第十八回 張賓は盗に遭いて陳元達を訪う

 張賓ちょうひん張實ちょうじつ張敬ちょうけいの張家三兄弟、黄命こうめい黄臣こうしんの黄家兄弟、趙概ちょうがい趙染ちょうせん趙藩ちょうはん趙勒ちょうろくの趙家四兄弟に趙家の従僕である汲桑きゅうそうからなる一行は、成都せいとが陥落する際に一旦身を隠し、そこから漢中かんちゅうに逃れ出た。

 張賓兄弟は張飛ちょうひの孫、趙概兄弟は蜀漢の征西せいせい将軍であった趙統ちょうとうの子、つまり趙雲ちょううんの孫にあたる。この二家の者たちは武勇に秀でるのみならず、その義気は山の如く動かし難い。

 黄臣と黄命もまた蜀漢の老将軍として知られる黄忠こうちゅうの孫にあたる。

 張賓は彼らと兄弟の交わりを結んでいた。

 また、趙家に仕える家僕の汲桑は字を民徳みんとくといい、渭北いほく楽郷がくきょうの出身、その性格は剛猛にして力は万人に敵し、駆ければ飛ぶように迅く奔馬にも追いつくほど、漢中の戦にあって多くの軍功を立てた者である。

 さらに、趙染の弟に趙勒という者があるが、この時はまだ幼く、汲桑が背に負って成都から脱出したのであった。趙勒の脚では他の者に追いつけず、今は遊牧民が使う馬革の袋に放り込まれ、汲桑がそれを背負っていた。

 張賓たちは漢中を出て雍州ようしゅう梁州りょうしゅうの境界に到った。

 途中で出会った人々は汲桑と張賓の容貌から商人にも農民にも見えず、宿を借りて飯を買った土地の人々は賊徒かと疑った。一行は無用の疑いを避けるために鎗や大刀を手放し、短刀を懐に道を急ぐ。

 数多の艱難かんなんを嘗め尽くして河西かさいの地に到ると、しばらく身を潜める場所を探したが、落ち着き処も見つからない。


 ※


 ある日、昼飯時になろうという頃に黒莽坂こくもうはんという場所に辿りついた。首を伸ばして遥か前方を見遣っても周囲に村落はなく、ただ野火の煙が日を翳らせて野鳥の哀しげな鳴き声が響く。傍らの堤には枯れた楊柳が佇み、枯れ草が眼前に広がるばかり。泊まる宿もなく、いつの間にか道を失っていた。

 ほどなく天は暮れかかり、方向も分からなくなって呻吟しんぎんするところ、金鼓きんこの音が鳴り響き、柳が植わった堤より二人の男が飛び出してきた。その後に続く者が百人ばかり、みな剽悍ひょうかん羌族きょうぞくである。

 首魁しゅかいの二人のうち、一人は黄眉こうび緑眼りょくがんに大きな鼻と長い髯、身長は八尺余(約250cm)あり、頭を黄巾で包んで紫の皮衣を着込み、裸足で大斧を手に腰間には二股の投げ鎗を挿し挟む。

 もう一人は身長九尺(約280cm)ばかり、肌は黒く髯は短く、四角の顔に大きな耳、広い額にふとじしの体、頭を赤いさくで包んでてんかわごろもに草鞋履き、大刀を手に腰間には弓矢を提げる。

 二人は大呼して言う。

「お前たちは一体何者だ。財物があるなら置いて行って通行料にしな。そうすればここを通してやらあ。もし断るんなら命を貰う。生まれ育った故郷があるなら、知らねえ土地で亡者になることもねえだろう」

 張賓が舌先三寸で逃れるべく言う。

「吾らは漢中からの旅客、商いをしくじって元手を失い、今は財物を携えておりません。これより秦州しんしゅうに向かい、雇主より路銀を借りて故郷に還ろうとしているのです。ここまで来て日が暮れてしまい、道に迷ってしまいました。将軍の恩徳でここをお通し下さい」

 羌族の巨漢は張賓の言葉を無視し、大斧を振るって張敬に斬りかかる。避けるだけでは危ういと、張敬も短刀を抜き、闘いが始まった。張敬に万一があってはならぬと張實も短刀を抜いて大斧を防ぐ。


 ※


 張賓がさらに声を張り上げて言う。

「将軍よ、異郷の客を憐れんでゆるされよ。吾らはただ生命を保とうとしているだけなのです」

「俺らは命が欲しいわけじゃあねえ。銭金を差し出せば通してやろうってんだよ。銭も出さねえってのなら、俺らの手は止まらねえぞ。斧の味でも試してみろや」

 男が攻め手を止めないと見るや、黄臣も杖を引いて参戦する。賊徒は黄臣を恐れず競り合いになった。張敬、張實、黄臣の得物は短く、賊徒を斬り退けるには至らない。

 日はまさに暮れようとしており、趙染と黄命も短刀を抜いて加勢する。

「異郷の人間だってえから囲み殺さなかったってのに、幾ばくかの通行料を俺らの酒代にするのも嫌がり、かえって手向かおうたあ、ずいぶんと肝が太えじゃねえか」

 賊の副頭目らしい赤い幘の男はそう言うと、大刀を抜きつれて撃ちかかる。

 趙概と汲桑は荷物と趙勒を一所に下ろし、それぞれ武器を手に群がる賊徒に立ち向かった。賊徒は十数人が一団となって一人の退く者もなく、喚き叫んで闘いつづける。

 数人の賊が足元の荷物に目をつけて一斉に飛びかかり、荷物を奪って逃げ出した。張敬と趙概は闘いの最中にあって荷物を追えず、怒りを込めて首魁に斬り込んでいく。

 荷物を奪ったと見るや首魁らしき男が叫ぶ。

「日は落ちた。俺らがこやつらを阻む間に、さっさと先に行け」

 その言葉を潮に賊徒は風に払われたように逃げ散った。去り際に賊徒の一人が趙勒の入った革袋を奪い去る。それを見た汲桑は、取り返すべく賊徒のあとを追いかける。


 ※


 百歩先が見えない夜闇の中、黄臣、張敬をはじめとする一行は、首魁二人が率いる賊徒を相手に戦いを続けていた。

 赤い幘の男が呆れたように言う。

「お前ら、死ぬまで引き下がらねえつもりかよ。俺たちがお前らを殺せないと思うのか。ほどほどにして引き下がった方が身のためだぜ」

 賊徒は大刀や鎗を揃えており、短刀では身を守るのが精一杯、さらに首魁二人に従う賊徒は一行の二倍を越える。

 張賓は被害が広がるかと懸念して叫んだ。

「こやつらは賊徒、勝っても奪った荷は還ってくるまい。この場はこれまでとせよ」

 黄臣と張敬も賊徒を捨てて引き下がり、首魁二人も残党をまとめて退いた。賊徒を追った汲桑は健脚を飛ばして易々と趙勒が入った革袋を取り返す。

 賊徒は財貨と思い込んで一斉に追いかける。暗闇に紛れて逃れたものの、張賓たちとは逸れてしまった。


 ※


 趙染たちは汲桑と趙勒がいないと気づき、声高に呼んで探しはじめた。汲桑はそれを賊徒の声と思い込んでその場から遠ざかる。趙染たちは四方に分かれて呼びかけたが、二人の逃げた足跡もなく、賊に捕まったかと大いにこくした。

 張賓はそれを止めて言う。

「汲桑は走れば日に四百里(約224km)を行き、八百斤(約478kg)を背負う豪傑、賊に馬がなければ捕まるおそれはない。趙勒を背負って遠くに逃れ、呼んでも聞こえぬだけだろう。この暗夜では見つけ出せまい。夜が明けた後、改めて居場所を探すこととしよう。まずは昨夜泊まった郭胡かくこの家に戻り、一夜を明かしてからのことだ」

「それは良策ではない。衣服を奪われたわけでもなく、夜を明かすのに不足はない。荷物は奪われても身につけた金銀で路銀も足りる。郭胡の家に引き返すには及ぶまい」

 黄命がそう言ったところ、汲桑と趙勒を探しに出ていた趙藩が駆け戻って言う。

「二人の足跡を探したが手がかりはない。ただ、この先に庄村しょうそんがあるらしく、林間に灯が見えていた。行って一夜を明かすのがよいだろう」

 一行が趙藩について行くと、間もなく言葉のとおり庄村に到り、大きな屋敷の門を叩いた。

 屋敷の僕隷ぼくれいたちが垣根から窺がえば、虎彪こひょうのごとき男たちが門前にたむろしている。夜陰に乗じた強盗かと懼れ、それぞれが武器を手に打って出ようとした。

 そこに張賓の穏やかな声が響く。

「吾らは遠方からの旅客、不良の徒ではございません。この先で山賊に荷物を奪われて身一つになってしまいました。この夜半に行くあてもなく、食料を分けて頂きたく門を叩いたのです。一夜を明かせば、この地を去ります。願わくは、御恩の浅からざらんことを」

 内にいる者たちには、客人と見て家主に報告しようとする者あり、客人であろうと武器を持っている者を妄りに泊めては万一の際に取り返しがつかないと言う者あり、口達者な賊徒だと憤る者もあって収拾がつかない。

 内の喧騒を聞いた張賓が言う。

「剣と琴は旅人が欠かさず携えるもの、帯剣を理由に人の善悪は定められますまい」

 その言葉に応じるように門を開いて男が出てきた。長身ちょうしん雄偉ゆうい、広い額に長い髯、眼は漆を点じたように黒く、佇まいは静謐だが内にひぐまのような猛々しさを秘める。門前の八人を一瞥いちべつすると、磊落らいらくたる様子から凶行をなす人品ではないと見定めたらしく、僕隷たちを叱りつけた。

「遠路の客人があれば、吾に報告すべきであろう。門を隔てて悪罵するとは礼にもとる」

 張賓はその慧眼に舌を巻き、僕隷を庇って謝罪した。

「山賊から逃れてこのような夜半に押しかけてしまい、礼を欠いたのは吾らが先です。誤解を招いても無理はなく、彼らに罪はありません。何卒、御寛恕ごかんじょ頂きたい」

 庄主しょうしゅと思しき男は謙恭に挨拶をすると、一行を門内に招じ入れた。

「あなたがたはどこで山賊に出遭ってここまで来られたのか。このあたりで起こったことであれば、管理している吾の過失、詳しくお聞かせ願いたい」

 庄主は徴税や紛争の調停、それに治安の維持を責務としており、当然の問いである。

 張賓が答える。

「吾らは漢中の者ですが、河西と陝西せんせいの間で馬のたてがみを売買して生計を立てております。ここから二、三里(1~1.5km)ほど離れたところに荒れた堤があり、道を失って手前の柳林より先を窺っていたところ、二人の猛者とそれに従う百余の賊徒に荷物を奪われてしまいました。日が暮れて進退に窮し、夜半にも関わらず伺った次第です。しばらく賊徒を避けて明日には身の振り方を決めようと考えております。願わくは、一夜の宿をお貸し頂きたい」

 それを聞くと、庄主は僕隷に命じる。

「客人は道中にて難儀に遭われ、さぞかし空腹であろう。酒飯を整えてお出しせよ」

 一同は難儀の多い一日であったが、庄主の歓待に心が休まるようであった。


 ※


 酒食が揃うと互いに名乗り、一座の話題はこの土地のこととなる。

「吾が姓は王、名を伏都ふくとと申します。みなさんが賊徒に遭った場所は黒莽坂と呼ばれ、柳林が密に茂って昼なお暗く、それが三十里(約16.8km)ほどもつづくため、賊徒が拠って人を集め、時を選ばず出没します。もともと居民は多かったのですが、住民の多くが賊徒を避けて隣郡に移り、民家もなくなってしまいました。吾はここに住んで厳しく備えているため、彼らも敢えてここまでは来ません。この十里(約5.6km)四方の土地を管理して租税を徴収し、それ以外の課役は免除されておりますので、生活に不自由はありません」

 張賓が先ほどの賊徒について問うと、王伏都が答える。

「あなたがたが出遭った賊の首魁は、姓を、名をあんといい、碧眼彪へきがんひょうと号して孟賁もうほんのごとき勇を誇っています。もともと富家の子弟でしたが、勇を好んで拳棍鎗棒けんこんそうぼうを習ったのをきっかけに、人と武芸を比べて敗れれば大金を払い、無頼の徒と結んで飲酒いんしゅ遊興ゆうきょうに家産を破ったのです。その妻は美しく賢明でしたので、虁安の行いが道から外れていると憂い、気の病にかかって世を去りました。それより意見する者もなく、ついに放恣ほうしの果てに身を落としたのです。副頭目の姓はそう、名はぎょくといい、もとは無頼の少年でした。その家系は魏の曹爽そうそうの末裔といい、司馬氏の害を避けてここに逃れたと聞きます。虁安と武芸を比べて甲乙付けがたく、義兄弟の契りを結んだそうです。賊徒とはいえ、一方では義侠心に富んで善良の民を欺かないと広言しています」

▼曹爽は司馬懿しばいに三族を滅され、子孫の名は伝わらない。

「あなたは彼らのことに詳しい。思うに、彼らと交誼を通じておられるのではありませんか。そうであるならば、吾らの奪われた荷物を取り返して頂きたい」

 張賓がそう願うと、王伏都は難しい表情を浮かべた。

「彼らが賊徒に身を落としてすでに久しい。奪った財物はすぐに売り払うなどし、奪い返されないよう手元に残さないでしょう。それでも試みられたいのであれば、ここから遠くない張掖ちょうえきとの境界付近に、姓はちん、名は元達げんたつ、字は長宏ちょうこうという者がおります。その父祖は後部こうぶの出身ですが、戦乱によりこの地に移り、家産は豊富です。二人の息子もまた賊徒をよく制しています。その性は義侠心に富み、さまざまな事柄に通じて知恵も多く、腹中に計謀を蓄えております。常々、困窮している者を救い、危難にある者を助けることを本懐としており、徳行は遠方の者を懐かせ、才能は城邑の民を鎮めるに足りましょう。目下はこの地で隠棲を楽しんでおり、時勢の潮目を待っているようです。会って手紙を書いてもらえば、虁安と曹嶷を動かせるやも知れません」

 それを聞くと、張賓は王伏都に拝謝して礼を述べた。

▼陳元達の出自を『後傳』では「原祖は後部の人」と記す。『晋書』によれば後部の人で元の姓は高とある。この後部は匈奴五部の一にあたり、山西の人と考えればよい。


 ※


 翌日、張賓たちは陳元達の許に向かうべく王伏都の邸宅を辞した。王伏都は旅費の足しにといささかの金子を送り、中途まで馬を出して見送りに出る。

「身の落ち着け処を得たならば、必ずや書簡を送って本日の御恩には背きますまい」

 張賓が改まって礼を言うと、王伏都はその含意に気づかず呵呵大笑で応じた。

 一行はそれより数日して陳元達の家に到り、門を叩いて来意を告げる。家僮かどうが応対したものの、当人は不在にしているという。張賓は天を仰いだ。

「ここに居ても仕方がありません。出先を訊いてそこに向かいましょう」

 趙藩がそう言い、家人に出先を問うた。

「ご主人は世俗の塵埃じんあいむと、交誼がある方々と棲鳳崗せいほうこうという場所に行き、史書を読み、詩賦しふを吟じられることを常とされています」

 そこからきびすを返して日が沈む前には棲鳳崗に辿りついた。

 一帯を遥かに望めば、松蔭が差す林間に茅屋ぼうおく数軒が並び、閑とした静寂の中に清奇な佇まいがある。張賓が柴の戸を叩こうとすると、屋内から節を打つ音と謡声が聞こえた。


 四海は混沌とし 誰か玄黄げんこうわかたん

 塩車えんしゃうまやに伏し 玉は荊山けいざんに暗し

 伯楽はすでに逝き 卞和べんかは已に亡く

 いずれの時にかあらたまり 康荘こうそうへいせん

 未だ明時に遇わず 膝を抱えて徒に傷む

 知己に遇うを得れば たもとはらいて鷹揚おうようせん


  天下は混沌として天地は明らかならず

  駿馬は全力で駆けることもなく厩に繋がれ、玉のような才能は誰にも知られない

  駿馬をそれと知る者も石を玉と見分ける者もすでにこの世にない

  何時になれば石を削って玉をあらわし、市に駿馬を求める者が現れるのであろうか

  時勢に合わず家で膝を抱えてただ心を傷めるしかできないが

  知人の鑒を持つ人に出会えば天高く羽ばたくこともできように


 歌声に聞き入れば、音吐おんとは清朗で辞旨は慷慨こうがいの情に満ちている。

 賛嘆して戸を叩くのを止め、戸の隙間から屋内を窺がった。家内では灯の下で一人が机に寄りかかって詩を吟じている。頭に綸巾りんきんを戴いて身に鶴の羽で織った羽織を纏い、秀でた眼に二重の顎、肉付きのよい鼻の下に長い髯を蓄えた容貌は尋常一様の人ではない。

 しばらくの間、筆を執って詩を録していたが、筆をくと小童を呼んで言いつける。

「窓外に人の足音があった。客が来ているのだろう。門を出て様子を見てきてくれ。客人であれば粗相のないようにな」

 命を受けた小童が柴の戸を開ければ、果たして張賓の一行がそこにある。

「お客様、主人に報告いたしますので、少々お待ちください」

 そう言って一度引き返した童子に招じ入れられ、張賓たちは陳元達と向かい合った。主客の礼を終えると、張賓はこれまでの経緯と王伏都の言を語る。

 陳元達は笑って言う。

「吾は村林の愚人に過ぎず、世の煩雑を避けて隠棲している者です。賊徒と義の向かう方向を同じくすることがあっても、彼らに徳を施したわけではありません。どうして吾が言に従いましょうか」

 張賓は諦めず、再三に渡って懇ろに頼み込む。陳元達も呻吟して思案した。

「あなた方の依頼を無碍に拒むのも心苦しい。試みに手紙を書いてみましょう」

 筆を走らせて書状を書き上げ、使いに持たせて二人の許に届けさせる。

 それより数日後、虁安と曹嶷は奪った荷を送って寄越し、いずれも奪われる前と変わりなかった。張賓たちが篤く礼を述べて辞去しようとすると、陳元達が言う。

「あなた方の荷物は旅人のものには到底見えません。その上、容貌も尋常一様の人ではない。おそらくは仇を避けて身を隠す途上におられるのでしょう。このごろ、晋が守兵を減らしたことで各地では賊徒が勢力を広げており、落ち着き処を探すのも一苦労です。ここを出てどのような危難があるかは測れません。むしろ、この地に留まって時勢を観望されるのがよろしいのではありませんか」

 一行は陳元達の申し入れに従って棲鳳崗にしばらく留まり、旅の疲れを癒すこととした。それでも、張賓は素性を曖昧にして明かさない。

 それより連日、陳元達と張賓は相伴って山に登り、景観を楽しんで詩賦を作る。両人の詩の応酬がつづいて詩賦の出来は甲乙が付け難い。

 また、遊猟に出れば、一行は日ごろの鍛錬の一端を表す。陳元達はそれを見て張賓たちがただの旅人ではないと確信し、いよいよその扱いは丁重を加えた。

 陳元達が胸中の才略を談じれば、張賓は鋭い意見を呈する。陳元達は張賓を未だ磨かれていない奇玉と称し、張賓は陳元達を合浦ごうほに沈んで世に出ない珠玉と評した。

 二人とも博識にして謀画の才に秀でた奇士であり、天下を経綸するに足る才器、尋常の人ではない。春秋の世の名相の管仲かんちゅう晏嬰あんえいの同類であり、劉邦りゅうほうを支えた蕭何しょうか曹参そうしんに比肩する。

 これより張賓と陳元達は深く交誼を結び、まるではるか昔からの馴染みのよう、後日、二人は果たして北漢の謀士として史上に名を残したことであった。


▼まめ知識:第十八回(一部は第二十二回)までの蜀漢の遺臣たちの所在は以下のとおり

 第一集団 成都城の西門から突破、漢中から安定を経て柳林川へ到着

  劉璩りゅうきょ:劉禅の末子、後に劉淵、字は元海と改名

  劉聰りゅうそう:字は玄明、劉璩の長子、姜維に従っていたが所在不明、後段で登場

  劉曜りゅうよう:劉備の子の北地王の劉諶が劉璩に託した幼児

  劉宣りゅうせん:劉備の養子である劉封の長子、劉劉の兄だがすぐ現れなくなる

  劉伯根りゅうはくこん:字は立本、後段より登場、劉宣と同一人物の疑惑あり

  劉霊りゅうれい:字は子通、劉封の次子で劉宣の弟

  齊萬年せいばんねん:字は永齢、劉備の子の梁王劉理の梁王府の新衛兵を率いていた

  廖全りょうぜん:廖化の子


 第二集団 酒泉地方の棲鳳崗に滞在

  張賓ちょうひん:字は孟孫、張飛の子の張苞の長子、妾腹の子

  張實ちょうじつ:字は仲孫、張賓の次弟、嫡出子

  張敬ちょうけい:字は季孫、張賓の三弟、嫡出子

  趙概ちょうがい:字は総翰、趙雲の子の趙統の長子

  趙染ちょうせん:字は文翰、趙概の次弟

  趙藩ちょうはん:おそらく趙概の三弟、後段より登場

  黄臣こうしん:字は良卿、黄忠の子の黄叙の長子

  黄命こうめい:字は錫卿、黄忠の子の黄叙の次子


 第三集団 酒泉地方に滞在

  諸葛宣于しょかつせんう:字は修之、諸葛亮の子の諸葛瞻の末子

  胡延晏こえんあん:字は伯寧、魏姓より改姓、字から推測すると魏延の長子

  胡延攸こえんゆう:字は叔達、魏姓より改姓、同じく魏延の三子

  胡延顥こえんこう:字は季淳、魏姓より改姓、同じく魏延の末子

  馬寧ばねい:馬謖の子


 第四集団 馬邑縣に滞在

  王彌おうび:字は飛豹、北地将軍の王平の子

  王如おうじょ:王彌の弟

  関防かんぼう:字は継雄、関羽の子の関興の子

  関謹かんきん:字は継武、関防の弟

  李珪りけい:李厳の孫、李豊の子

  李瓚りさん:李珪の弟

  樊榮はんえい:李珪の母方の従父弟


  第五集団 馬邑縣に在来、第四集団と接触

  孔萇こうちょう:字は世魯、曹操に殺された孔融の子

  桃豹とうひょう:字は露化、武威の義侠、孔萇の義兄弟

  桃虎とうこ:桃豹の弟

  桃彪とうひょう:桃豹の弟

  靳準きんじゅん:西胡出身の宿屋の主人

  靳術きんじゅつ:靳準の弟

  刁膺ちょうよう:馬邑縣の捕兵総管

 

 第六集団 第一集団が北方に向かう際に安定に残留(「二十二回」に詳述)

  劉和りゅうわ:劉璩の次子

  楊龍ようりゅう:楊儀の子

  楊興寶ようこうほう:字は國珍、後段より登場

  胡芳こほう:胡遵の子

  胡文盛こぶんせい:胡芳の甥


 第七集団 長安北方の河套地方に蟠居、第一集団と接触

  郝元度かくげんど:字は中立、北部の主帥

  兀哈台ごつはだい:郝元度の部下

  馬蘭ばらん:字は国香、馬鉄の孫、馮翊羌の撫帥

  張瀘ちょうろ:字は盧水、張翼の孫、字で呼ばれる。北地羌の撫帥

  突兀海牙とつごつかいが:郝元度の部下、後段より登場


 第八集団 黒莽坂の山賊、第二集団と接触

  虁安きあん:碧眼彪と号する無頼漢

  曹嶷そうぎょく:司馬懿に滅ぼされた曹爽の一族、虁安の義兄弟


 第九集団 第八集団との接触の際に第二集団と逸れて逃亡中

  趙勒ちょうろく:名は朸とも書く、趙概の末弟

  汲桑きゅうそう:字は民徳、趙統の征西将軍府に仕える牧馬師


 第十集団 酒泉地方、第二集団と接触

  王伏都おうふくと:黒莽坂に近い村落の庄主


 第十一集団 棲鳳崗、第二集団と接触

  陳元達ちんげんたつ:字は長宏、匈奴後部の人、世を避けて隠遁する

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る