第七回 劉霊は一大将を救う

 劉封りゅうほうの次子の劉霊りゅうれい軍に包囲された成都せいとから落ち延びる際、次のように思い立った。

王彌おうびは吾が刎頚ふんけいの友であり、その勇気義気に比肩ひけんする者は数えるに足りぬ。捕らわれれば、魏に登用されるだろう。それではかんは一人の大将を失うことになる」

 火急かきゅうの際であったが、王彌と行動をともにしようと人を遣わすことにした。

 この王彌という人は、蜀漢しょくかんに仕えた北地ほくち将軍の王平おうへいあざな子均しきんという者の子である。

▼王平の子は王訓おうくんの名が伝わる。

 生来聡明で成人した後は膂力りょりょくも人にすぐれて千斤せんきん(約600kg)の重さを持ち上げ、騎射を研究して奥義に通じていた。そのため、飛豹ひひょうという綽名あだなで呼ぶ者が多い。

▼魏晋の一斤は222.73g、著述された明代は596.82gに相当、以降は明代に従って併記する。

 父の恩蔭おんいんもあって朝廷に引き立てられた後、職を継いで国家のために大功を立てようと望んだも。しかし、後主こうしゅは凡庸の器、宦官かんがんを重用して黄皓こうこうが賢人の出世を妨げていた。幾度か諫言しても後主はその言をれず、王彌はついに諦めて邸に引き籠り、門を閉ざしたのであった。

 以来、閑居かんきょして人との交わりを断って久しい。それゆえ、王彌を評価する人は世に限られていた。

 王彌が家に退いた頃、劉霊も父の劉封の刑戮けいりくに連座し、職を辞して閑居していた。境遇を同じくする劉霊と王彌は自然と知り合って義兄弟のちぎりを結び、その後、二人して関興かんこうの子、つまり関羽かんうの孫にあたる関防かんぼう関謹かんきんの兄弟を訪ねた。時人に英俊と評されていた二人の兄弟とも意気投合し、王彌は交わりを持つようになった。

▼関興の子は関統かんとう関彝かんいの名が伝わる。


 ※


 劉霊からの使者に会って王彌は考える。

「吾が父子は早くからこの日が来ると知り、世を避けて閑居した。それでも、漢に恩を受けた身として霊兄(劉霊)の呼び出しを断れば、忠義の心を欠いて平生の志を違えることになる。その言葉に従うよりなかろう。それに、関家の兄弟は吾らと親しく交際していてもまだ若い。自力で魏軍の包囲を抜けるのは難しいかろう。成都を脱出するなら、二人も救わねばなるまい」

 ついに走って関家に向かい、関防、関謹の兄弟に会ってこの間の消息を告げた。

 そうすると、家の奥から大哭だいこくしながら現れる者がある。兄弟の父の関興であった。

 蜀漢の建興けんこう十一年(二三三年)の出征で戦場に利を失うより病みつき、家に退いていた。その関興も国家が危難に直面して傾覆するに日がなく、関氏も滅びを避けられまいと嘆いていた。

 その折から王彌の訪問があり、時事を論じて溜息をつくと次のように頼んだ。

王飛豹おうひひょう(王彌)、あなたが来たのはまさに天佑てんゆうだろう。防と謹の兄弟をあなたに託したい。二人をどうするも、あなたに一任いたします」

 関防、関謹の二人は父の命に従うよりなく王彌とともに家を出て、関興たちは家に残った。

 後日、魏軍が成都に入ると、関羽に討ち取られた龐徳ほうとくの子の龐恵ほうけいの手にかかり、成都に残った関氏の一家は残らず命を落とすことになる。


 ※


 王彌は関防と関謹の兄弟、弟の王如おうじょとともに愛用の強弓ごうきゅうたずさえて馬を馳せ、城から脱出すべく抜け道を探した。

「北門には主将の鄧艾とうがいがあって包囲は厳重でしょう。東西の二門も包囲が厚い。南門だけは路が狭くて包囲が緩んでいます。そこから出るのがよいでしょう」

 関謹がそう言うと、王彌も同意して南門に向かう。そこでは魏将の李因りいんが兵を連ねて南門を封鎖している。王彌は行商人ぎょうしょうにんのふりをして通り抜けようと図った。

「吾らは異郷いきょうからの客商きゃくしょう、成都で商売しておりましたものの、天朝てんちょうの軍勢に包囲されてから商売はあがったり、食うに困って郷里に帰るほかないのです。お目こぼし頂ければ、大恩に深く感謝させて頂きます」

▼「天朝」は臣民が自国の王朝を指して言う時に遣う。

 李因はそれに乗らず、軍営に連行すべく拒んだ。

「主将の命により封鎖しており、一人たりとも通すわけにはいかん。軍営で姓名を改めた後であれば通してやろう」

 失敗したと見るや、王彌が大刀を抜いて斬りかかり、李因は鎗で迎え撃つ。二人の戦いがしばらくつづくと、関防は怒り心頭、鉄棒を振るって魏兵を打ち散らす。

 四人はかつ戦いかつ退き、すでに城から二十里(約11.2km)ほども離れつつあった。しかし、魏将の鄧濮とうぼくが二千の兵とともに加勢に駆けつけ、包囲はさらに厳しくなる。

 危急に陥ったその時、東南の丘陵より三騎が数百の兵を率いて駆けつけ、包囲に突入した。不意を突かれた魏兵は虎に襲われた羊のように逃げ惑い、攻める兵たちは刀を振るって斬りたてる。

 鄧濮が馬を馳せて防ごうとするも、流れ矢が馬を射倒して地面に投げ出されたところを一刀の下に斬り殺された。王彌と関家の兄弟はこの機に乗じて包囲を破る。

 李因が馬をって追いすがるものの、王彌と関防が迎え撃って一刀に斬り殺した。兵を率いる三騎は魏兵を散々に追い散らし、魏兵は風を望んで逃げ去っていく。


 ※


 王彌は魏兵が逃げ散ったのを見届けると、馬から下りて急場を救った三騎に礼を言う。しかし、その声にはいぶかりの色が濃い。

「窮地を救ってくれたのはありがたいが、理由が分からない。あなた方は一体何者なのか」

 王彌が問うと、郷兵の頭領らしき男が進み出る。

それがし李珪りけい、それに弟の李瓚りさん、これは中表ちゅうひょう(母方の従兄弟)の樊榮はんえいと申します。祖父の李厳りげんは朝廷の譴責けんせきを蒙り、ここから六十里(約33km)ほど離れた場所に家を遷しました。父の李豊りほうはかつて参軍さんぐんの位を授かりましたものの、為政に人を得ないと知り、出仕せぬよう吾らに遺言したのです。その遺命に従って叔父の李祐りゆうとともに旧居に留まっておりましたところ、諸公が魏兵に追跡されていると聞き及び、山に上がって形勢を観望しておりました。諸公の危機を見て忿怒ふんぬえず、郎党を率いて加勢に参じた次第です」

▼『三國志』李厳傳によると、李厳は梓潼しどうに追放され、子の李豊は蜀に仕えて官は朱提郡しゅていぐんの太守に至っている。その後に官を捨てたかは伝わらない。

 鄧濮の馬を射たのは李珪、その首を落としたのが樊榮であった。王彌たちは助力に感謝し、それぞれに成都を逃れた事情を話す。

「漢が危殆きたいに瀕しているとはいえ、吾らは同志、もとより一家のようなものです。もはや日は沈みました。今宵は弊屋へいおくに宿られるのがよろしいでしょう。その後に次の策を考えるべきです」

 李珪が勧めると、王彌たちは慇懃な勧めに従ってともに庄村しょうそんに向かった。庄村では僮僕どうぼくが出迎え、館ではその叔父の李祐が燭台を手に迎え入れてそれぞれに賓主ひんしゅの礼をる。

 成都から逃れた王彌の一行は、李珪の庄村に一夜を明かしたことであった。


 ◆


まめ知識:第七回までの蜀漢しょくかんの遺臣たちの所在は以下のとおり

(第八回応援コメントを参照して作成)

 第一集団 成都城の西門から突破

  劉璩りゅうきょ:劉禅の末子、後に劉淵、字は元海と改名

  劉聰りゅうそう:字は玄明、劉璩の長子、姜維に従っていたが所在不明、後段で登場

  劉和りゅうわ:劉璩の次子

  劉曜りゅうよう:字は永明、劉備の子の北地王の劉諶が劉璩に託した幼児

  劉伯根りゅうはくこん:字は立本、劉備の養子である劉封の長子(『通俗』『後傳』では劉宣とされる)

  劉霊りゅうれい:字は子通、劉封の次子で劉伯根の弟

  楊龍ようりゅう:楊儀の子

  齊萬年せいばんねん:字は永齢、劉備の子の梁王劉理の梁王府の新衛兵を率いていた

  廖全りょうぜん:廖化の子


  第二集団 成都城の南門(『後傳』による)から突破

  張賓ちょうひん:字は孟孫、張飛の子の張苞の長子、妾腹の子

  張實ちょうじつ:字は仲孫、張賓の次弟、嫡出子

  張敬ちょうけい:字は季孫、張賓の三弟、嫡出子

  趙概ちょうがい:字は総翰、趙雲の子の趙統の長子

  趙染ちょうせん:字は文翰、趙概の次弟

  趙藩ちょうはん:おそらく趙概の三弟、後段より登場

  趙勒ちょうろく:名は朸とも書く、趙概の末弟

  黄臣こうしん:字は良卿、黄忠の子の黄叙の長子

  黄命こうめい:字は錫卿、黄忠の子の黄叙の次子

  汲桑きゅうそう:字は民徳、趙統の征西将軍府に仕える牧馬師


  第三集団 成都にとどまった後、諸葛宣于は酒泉に行き、四人は後を追う

  諸葛宣于しょかつせんう:字は修之、諸葛亮の子の諸葛瞻の末子

  魏晏ぎあん:字は伯寧、字から推測すると魏延の長子

  魏攸ぎゆう:字は叔達、同じく魏延の三子

  魏顥ぎこう:字は季淳、同じく魏延の末子

  馬寧ばねい:馬謖の子


  第四集団 成都の南門から突破、李豊の家に滞在

  王彌おうび:字は飛豹、北地将軍の王平の子

  王如おうじょ:王彌の弟

  関防かんぼう:字は継雄、関羽の子の関興の子

  関謹かんきん:字は継武、関防の弟

  李珪りけい:李厳の孫、李豊の子

  李瓚りさん:李珪の弟

  樊榮はんえい:李珪の母方の従父弟

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