第三十八回 張賓は晋軍を破る 

 晋の元康げんこう元年(二九一)春三月、齊萬年せいばんねん孟観もうかんの陥穽により戦場の露と消えた。

 楊興寶ようこうほうはその屍を奪い返し、劉霊りゅうれい黄臣こうしん趙染ちょうせんとともに戻って張賓ちょうひん諸葛宣于しょかつせんうに戦死の次第を報告する。諸将は痛哭つうこくしてその死を悼み、晋軍への恨みを積んだ。

齊永齢せいえいれい(齊萬年、永齢は字)は創業首功の将でした。その死により軍勢の士気は損なわれております。ひとまず涇陽けいよう主公しゅこう劉淵りゅうえん)に見えて善後策を講じねばなりますまい」

 諸葛宣于の言葉に張賓も頷き、三軍に下知して軍営を引き払い、涇陽に退却した。

 一方、晋の孟観は兵馬を集めて点呼をとると、齊萬年に斬り殺された顧賢こけんに加えて副将七人を喪い、死傷した兵士は三万人を越えた。これでは賊を追撃して再戦をするわけにもいかず、雍州ようしゅうの城に戻って戦果を報告したのであった。

 梁王りょうおう司馬肜しばゆうは宴を張って戦勝を祝い、その後に軍議を開いて涇陽を攻略する方策を定めた。


 ※


 涇陽に戻った張賓たちが齊萬年の戦死を伝えると、劉淵は大哭だいこくして言う。

「齊萬年は吾が腹心の家将、その操行は生死の際にあっても変じるものではなかった。戦死は片腕を奪われたに等しい。これはまさしく天意であろうか。天は漢家の再興を許さず、それゆえに吾が片腕を奪ったのか」

 葬儀にあたり、劉淵は霊柩の前に哭声こくせいを放って哀しみを表し、三軍に涙しない者がなかった。喪礼を厚くして齊萬年を葬り、涙にくれてそれぞれ家に帰る。

「齊萬年といえども命数には限りがあり、その死を悼んだとて蘇るわけではありません。生き残った吾らは漢家再興の大事をつづけねばなりません。孟観は齊萬年を討った勝勢に乗じ、この涇陽の奪還を企てるでしょう。軍勢を立て直して備えねばなりません」

 悲しみに暮れる劉淵に張賓はそう言い、軍議を開いて対策を講じる。哨戒の兵が駆け込んで報告した。

「晋軍がすでに山野を潮のように覆ってこの城に向かっております」

「すみやかに打って出て州境に入るのを防がねばなりません。境内に入れば百姓が動揺しましょう」

 劉霊はそう言うと、甲冑を着込んで打って出ようとした。

 いよいよ城門を出る直前、城外から砲声が頻りに響き、晋軍が五、六里(2.8~3.3km)にまで迫っているという報告が入る。劉霊は出戦を中止すると張賓に報告した。


 ※


 張賓は籠城と策を定めて防備を固めさせる。

「齊将軍が亡くなって晋軍はこの城下にまで攻め寄せてきた。諸将軍が守備に尽力されるとして、果たして吾らは生き残れようか」

 城中の軍士も民も齊萬年を欠いたところを晋軍に囲まれて不安を募らせる。それを知ると、劉淵は張賓を呼んでどうすべきか諮った。

「御憂慮には及びません。齊将軍を欠いたとて百姓が動揺するわけではありません。しかし、明日には一戦を交えて吾らの健在を示し、危難にあっても怯まずに戦い抜く決意を知らしめねばなりますまい」

「張謀主の卓見は的を射ております。しかしながら、兵士は齊将軍の戦死により士気が下がっており、先頭に立って敵にあたる勢いを欠きます。鋭鋒により敵陣を陥れる先陣の将を定めた後に出戦するべきと存じます」

 喬昕きょうきんが言い終わる前に、劉霊と楊興寶が入ってきた。

「陣上の晋将を見るに、吾らに及ぶ者は数人を出ません。先陣はお任せ下さい」

 そこに胡延攸こえんゆうも進み出て言う。

「吾らは晋軍と対する機会すら頂いておりません。この城下の戦いでは自らの力を示して功績を挙げる機会を頂きたく存じます。賞を求めているわけではなく、ただ敵に勝つ機会を頂きたいのです」

「とにかく、今日の先陣は吾らにお任せ頂きたい」

 劉霊が胡延攸の言葉を遮って言うと、諸葛宣于が仲裁に入る。

「先陣を争うには及びません。いずれの方にもお願いしたい任がありますので、吾に一任して頂きたい。それぞれ敵の一陣を切り崩して頂きます。ただし、敵の一人も生かして還してはなりません。兵法に『人に遅れてはならず、先んずれば人を制す』と申します。明日、胡延攸は北門を出て敵に挑み、楊國珍ようこくちん(楊興寶、國珍は字)は北門の内に兵を伏せて下さい。また、黄氏の兄弟(黄臣こうしん黄命こうめい)は二千の兵を率いて西門の内に伏せ、趙氏の兄弟(趙概ちょうがい、趙染)も同じく二千の兵を率いて南門の内に伏せ、劉子通りゅうしつう(劉霊、子通は字)は三千の兵を率いて遊軍となり、劣勢となった味方の救援にあたって下さい。晋軍が崩れなかったとしても、畏れるにはあたりません」

 それを聞いた張賓が口を挟む。

「この策であれば必ず勝ちを得られよう。しかし、私見によれば、劉子通は三千の兵を率いて前駆となり、吾が三弟の張敬ちょうけいが二千の兵とともに後詰ごづめとなり、胡延晏こえんあんが劉子通に代わって遊軍となるのがよい。北門を出た胡延攸が敵と数合したところで砲声を合図に門内の伏兵は晋軍に攻めかかれ。劉子通と張敬は城を出て後ろを振り返らず、晋の中軍を突き破って孟観を擒にせよ。孟観を取り逃がしたとしても、緒戦は完勝を収められよう」

 それを聞いて諸葛宣于も頷く。劉霊と張敬は指示を受けると、兵の配置を定めた後に深夜まで宴飲して散じた。


 ※


 翌早朝に張賓が城壁上より眺めれば、晋軍はすでに城を囲んで盛んに気勢を挙げている。西門前の陣に翻る旗を見れば、「副元帥ふくげんすい 紀詹きせん」と大書されている。南門前には主将の軍旗が掲げられ、その前駆を伏胤ふくいんが務めているらしい。東門の前には「平羌へいきょう将軍 李肇りちょう」の旗が翻り、遊軍の騎兵を雍州刺史の解系かいけいが率いている。

 北門に陣を置いていないのは兵法の定石通り、城中の者たちが逃れようとするのを待ち、計略に陥れるためであろう。

 張賓は晋軍の様子をじっくり観てから劉霊と張敬を呼んで言う。

「今日の一戦はお前たち二人にかかっている。たとえ孟観が陳平ちんぺいのごとき機略を備えていたとしても施す暇がなければ畏れるに足りぬ。この策はつまり、『迅雷を見てから耳を覆っても雷鳴が響くのに間に合わない』という策なのだ。孟観はそれを知らぬがゆえに成功は疑いない。晋兵たちが二度と涇陽の方角を顧みられないよう、骨の髄まで恐怖を叩き込んでやれ」

 二人が軍勢に戻ると、張賓は北門より出撃するよう胡延攸に命じた。


 ※


「齊萬年が殺されて比肩する将がおらず、怖れて城に引っ込んでいるのであろう」

 晋兵たちは戦がないのでそうわらっていたが、城に張り付けば城壁の上から矢石を落とされるため、城攻めにも準備が伴う。その最中、北門が大開するや軍勢が湧き出るように姿を現した。

 土砂崩れのような勢いで攻め寄せる陣頭には、長躯ちょうく巨体きょたい、虎のうなじに火のような赤ら顔の一将が大刀を振るって進み、晋軍に突っ込んだ。

 伏胤が食い止めようと兵を向け、十合にならぬうちに重ねて鬨の声が挙がる。遊軍を率いる胡延晏である。伏胤は鎗法を乱して劉霊の鎗先をひじに受け、慌てて本陣へと逃げ込んだ。胡延晏はそのあとを追い討って軍列を斬り乱し、早くも晋兵の屍が積み重なる。


 ※


 東門に対する李肇は、北門から軍勢が現れたと聞くと、城を廻って北に向かう。

 城壁の上からその様子を見た張賓が砲声を挙げると、北門の内に伏せる楊興寶の軍勢が打って出る。ついで西門上の馬寧ばねいも砲声を挙げ、黄臣と黄命が精鋭を率いて飛び出した。さらに南門からは趙概と趙染が突出する。

 晋兵たちは大いに愕くと一団にまとまって攻撃に備える。

 北門を出た劉霊と張敬の二人は真っ直ぐ晋の中軍に斬り込んだ。劉霊は元帥の居場所と思しき麾蓋きがいを見つけると、長矛ちょうぼうを振るって晋兵の中を突き進む。

 晋軍から四人の副将が馬を出して阻んだものの、長矛の一動ごとに一人が突き殺され、たちまち全員が馬下に屍を晒した。さらに五、六人の副将が駆けつけるも張敬が立ちふさがり、半刻(一時間)を経ずいずれもその鎗に討ち取られた。

 孟観は事態を急と観るや馬を駆って引き退き、劉霊は馬に鞭して追いすがる。

 逃げ切れないと覚った孟観は馬頭を返して双簡そうかんを執り、ひとしきり戦うこと三十合、いまだ勝負を決さないところに李肇と紀詹が駆けつける。二人は城下で劣勢となったところに孟観が賊に追われているとの報を受け、戦を捨てて馳せ戻ったのである。

 劉霊は二将を相手に怯む色もなく、縦横に戦って微塵の隙も与えない。三つ巴の戦いが五十合を過ぎた頃、晋兵に怖れの色が表れた。

「先に入念な計略により齊萬年を討ち取り、残党を掃討するばかりと思っておったが、その後にこのような猛将が控えているとは知らなかった。これでは、兇神を除いた後に悪鬼を招き入れたようなものではないか」

 その間も劉霊は奮戦してやまず、孟観は軍士に命じて弓弩きゅうどを揃え、劉霊を囲んで一斉に矢を放たせた。劉霊は馬を損なうことを懼れて矢を払いつつ囲みを逃れ、矢が尽きたと観るや、馬頭を返してふたたび晋兵の軍列に斬りこむ。

 その馬前に死傷する兵は数え切れず、あえて行く手を阻む者もない。ひたすら孟観の首級を狙う劉霊の前に一路の道が拓いた。


 ※


「この者を打ち漏らしたならば、軍令により処罰する。討ち取ってしまえばもはや羌賊きょうぞくなど畏れるに足りぬぞ」

 孟観が大呼して将士を励ましたところ、折よく劉霊を探す張敬が大道に沿って攻め寄せてきた。晋軍を見れば、金の兜に紅の軍袍ぐんぽうを着た者がいる。これこそ晋軍の主帥であろうと心得て、ここぞとばかりに強弓を引いて矢を捻り、猿臂えんびを伸ばして一矢を放つ。矢は狙いを違えず孟観の左臂に突き立った。

 孟観は落馬をこらえたものの痛手を受け、馬鞍に顔を伏せて逃げ奔る。

 張敬は矛を引っ提げ馬腹を蹴って、逃げる跟に追いすがる。そこに軍勢を返した伏胤、李肇、紀詹が駆けつけて殿後でんごを守り、さすがの劉霊も追撃を切り上げて兵を収めた。

 馬を返そうとすると、そこに胡延攸、黄氏と趙氏の兄弟も軍勢を率いて現れ、城下の晋軍が五十里(約27.8km)ほど退いたと告げ報せる。

 孟観は軍営を退けて涇陽の城と対峙に入ったことであった。

▼晋兵が言う「兇神を除いた後に悪鬼を招き入れた」は、『後傳』では「兇神七殺を除き得て、却って悪曜五丁を添え来らん」であるが、おそらく明代の口語であろう。詳しい意味は解しがたく簡潔に訳したが、意味は「一難去ってまた一難」に過ぎない。

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