vol.20 Lucky Lips
Lucky Lips 1
その日は朝から暗く雲が立ちこめ、みぞれ混じりの雨が降ったりしぐれたりする、
キャンパスの女の子たちが、淡く
気温も低く、吐く息が白く凍る。
身も心も冷え込むようで、わたしはコートの襟に首をすぼめた。
一日の講義が終わって帰りのバスに揺られながら、わたしはぼんやりと外の景色を見ていた。
灰色に煙るビル街が、次第に住宅地へと変わっていく。
次のバス停で降りなきゃ。
そう思ってふと前方を見ると、バス停に佇む女の子が、薄墨を流したような街並のなかに、影絵のように目に入ってきた。
なにかを待っている様子で、彼女はずっとそこに立ちすくんでいた。
傘で顔は見えない。
バスのステップを降りながら、わたしは何気なく彼女の方を見て、息を吞んだ。
みっこ!?
『どうしてみっこが突然こんなところに現れたの?』
『いったいなにが目的なの?』
そんな疑問が駆けめぐる。
森田美湖はなにも言わず、無表情のまま、じっとわたしの瞳を見つめている。
みぞれが一段と強くなり、頬を打つように降り注いだが、わたしは思わぬできごとに、傘をさすのも忘れ、みっこを見つめ返した。
…が、それは一瞬のこと。
ほんとは話しかけたくてたまらなかったのに、そんな気持ちとはうらはらに、わたしはすぐに視線を逸らした。
彼女の真意がわからないだけに、もし冷たくあしらわれたらと思うと、怖くて話しかけられない。
みっこの視線を痛く受け止めながら、そこにだれもいないかのように、わたしはノロノロと傘を広げ、その場を立ち去ろうとした。
「さつき…」
わたしの背中から、彼女は消え入るような声で、名前を呼んだ。
思わず立ち止まり、恐る恐る振り向く。
森田美湖は一枚の封筒を差し出していた。
彼女と封筒を交互に見つめ、わたしはなにも言わず機械的に、それを受け取った。
わたしが封筒を手にしたのを確かめると、みっこは小さく頭を下げ、
追いかけたかったけど、わたしの足は凍りついたように動かなかった。
みぞれ雨の降りしきるなか、モノクロのシルエットになって、次第に
彼女が消えてしまったあとも、わたしはしばらくその場に立ちすくんでいたが、ようやく気を取り直して、手にした封筒を開けてみた。
中には便箋が一枚入っていて、走り書きで簡単に、三行だけ書いてあった。
明日11時、福岡空港で待ってます。
必ず来て下さい。
あたしの最後のわがまま、聞いて下さい。
『最後のわがまま?』
心のなかでつぶやき、わたしはみっこが消えた方角をじっと見つめた。
それがおよそ一ヶ月半振りに見た、森田美湖の姿だった。
みぞれ雨の天気から一転して、翌日の日曜日は、抜けるような青空の朝だった。
昨日から何度、みっこのくれた短い手紙を読み返しただろう?
彼女がなにを考え、なにをするつもりで、この手紙をくれたのか。
ベッドのなかや朝食を食べながら、始終その手紙に込められた意味ばかりに想いを巡らし、みっこの待つという空港に行こうか行くまいか散々悩んだ末、ようやく意を決して、わたしはよそいきのワンピースに手をとおした。
彼女がなにを考えているにしても、これはみっこと話ができる最後のチャンスかもしれない。
勇気を出して、わたしも少しでも前に進もう。
きっと、悪いことなんておきないはず。
そんなことを考えながら外出の支度をして、窓の外の青空に目をやり、わたしはふとつぶやいた。
「そういえば、去年の冬にはじめてみっこの部屋に行ったときも、こんないい天気だったな」
知らず知らずのうちにわたしは、目にした景色や記憶なんかを、みっこや川島君と絡めて憶い出している。
そんな思考回路が辛い。
それは、自分の失恋の傷がまだ癒えていないことを、知る瞬間。
私鉄で中央のターミナルに出て、そこから空港バスに乗り換えて15分。
郊外ののどかな場所に、福岡空港はあった。
この空港に来たのは、みっこと川島君とモルディブに行ったとき以来。
そういえばあのとき、みっこはわたしに初めて、『好きな人が、できちゃったみたい』って、告白したんだ。
それが川島君のことだとも知らず、わたしはみっこの恋を応援していた。
それはわたしたちの、大きなターニングポイント。
あのとき、こんな結末を迎えるなんて、だれが想像しただろう?
ううん。
もしかしてみっこは、こうなることがわかっていたのかもしれない。
だからこそ、その想いをひた隠しにして、わたしたちに見せないようにしていたんだろう。
バスを降り、空港のコンコースに入って、わたしはあたりを見渡す。
森田美湖は隅のベンチに、ちょこんと座っていた。
そのとなりには、大きなキャリーバッグとショルダーバッグ。
裾の広がった白いワンピースに、ケープのロングコートを着込み、頭にはあったかそうな毛の帽子をかぶって、明らかに旅行者の格好。
わたしを見つけると、彼女はパッと花が咲くように微笑み、ベンチから立ち上がって、わずかに会釈して言った。
「ありがとうさつき。来てくれて」
「別に… みっこが『最後のわがまま』なんて言うから…」
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます