エピローグ
エピローグ
最後まで読み終えて、わたしはその古ぼけたキャンパスノートを、パタンと閉じた。
晩秋の日暮れは早く、もう外は夕闇が濃くあたりを包んでいる。
時間が経つのも忘れ、夕食の支度もせずに思わず読み
日記に書かれた、もう20年以上も前のできごとは、まるで地中に埋もれてしまった、化石のよう。
毎日繰り返される些細なできごとが、ゆっくりと降り積もっていき、過去の記憶を少しずつ、しかし確実に覆い隠していく。
そしていつしか、古い記憶は心の地層の奥深くに沈んでしまい、もう、憶い出すこともなくなってしまう。
川島君との甘い記憶も、みっこと過ごした日々も、もうそんな、太古の化石みたいになってしまっていた。
わたしは今、相変わらず福岡にいる。
『両親の強い反対にもあって、わたしは地元の小さな書店に就職した』
とノートには書いていたが、それはただの言い訳。
わたしは怖かったのだ。
大学生活の四年間で、小説家になるきっかけを掴むこともできず、いたずらに東京へ出て、自分の才能のなさを思い知らされることが。
わたしが就職した地元の書店は、かつて川島君と、奇跡の再会を果たした、思い出の場所。
『氷河期』と呼ばれる就職難で、選択肢が少なかったというのもあるけど、あの頃のわたしは、過去の甘美な思い出にすがっていた。
いつでも未来を見つめていた川島君と違って。
川島君とのつきあいは、わたしが西蘭女子大を卒業して数年後、自然と消滅してしまった。
彼は東京でカメラマンとして毎日忙しく飛び回っていて、わたしは遠く離れた福岡で、小説家とはほど遠い仕事について、慌ただしい毎日を送っていた。
ふたりの間には、もう、接点はなくなっていた。
もちろん、就職してはじめのうちは同人誌活動もやっていたし、できるだけ川島君と連絡とったり、会ったりしていたけど、日々の生活を繰り返すうちに、それに費やすパワーは次第に削がれて、なくなっていった。
お互い、嫌いになったわけじゃない。
彼のことは本当に好きだったし、『この人しかいない』と思ってつきあっていたけど、物理的にも心理的にも、大きく隔てられてしまった道を元に戻す力は、もうふたりには残っていなかった。
そして、あるできごとをきっかけに、わたしは最後のけじめをつける決心をし、川島君へ別れの手紙を送った。
川島君もそれを、あっさりと受け入れた。
だけど、わたしの誕生日には、必ず、花束が届けられた。
「誕生日には、毎年花束をちょうだい?」
って、いつかの海での約束を、彼はずっと覚えてくれていて、別れてしまってお互い別の恋人ができてからも、こうして花束だけを届けてくれるのだ。
わたしは花束に顔を埋め、しばらく感傷に浸る。
それは、わたしが結婚した年の誕生日まで続いていた。
森田美湖はだれとも結婚することもないまま、数々の浮き名を流しながら、女優として成長していった。
ドラマや映画にも主役クラスで出演する傍らで、相変わらずモデル業も続けていて、年齢を感じさせないその美貌とスタイルを、今でも保ち続けている。
テレビ越しとはいえ、彼女のあの笑顔を見ていると、今でもなんだか元気が湧いてきて、『わたしもなにかやらなきゃ』って気持ちにさせられる。
そういえばわたし、小説家になりたかったんだ。
20年前と違って、今ではインターネット上のブログや自分のホームページで、作品の発表も簡単にできるようになったし、小説投稿サイトもいろいろある。
だから、必ずしもプロの小説家でなくても、趣味としてでも書いていける。
子供も少しずつ手がかからなくなってきたし、パパのパソコンを借りて、また物語を書いてみようかな。
もう20年も前の日記帳を見て、わたしのなかですっかり消えてしまっていた炎が、再び小さな火を灯したような気がする。
物語を紡ぐことが、『弥生さつき』という人間のアイデンティティで、この世に生まれてきた理由だと思い込んでいた少女時代。
日々の生活に埋もれて、夢を忘れてしまった今でも、その気になればきっと、かつて信じていた本当の自分を取り戻せる。
昔、みっこが言っていたように、恋愛にも友情にも最終ページがないのなら、夢にだって終わりはないと思うから。
古ぼけたキャンパスノートの最終ページに書かれた、口紅の文字を指でなぞって、わたしはあの頃のように、小さくつぶやいてみた。
「好き」
END
29th Nov. 2011 初稿
20th Mar. 2018 改稿
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