第十九回 劉淵は柳林川に兵を聚む

 蜀漢しょくかん後主こうしゅ劉禅りゅうぜんの末子である劉璩りゅうきょ劉淵りゅうえんと名を改め、郝元度かくげんどたち羌族きょうぞく三部帥さんぶすいの許しを得て柳林川りゅうりんせんに拠点を定めた。

 それよりひたすらに屯田を広げて糧秣を積み、余財で馬を買い込むとともに士卒を集め、軍勢を整えることに専心した。ほどなく三万を超える精兵を擁するに至り、この精兵をもといに漢を復興すべく、主だった者たちと挙兵の計画を練りはじめる。

郝北部かくほくぶ(郝元度)の許に投じて漢を再興する拠点を定めるというお前の意見は正しかった。今や三万の精兵を得たからには、すみやかに郝北部と挙兵を相談しなくてはならぬ。無断で事を挙げては好意を損なうであろう。それでは再興も覚束ない。ましてや、吾らは恩を蒙った身であり、大事をなす前に恩人に違背することは不祥である」

 劉淵はそう言うも、郝元度に投じるように勧めた当の齊萬年せいばんねんが異論を述べる。

「吾の観るところ、郝北部は晋の兵威を畏れています。それゆえ、吾らが挙兵を主張すれば、表向きは賛成しても、実際には動かないでしょう」

「いや、郝北部には義気があり、碌々と安全な立場を保つ人ではありますまい。心中の漢を追慕する心も薄くはありません。まずは情理を尽くして挙兵を説けば、吾らに同心するか、違背するかも明白になりましょう」

 劉伯根りゅうはくこんがそう言った折から、東西の撫帥ぶすいである馬蘭ばらん盧水ろすいの使者が来て、ともに郝元度をおとなって長寿を祝いたいとの書状を寄越した。

「これこそ天佑、吾らにとって好機だ。馬蘭は馬孟起ばもうき馬超ばちょう)を大叔父としている。吾らの挙兵に賛同することは疑いない」

 劉淵はそう言って郝元度を祝う品々を揃えると、柳林川を発って馬蘭、盧水と合流した後に北部に向かった。先触れを遣わして来意を告げれば、郝元度も慌しく出迎え、相見の礼を終えると鼓楽を並べての宴会となる。

 宴もたけなわとなると、齊萬年が立ち上がって言う。

それがしどもは代々漢の臣として禄を食み、漢が亡びた今も心に忍びないものがあります。そもそも、某どもが大王の許に投じた理由は、その義気が高く、亡国を保って絶家を継がせ、困窮を助けて危難を救うことを旨とされていることによります。吾らは成都せいとを出てすでに齢五十に迫るも、いまだ仇に報いることさえできず、慙愧ざんきの念に堪えません。それでも、挙兵して漢を復興する志を日夜忘れておりません。大王に漢の復興に尽力して頂ければ、吾らにとってこれに過ぎる僥倖はなく、殊勲は大王に帰されましょう。この場にて敢えて大王のご意向をお伺いしたいのです」

「仇に報いて漢を復興するとは、小事ではない。吾ら数人がこの荒涼の地に拠っても、兵馬は少なく糧秣にも事欠く。妄りに晋という大国と事を構えて災いを呼び込むべきではなかろう。また、この北地は秦州しんしゅうに近く、刺史の夏侯騄かこうろくには万夫不当の勇があり、近隣の郡太守を統べて羌族の叛乱に備えている。さらに、夏候騄の配下の別将、副将たちは、それぞれ廉頗れんぱ李牧りぼくの武勇を誇り、英布えいふ彭越ほうえつの技量を備えている。古人の言によれば、『羽翼が揃わなければ高く飛べず、智謀が備わらなければ敵国を併呑できない』という。愚見では、今しばらく時節を待ち、軽率な挙兵は慎むのがよい。その間に糧秣を積んで精兵を集め、根本を固めた後に事を謀るべきである。わずか数万の兵で超世の功を立てようとしても、それは至難であろう」

▼廉頗は戦国時代、李牧は漢代の名将、英布と彭越は劉邦に従った猛将である。

 郝元度がそう応じるも、齊萬年は涙を流して言い募る。

「主君と父母の仇とは倶に天を戴かないと言います。漢主はかつて失徳の行いがなかったにも関わらず国を失い、司馬昭しばしょう司馬炎しばえんは魏に仕えながらついに国を奪いました。それゆえ、民は晋に心服しておりません。日夜心を傾けてこのことを考えますに、功業をなすのは天意であり、忠義を掲げて主君に報いるのは人心です。漢の光武帝こうぶていは故郷である白水郷はくすいごうの烏合の衆を率いて中興を成し遂げ、楚の項羽こうう江東こうとうに逃れた後に百万の兵を擁する秦を覆しました。これより観れば、成敗は兵の多寡によりません。万一、挙兵して事がならなければ、西の洛陽に向いて自ら首をね、漢主に謝罪するのみ、吾らにできることはそれだけです」

 馬蘭も久しく漢の復興を志しており、劉淵たちと協力して事にあたれば、成功も難しくないと進言した。盧水がそれに口添えして言う。

「武勇に秀でた齊将軍と劉子通りゅうしつう劉霊りゅうれい、子通は字)に柳林川の精兵があれば、司馬氏も怖れるに足りません」

 揃ってこう言われると、さすがの郝元度も自説に固執できない。

「各位が謀計と知力を尽くすとあらば、強いて妨げるつもりはない」

 ついに挙兵を主張する諸将に譲り、盃を挙げて齊萬年に祝いを述べる。

永齢えいれい(齊萬年、永齢は字)は齢五十に迫っても世に比肩する者がない義士、古の忠英の人を凌ぐ。義挙を阻むつもりはない。挙兵してともに助け合おう」

 その約諾の言が終わった後、劉淵たちは拝謝して軍営がある柳林川に還っていった。それより吉日を選んで諸葛孔明しょかつこうめい諸葛亮しょかつりょう)、馬孟起、さらにその祖先の伏波ふくは将軍の馬援ばえんの廟を祭り、天を仰いで歴代の漢帝の霊に報告をおこなった。

▼馬援は後漢につかえた将軍、馬超はその末裔を称していた。


 ※


 蜀漢の滅亡より三十年が過ぎた元康げんこう四年(二九四年)春三月庚申の日、劉淵たちはついに挙兵に至る。

 齊萬年を先鋒、劉霊を後詰めとし、劉淵が中軍を率い、劉伯根が糧秣を掌り、新たに召募に応じた喬晞きょうき喬昕きょうきんを遊軍とする三万の軍勢が、秦州との境界を越えて攻め入る。

 途上、秦州の属縣は手もなく降って守兵は我先に逃げ出した。糧秣と武器を奪うのみならず投降する兵も多く、五千の兵を加えてただちに秦州に軍勢を進める。

 逃れた晋兵は一散に秦州を目指し、事態を報告した。

 刺史の夏侯騄は報に接し、檄文を近隣の縣に飛ばして軍勢を集め、糧秣を城内に運び込ませる。さらに、配下の者を遣わして関津に高札を掲げさせ、次のように命じた。

「ここに北地の郝元度らが齊萬年とともに叛乱を起こした。亡命無頼の徒が身を投じれば、鎮圧するにも難しくなろう。このため、各地の関津を厳守して無頼の徒の通行を許してはならない。掲示する割り印を持って身分を照会できた者に限って通行を許し、身元不明の者たちは拘留して身柄を郡縣の官府に移送せよ」

 さらに険要の地や隘路の出口には新たに関塞を置いて兵を詰めた。その関塞は辰時(午前八時)に開いて申時(午後四時)より遅い時間には閉ざされ、妄りに人の通行を許さない。河川の渡し場も同じくし、厳しく通行を制限したのであった。


 ※


 棲鳳崗せいほうこうにいた黄命こうめいは北地の羌族が叛乱を起こしたと噂に聞き、張賓ちょうひんに言う。

「聞くところ、羌族に齊萬年という者があって叛乱を起こしたそうです。蜀漢にも同姓同名の者がおり、成都陥落の際に姿を消して行方知れずとなっています。吾らは流浪して艱難を嘗めており、難を逃れることを思っても仇敵に報復する日が来るとは思いもよりません。もし、この齊萬年が漢家に尽忠する人であるなら、この羌族の叛乱こそが吾らの願いではありますまいか」

 一同がただ涙を流して言葉もないうちに陳元達が外より帰り、様子を見て問う。

「みなさんの表情を見るに、悲哀の色がおありになる。何か手落ちでもありましたか」

「浮き草のような身にあって、短い間とはいえ殊遇を頂いた御恩は心骨に刻んで忘れようもありません。どうしてご心配のようなことがありましょうか。あなたの真誠は君子の意であり、虚妄でないと知りながら、本日まで吾らの素性をお話できずにおりました。某は蜀漢の遺臣なのです。吾は張琢州ちょうたくしゅう張飛ちょうひ)の孫にあたり、姓名は張賓、字を孟孫もうそんと申し、二人の弟はそれぞれ張實ちょうじつ、字は仲孫ちゅうそん張敬ちょうけい、字は季孫きそんと申します。これなる二人は黄漢升こうかんしょう黄忠こうちゅう、漢升は字)の裔、黄臣こうしん、字は良卿りょうけい、黄命、字は錫卿しゃくけいといい、あれなる三人は趙常山ちょうじょうざん趙雲ちょううん)の孫、趙染ちょうせん、字は文翰ぶんかん趙概ちょうがい、字は文勝ぶんしょう趙藩ちょうはん、字は文皋ぶんこうと申します。蜀漢の後主は黄皓こうこうを親任して吾らは用いられず、良籌りょうちゅうを述べるに道なく国家を破るに至り、晋の追及を避けてここに逃れて参ったのです。常に復仇の志を懐きながらも叶える術さえなく、覚えず憂いを面に表わしてしまいました。不審に思われたこと、平にご容赦下さい」

 陳元達はそれを聞いて愕き、周りを見回して言う。

「もとよりあなた方が尋常の人ではないと思ってここにお引き止めいたしましたが、漢家の重臣のご出自とは知らず、日頃の無礼はお許し下さい。しかし、その秘密は厳に守らねば災いがたちどころに至りましょう。僥倖を狙う者は少なくありません。そのような者たちに聞かれてはどのような難儀があるか分かりません。このことは他の者にはお話になりませんように」

 張賓はそれを聞き、先ほどの一同の気持ちを述べる。

「後主の皇子も吾らと前後して成都より落ち延びられたものの、道を東西に分かって所在を失ってしまいました。その後、今に至るまで何処におられるのか分かりません。何とか合流して蜀漢を復興せんと思い定めておりますが、連絡の取りようもありませんでした。近頃聞くところ、北地にて齊萬年という者が挙兵して叛乱をおこしたとのこと、吾らもそれに触発されて復仇の情を強くいたしました。明日にでもこの地を去り、あなたにこれ以上のご迷惑をおかけしないようにしたいのです」

 その時、先ほど外に出て行った黄命が戻って言う。

「羌族の叛乱について知る者に尋ねたところ、北地ほくち羌帥きょうすいの郝元度、東部帥とうぶすいの馬蘭、西部帥せいぶすいの盧水だけではなく、打虎だこ慕義ぼぎ将軍を名乗る齊萬年という者が前駆となって秦州北部の郡縣を陥れ、別に劉霊という将が秦州西部より攻め込んで合流し、いよいよ秦州城に攻めかかろうとしているとのこと、叛乱の首謀者は分かりません。ただ、齊萬年にせよ、劉霊にせよ、蜀漢所縁の二人の名が羌族にあって叛乱を起こしたとは考えにくく、この二人が蜀漢の遺臣であることに疑いはありますまい」

 陳元達はそれを聞いて言う。

「おそらくその通りでしょう。みなさんの相を観るかぎり、すでに厄運は尽き、これより泰運を開いて公卿こうけい将相しょうしょうに昇る気があります。齊萬年の乱はその契機、大業をなすべき時節が到来したのです。あなた方は彼らの軍勢に身を投じられるのがよい。吾も遅れて赴き、いささかの助力をいたしましょう」

 陳元達もまた、時勢を待つ人傑の一人だったのである。その夜は酒肴を整えて餞別の宴を張り、秦州までの路銀を用意して一行を送り出したことであった。

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