第三十九回 漢将は再び晋将を破る

 孟観もうかん左臂ひだりひじに受けた矢傷は思いのほかに深く筋骨を傷つけた。傷は強い痛みを伴い、半月ほどを療養にあてて戦を避けざるを得ない。

 計略により齊萬年せいばんねんを討ち取って涇陽けいようを包囲したと聞き、梁王りょうおう司馬肜しばゆう雍州ようしゅう城より使者を遣わし、下賜の品をもたらすとともに慶賀の意を伝えさせた。

 その使者の復命ふくめいするところ、孟観はこの半月に渡って出戦していないという。事情を知らない梁王は心中に疑惑を生じ、傅仁ふじんとともに軍営に赴いた。

 孟観が参拝の礼を終えると、梁王はさっそく問いかける。

「元帥はすでに齊萬年を討ち取って賊の心胆を寒からしめ、その勝勢に乗じて涇陽を抜くべきところ、この半月は陣を構えて出戦しておらぬと聞き及ぶ。どのような計略によるものか」

「先に齊萬年を討ち取ったとはいえ、涇陽城下で張賓ちょうひんなる者の計略に陥り、賊の反攻に中軍を冒されて張敬ちょうけいの一矢を左臂に受けました。また、賊将に劉霊りゅうれいという者があり、その驍勇ぎょうゆうは齊萬年に比すべくも、軍の進退に長じて利害を知り、猪武者の齊萬年とは比較にならぬ難物なんぶつです。胡延攸こえんゆう胡延晏こえんあん張實ちょうじつといった者たちも将帥の才があり、詭計をもって破るほかになかろうと考えております。それゆえ、出戦を控えておりました」

「それでは持久戦となって銭糧を多く費やすことになる。また、賊に兵威を蓄える時間を与えて後患を残すようなもの、すみやかに大軍を発して涇陽を奪還すべきであろう。大晋の城池をいつまでも賊の好きにさせておくわけにはいかぬ。将軍は主帥の任を受けている以上、いささかの反攻に臆して大晋の軍威を損なってはなるまい」

 その言葉に問責の色を感じ、孟観は畏まって応諾した。


 翌早朝、孟観は梁王とともに涇陽の城下に到って軍営を構えた。

 涇陽城内では劉淵りゅうえんが四門の守りを厳しく固め、兵を城壁に上げて厳戒を布く。諸将を集めて軍議を開き、守城の策を定めんとしたところ、哨戒の兵が駆け込んできた。

「北門より見張っておりましたところ、西北の空に砂塵が揚がり、一軍がこの城に向かっているようです。距離を測るにそれほど遠くはありません」

「北より兵が来るとは、秦州しんしゅうに何かあったのではあるまいか。晋軍であれば幽州ゆうしゅう代北だいほくの軍勢であろう。そうであるならば、前後に敵を受けて進退に窮する。漢家再興の大事が潰えるやも知れぬ」

▼代北は山西北部、馬邑ばゆうのさらに北にあたり、鮮卑族せんぴぞく拓跋部たくばつぶの勢力圏であった。

 劉淵が厳しい表情でそう言い、張賓は諸将とともに城門に上がって西北を見遣る。城下に姿を現したのは、柳林川りゅうりんせんの本営にあって留守を務める楊龍ようりゅう廖全りょうぜん喬晞きょうきが率いるおよそ一万の軍勢であった。諸将は北門を開いて迎え入れる。

 久闊きゅうかつじょした後、楊龍と廖全の二人が言う。

「吾らは柳林川で軍の動向を探り、その消息は知悉ちしつしております。先日、三部の敗戦と齊将軍の戦死を知って大いに愕き、居ても立ってもいられず軍勢を出したのです」

 諸将が二人を慰労して情勢を説明しようとしたところ、包囲を終えた晋軍が砲声を轟かせた。張賓はすぐさま諸将の分担を定めて各門に遣わし、守りを固める。

「先の戦で張季孫ちょうきそん(張敬、季孫は字)の矢を受けて孟観は半月も出戦を避けていた。今日、再び出て来たとあれば、吾が一軍とともに打って出て、勇を奮って奴の陣を崩してやろう」

 劉霊が言うと、諸葛宣于しょかつせんうが押し止める。

「孟観だけならともかく、梁王の兵も加わって戦意は旺盛です。この涇陽を落とすと決意しての出兵でしょう。籠城だけでは勝利はなく、必ず城下の陣を破って撤兵に追い込まねばなりません。しかし、力攻めでは被害が大きくなりましょう。先に策を定めて後にこれを破るのです」

 それを聞いた張賓が言う。

「いや、打って出るのもよかろう。敵情を探ったところ、孟観はまだ計を定めておらず、戦意はない。出戦したのは梁王が軍営を訪ねてからのことだそうだ。つまり、梁王に責められて兵を出さざるを得なかった周處しゅうしょと変わるところがない。それに、出戦しなくては、敵に弱を示すことになろう。軍列の乱れに乗じて陣を斬り乱せ。それを糸口に計略を仕掛ける」

 劉霊は鎗を引っ提げて馬に打ち跨るや、本営の護衛にあたる三千の兵を率いて城を出た。それを見た諸葛宣于が愕いて言う。

「諸将の配置もまだ終わっておりません。なぜ劉霊の無謀な出戦を許したのですか。急ぎ人を遣わして呼び戻しましょう」

「劉霊の戦意は出戦せねば鎮まらぬ。すぐに後詰ごづめを送って連繋させ、吾らが指揮を執れば敵に遅れはとるまい。誰か劉霊の後詰にあたる者はないか」

 張賓が言うと、援軍を率いて着いたばかりの楊龍が進み出る。

「吾は着いたばかりで寸尺すんしゃくの功も立てておりません。行かせて頂きましょう」

 そう言い終わる前には馬に乗って駆け出した。張賓は五千の軍勢を楊龍の麾下とし、後を追って走らせる。



 劉霊につづいて楊龍が西門を出ると、晋兵が隊伍を組んで劉霊の行く手を阻み、鎗先を揃えて進ませない。劉霊は物も言わずに馬を駆り、砲声が起こるや長矛ちょうぼうを振るって晋の軍列に突きあたる。晋の李肇りちょうも鎗を引っ提げ陣頭に打って出た。

 劉霊と李肇の二人は矛鎗を交えて戦うこと三十合、戦うほどに鎗先が鋭くなるものの互いに微塵の怖れも見せず、互角の戦いを繰り広げる。

 李肇の奮戦で踏みとどまる晋の軍列であったが、横ざまからさらなる猛撃を受けて乱れ立つ。白い面に紅い唇、長い眉に秀でた目、懸けた鼓のように広い額の一将がその軍勢の先駆けに立ち、馬上で大鎚を車輪に回す。

 すなわち張賓に命じられて加勢に出た楊興寶ようこうほうであった。

▼『後傳』では「楊興寶」と明記されていないが、大鎚だいついを遣うところからそう判断した。

 思わぬ攻撃に軍列が乱れたところに、伏胤ふくいんがこれも大鎚を振りかざして割って入る。二人の大鎚が風に翻る二羽の猛禽のように飛び交い、二十合を過ぎた頃から伏胤の大鎚の動きが鈍る。いよいよ危うくなって退こうとすれば、張實と趙概ちょうがいの二将が攻め寄せる。

 紀詹きせんが一軍を率いて迎え撃ち、張實の軍を食い止めた。

 張實が紀詹を迎えて戦う最中、さらなる砲声が天に響く。何事かと顧みれば、東門より趙染ちょうせんと胡延攸の二将、南門より黄命こうめいと胡延晏の二将、北門より黄臣こうしんと張敬の二将が一斉に打って出た。

 三軍がそれぞれに晋軍に攻めかかって両軍の金鼓きんこと鬨の声が戦場を震わせ、砂塵は陽光を遮らんばかりに捲き上がる。晋将たちは必死に抵抗するも時が経つにつれて劣勢に陥り、ついに晋の軍列が崩れかかった。


 ※


 その時、真北の方角にさらなる一軍が姿を現す。

 先頭に立つ一将は縮れた眉に赤眼せきがん、肌は浅黒く鬚は紅く、のろの頭に虎の面、長鎗を手に戦場に割って入り、崩れかかる軍列を繕って劣勢を立て直すと、自らは一軍を率いて張敬にあたる。

 勅命を受けて征西救応使せいせいきゅうおうしに任じられた右衛うえい将軍の周輔しゅうほが、冀州きしゅうから援軍を率いて到着したのであった。

▼右衛将軍も左衛さえい将軍と同じく宮城の衛士を率いる将軍の号、征西救応使は晋代の官職になく、文字通り征西軍の援軍の指揮官を意味する。

 その麾下には祁弘きこう刁闡ちょうせんの二将が従い、張敬を前後より討ち取らんとするところ、胡延晏が行く手を阻んで祁弘を相手に刃を交わす。

 胡延晏と祁弘は悪戦苦闘すること三十合を越えても勝敗を見ない。祁弘の戦意はいよいよ高く、強敵と見た弟の胡延攸も刀を舞わせて斬りかかる。

 張敬としのぎを削る刁闡に楊興寶が大鎚を挙げて打ちかかり、怯んだ隙に張敬の一突きを受けた。そこに周輔が刀を振るって救いに到る。迎え撃つ楊興寶は大鎚で馬を撃ち倒すと、手を返して落馬した周輔の頭蓋に振り下ろす。

 頭蓋が砕かれて血煙が揚がり、周輔は一言もなく命を落とした。

 張敬は逃げ出した刁闡を追って馬を馳せ、その背を一突きして討ち取る。周囲を見回せば、すでに晋兵の屍は延々と道に重なって溝を塞ぐ。

 いよいよ日が暮れて夜陰が迫り、孟観、李肇、祁弘の三将は軍勢をまとめて軍営に退いた。

「今日の戦を観るところ、賊軍には驍勇の将が少なからず、祁弘の援軍が間に合わなければ、敗戦の憂き目を見るところであった。主帥はどのような策で賊軍を破るつもりか」

 梁王の問いに孟観が答える。

「賊軍の士気はいまだ高く、力攻めでは降せますまい。知略で降すよりありません。明日早朝より軍勢を出してすべての城門を囲み、門ごとに数千の弓弩手きゅうどしゅを配して敵に備え、城門が開けば一斉に射かけて出戦を阻みます。十日ほどもそのようにしていれば、城内の柴水が尽きて軍民に乱れが生じましょう。その後に策を仕掛ければ自滅させることができます。城を破って賊が逃げ出せば、とりことするのは容易です。野戦となれば、勝敗は定かではありません」

 梁王も孟観の意見を是とした。


 ※


 翌日、辰の刻(午前八時)より晋兵は旗を収めて金鼓を隠し、城下に入って城の四門を包囲する。張賓と諸葛宣于は城壁に上がって守兵を点検していたが、晋兵が弓弩を城門に向けて並べているのをしばらく観ていた。

「孟観の意図がお分かりになりましたか」

 諸葛宣于の問いに張賓が答える。

「昨日の戦いで晋軍は劣勢となるばかりか二将を喪った。孟観は野戦では勝てないと知るものの、兵法を知らぬ梁王が速やかな平定を命じたのであろう。これは、梁王の意を宥めるために形ばかり軍勢を出して城門を囲み、吾らの出戦を畏れて弓弩を並べているに過ぎぬ。つまり、孟観の本意ではなく、梁王の要求を容れた結果だろう。日が落ちれば陣に戻る。その後退に乗じて奇兵で攪乱すれば、打ち破ることは容易い」

 それを聞いた諸葛宣于は笑って言う。

「お察しのとおりです。城門を囲む兵を破れば、孟観も計略の施しようがなくなりましょう」

 二人は城壁から下りると諸将を集めて命じる。

「昨日の敗戦に懲りもせず、晋兵たちが城門を囲んでいる。おそらくは詭計を施そうというのだろう。ただ、援軍の祁弘は生半なまなかな相手ではなく、先手を打つのが最大の防禦となる。まずは各門の防備を引き締め、それ以外の兵は静養に務めよ。妄動して出戦などせぬよう兵に伝えておけ。午の刻(正午)を過ぎて兵が食事を摂った後はいつでも出戦できるよう備えさせよ。晋兵の撤退を見計らって合図の砲声を挙げる。それに応じて四門より一斉に打って出て、力の限りに攻め立てよ。撤退する背後から攻めかければ、勝てぬということはない」

 各門に諸将を配置し、一隊が出戦した後にもう一隊が連繋して動き、不利な形にならないようにするなど役割を定める。それぞれが配置について合図の砲声を待った。


 ※


 そのころ、晋の軍営では梁王が使者を遣わして孟観に攻撃を促していた。

「軍勢が城に迫っているにも関わらず、賊は軍を出さない。それならば攻撃を仕掛けよ。敵の出戦を待って戦うなどという法があるものか」

 孟観はやむを得ず、四門への攻撃を命じる。案の定、城上から降る矢石を受けて多くの死傷者が出た。兵を引いても城からの追撃はなく、未の刻(午後二時)、申の刻(午後四時)になると、城門を囲む晋兵に緩みが生じる。

「ここまで城に近づいても出戦しないのは、吾らの兵威を畏れているのだろう。今日は出戦してくることはあるまい」

 そう言ってその場に座り込む者、身を伏せる者も出て隊伍が乱れはじめた。

「孟観の狙いは城を攻めることではなく、城を囲んで苦しめることにある。城内の柴水が尽きて動揺するのを狙っているのだろう。それならば、晋兵がすぐに撤退することはない。この懈怠けたいに乗じて攻撃を加えるのがよかろう」

 諸葛宣于はそう言うと、馬寧ばねいに命じて四門の軍勢にその旨を知らしめ、打って出る準備をさせた。馬寧の復命を受けた張賓が合図の砲声を挙げるよう命じ、砲声に応じて四門が開く。

 東門からは劉霊が祁弘の陣に向かって飛び出し、楊興寶が後詰となって楊龍が門を守る。北門からは張實が飛び出して李肇の陣を突き、趙概が後詰となって黄臣が門を守る。西門からは胡延攸が伏胤の陣に攻めかかり、黄命が後詰となって趙染が門を守る。南門からは胡延晏が紀詹の陣に斬りこみ、廖全が後詰となって胡延顥こえんこうが門を守る。さらに、張敬は喬晞きょうき張愷ちょうがいとともに軍勢を率いて解系かいけいが率いる遊軍を食い止めた。

 各軍が殺到すると晋兵は慌て騒ぎ、軍列を立て直そうとする者もない。

 攻め寄せる八将はほしいままに晋兵を斬り陣を破った。救援に向かう解系も張敬に阻まれる。四門の守備に残った楊龍、黄臣、趙染、胡延顥の四将も、もはや門を襲う晋兵はないと見定めるや、晋軍目がけて打って出た。

 晋軍は大いに敗れて逃げ奔り、累々たる屍が地を覆って血が池も砂も赤く染めるほどであった。

 総崩れとなった軍中にある孟観は立て直しを図ったものの、大軍であるために聞く者もいない。ついに日が暮れたこともあって祁弘らとともに軍営に退き、張賓も引き鐘を鳴らして兵を城に戻したことであった。

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