってはなりません。すみやかに軍勢を発されるべきです」

 李雄はついに決断して軍勢を発し、廣漢の留守を李堪りかんに委ねて楊褒にその輔佐を命じる。

 成都に向かう軍勢の先鋒は上官晶があたり、李譲を総帥として閻式と徐輦を参謀とした。厳楡げんゆ、任回が左右の両翼にあたり、文斌ぶんぴん李遠りえん李國りこく王懐おうかいたちを将として成都攻めに向かった。

 成都に攻め寄せた軍勢は鬨の声を挙げて城門に打ちかかる。

 羅特は畏れて出戦せず、李雄は城を厳しく包囲して人の出入りを封じた。包囲された城内では軍民ともに愕き乱れて逃げ出す者が相継ぎ、戦おうという者はいない。

 焦って自ら城壁に上がって督戦したものの、流れ矢を受けてそれもままならなくなった。城内では兵糧の欠乏がいよいよ甚だしく、軍士にも食事が行き渡らなくなり、怨嗟の声が沸きあがって城外まで聞こえるほどであった。


 ※


 城内に変事が起こるのを懼れ、羅特は痛みを堪えて城壁上で督戦し、兵糧を軍士に配って慰労する。

 李雄はそれを見るや城下に馬を進めて大音声に叫ぶ。

「羅将軍よ、吾が言を聞け。今や晋朝の政事は度を失って賞罰さえ明らかではない。忠節を尽くしたところで空しく死ぬだけのことである。そのうえ、羅尚は民より貪って酷政をおこない、軍民の心はすでに離れて城の陥落は旦夕にある。将軍が決断しなければ、火が玉石を分かたず焼き払うごとく、善人も悪人もともに滅びることとなろう。すみやかに降って永く富貴を保ち、家眷かけんを安堵させるのが良策というものであろう」

 羅特は言い返すこともできず城壁から姿を消した。李雄は羅特が死を畏れていると確信し、閻式に言う。

「吾が大事をなせるのは蜀の民心を得たがゆえである。今や城内の困窮は極まった。城を攻め落とせば民を損なわざるを得ず、多くの生命を奪うに忍びない。城内に使者を入れて利害を説き聞かせ、投降させるように試みよ。人命を損なわずに成都を陥れられれば、民心はさらに吾に帰して大事も掌のうちにあるようなものであろう」

「それならば、吾がこれから城内に向かって羅特の心底を見定めて参りましょう。様子を観るかぎり、投降したいと思っておりましょうな」

「軍師が説得に向かうとあれば、成都は落ちたも同然であろう」

 李雄がそう言うと、閻式は軽装に改めて馬に乗り、数人ばかりの従者を連れて城門の下まで進むと城上の兵士を呼んだ。


 ※


 兵士たちが城門の下を見れば、白衣に儒巾じゅきんを被った閻式がただ一人で立っている。

 その姿から軍使と見て取り、疑いもせずに城門を開いて迎え入れた。城内に入った閻式は兵士に付き添われて羅特がいる官衙かんがに向かう。

羅特は閻式を見て問う。

「お前は何者でここに来て何をしようというのか」

「成都の民の生命を救いにまかしました。羅使君らしくん(羅尚、使君は刺史に対する尊称)が李益州りえきしゅう(李雄、益州は自称する官名)に敵し得た理由は、荊州けいしゅう梁州りょうしゅう上庸じょうよう廣漢こうかん犍爲けんいの州郡があり、兵糧を支えて援軍を送ったがゆえのこと、今やこれらの地の半ばは李益州に従い、もう半ばの地に援軍を送る力は残っておりません。さらに羅使君も遠く閬中に去り、成都には将軍のみが留まって外に援軍なく内に兵糧を欠き、民は城を守る意志を持ちません。一朝に城が陥れば身は滅んで名も残らず、累は将軍の家眷ばかりか軍民ともに悲運に陥ることとなりましょう。これでは功名も遂げられません。李益州は紛うことなき英雄、その器量は広く、降る者を遇するにも賓客を迎える礼を以ってされます。誠にその才は天の与えるところ、蜀の民を救おうとしておられます。将軍も天意に応じて人心に従い、すみやかに城門を開いて李益州の軍勢を迎え入れ、ともに富貴をけて一門の寿命を全うされるのがよろしい。さすれば、成都の民の命を救った将軍の功績は高く評価されましょう」

「吾は大晋の方伯ほうはくの子である。敢えて領地を捨てて賊徒に降り、後人にわらわれるのみならず、先祖の名をも傷つけることができようか。まして吾が叔父は李特りとくとりことして斬刑に処した。一族の子弟は怨み骨髄に徹していよう。羅姓の者を生かしておくわけもない。お前は甘言を弄して吾をたぶらかし、この身を仇に与えよと言うのか」

「思い違いをしておられます。そうではありません。その昔、岑彭しんほうは敵対していた光武帝に降り、袁紹えんしょうに仕えていた張郃ちょうこうは魏の武帝(曹操そうそう)に身を寄せました。彼らとて敵将であり、仇敵の間柄でなかったはずはありません。吾は李益州の軍師を務める閻子規えんしき(子規は字)という者です。吾が主の器量はよく敵将をも受け入れ、先にも招きに応じた徐輦を行軍司総官こうぐんしそうかんに任じ、今や鎮國ちんこく将軍にまで進んでおります。李益州にあっては仇怨を結びとどめるなどということは絶えてございません。疑われるのであれば、吾が身命を賭けて天地に誓ってもよろしい。怖れることなど何もございません」

 羅特は閻式の言に理があると覚り、ついに諸将を集めて言った。

「今や吾が軍士たちは数年に渡って流民と戦いつづけ、一時の安息もなく百戦して力を尽くしてきた。それにも関わらず、朝廷からは論功行賞もおこなわれず軍士を労う詔すらない。力を尽くして賊徒を防ぎ、成都を枕に討ち死にしたとしても、誰一人として吾らの心を知ることもあるまい。まして、羅使君は遠く閬中に去って城内の兵糧は払底し、軍士の疲弊は日に日に深まっている。成都を賊徒から守り抜くことはできぬ。落ち延びて隣郡と合力して奪い返そうにも包囲は鉄桶のように厳しく、翼があっても逃れ難い。この情勢を打開する良策を持つ者はおるか」

 諸将はすでに羅特が投降したがっていると見抜いており、声を揃えて応じる。

「すべては将軍のご意向にあります。なぜ早く閻将軍の言に従って軍民を苦難から救い、富貴を保とうとなさらないのですか」

 羅特はそれを聞くと、李雄の軍営に使いを出して印綬いんじゅを奉じ、投降を申し出た。

 李雄はついに大いに軍旗を張って鼓楽を連ね、出城した羅特を自ら出迎えてともに軍営に入った。軍営では酒宴を設けて労う。翌日には成都に入って軍民を慰撫し、羅特を車騎しゃき将軍に任じた。

 これにより、李雄は成都を陥れ、洛陽らくようの晋、平陽へいようの漢、成都の成が鼎立ていりつする形勢が明らかになったことであった。

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