第七回 劉霊は一大将を救う
「
この王彌という人は、
▼王平の子は
生来聡明で成人した後は
▼魏晋の一斤は222.73g、著述された明代は596.82gに相当、以降は明代に従って併記する。
父の
以来、
王彌が家に退いた頃、劉霊も父の劉封の
▼関興の子は
※
劉霊からの使者に会って王彌は考える。
「吾が父子は早くからこの日が来ると知り、世を避けて閑居した。それでも、漢に恩を受けた身として霊兄(劉霊)の呼び出しを断れば、忠義の心を欠いて平生の志を違えることになる。その言葉に従うよりなかろう。それに、関家の兄弟は吾らと親しく交際していてもまだ若い。自力で魏軍の包囲を抜けるのは難しいかろう。成都を脱出するなら、二人も救わねばなるまい」
ついに走って関家に向かい、関防、関謹の兄弟に会ってこの間の消息を告げた。
そうすると、家の奥から
蜀漢の
その折から王彌の訪問があり、時事を論じて溜息をつくと次のように頼んだ。
「
関防、関謹の二人は父の命に従うよりなく王彌とともに家を出て、関興たちは家に残った。
後日、魏軍が成都に入ると、関羽に討ち取られた
※
王彌は関防と関謹の兄弟、弟の
「北門には主将の
関謹がそう言うと、王彌も同意して南門に向かう。そこでは魏将の
「吾らは
▼「天朝」は臣民が自国の王朝を指して言う時に遣う。
李因はそれに乗らず、軍営に連行すべく拒んだ。
「主将の命により封鎖しており、一人たりとも通すわけにはいかん。軍営で姓名を改めた後であれば通してやろう」
失敗したと見るや、王彌が大刀を抜いて斬りかかり、李因は鎗で迎え撃つ。二人の戦いがしばらくつづくと、関防は怒り心頭、鉄棒を振るって魏兵を打ち散らす。
四人はかつ戦いかつ退き、すでに城から二十里(約11.2km)ほども離れつつあった。しかし、魏将の
危急に陥ったその時、東南の丘陵より三騎が数百の兵を率いて駆けつけ、包囲に突入した。不意を突かれた魏兵は虎に襲われた羊のように逃げ惑い、攻める兵たちは刀を振るって斬りたてる。
鄧濮が馬を馳せて防ごうとするも、流れ矢が馬を射倒して地面に投げ出されたところを一刀の下に斬り殺された。王彌と関家の兄弟はこの機に乗じて包囲を破る。
李因が馬を
※
王彌は魏兵が逃げ散ったのを見届けると、馬から下りて急場を救った三騎に礼を言う。しかし、その声には
「窮地を救ってくれたのはありがたいが、理由が分からない。あなた方は一体何者なのか」
王彌が問うと、郷兵の頭領らしき男が進み出る。
「
▼『三國志』李厳傳によると、李厳は
鄧濮の馬を射たのは李珪、その首を落としたのが樊榮であった。王彌たちは助力に感謝し、それぞれに成都を逃れた事情を話す。
「漢が
李珪が勧めると、王彌たちは慇懃な勧めに従ってともに
成都から逃れた王彌の一行は、李珪の庄村に一夜を明かしたことであった。
◆
まめ知識:第七回までの
(第八回応援コメントを参照して作成)
第一集団 成都城の西門から突破
第二集団 成都城の南門(『後傳』による)から突破
第三集団 成都にとどまった後、諸葛宣于は酒泉に行き、四人は後を追う
第四集団 成都の南門から突破、李豊の家に滞在
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