しあわせの作り方 7
「お待たせ、みっこ」
彼女は、いた。
さっきまでの場所にはいなかったので、一瞬焦ったけど、夕方会ったときのように、みっこはブランコに座って、わずかに揺らしながら、うつむいていた。
彼女がまだ公園にいてくれたことに、ほっと安心し、できるだけ明るく、彼女の側に歩み寄る。
みっこも少しは気分が落ち着いたらしく、こちらに気がつくと立ち上がり、ちょっとぎこちなく、わたしをおそるおそる見返した。
「はい、これ」
そう言って、トートバッグを差し出す。
「なあに? これ」
トートバッグを見つめて、みっこは訝しげに訊ねる。
「今日作ったケーキ。これ、みっこにあげる」
「え? いいの? でも…」
「いいのよ、気にしないで。どうせ気晴らしに作ったものだから、みっこが食べてくれると嬉しいから」
「ほんとに? ありがとう。嬉しい」
大事そうにトートバッグを受け取ったみっこは中を覗き込み、その瞬間、花が咲いたように明るい表情になる。
「わあ、美味しそう! すごく綺麗ね!」
「うん。久々の会心作なのよ」
「そんな… ほんとにもらってもいいの?」
「だから、いいんだって」
みっこはちょっと思案するように首をかしげたが、ふと、思いついたように言った。
「ね。ここでいっしょにこのケーキ、食べましょ」
「え? ここで?」
「ええ。会心のケーキだったら、さつきだって食べたいでしょうし。あたしもいっしょに食べたいし」
「でも、フォークとか、お皿とかないし」
「ちょっと待ってて。向かいのコンビニで買って来るから。あ、これ持ってて」
彼女はそう言うと、返事も待たず、トートバッグをわたしに預けて、
「はい。お待たせ。せっかくだから『午後の紅茶』も買ってきちゃった。やっぱりケーキにお茶はつきものよね」
コンビニから戻ったみっこは、そう言いながら近くのベンチに座り、トートバッグからケーキケースを大事そうに取り出す。
「なんだかもったいないわね。こんな可愛いケーキを、こんなとこで食べちゃうなんて。ナイフ入れてもいい?」
「もちろん、いいわよ」
みっこはクスッと笑いながら、コンビニで買ってきたプラスチックのナイフでケーキを切り分け、紙のお皿に載せる。
「いただきま~す」
そう言って手を合わせ、彼女はケーキを頬張る。
「ん。おいしい! やっぱりさつきは、お菓子づくりの天才ね!」
もぐもぐさせた口に手を当てながら、みっこはわたしのケーキを褒めてくれた。
ナトリウム灯のオレンジ色の光が、みっこを背中から照らし、その表情は影になってよく見えないけど、彼女の声は明るかった。
さっきまではあんなに激しく動揺していた彼女だったけど、ようやくふだんのみっこに戻れたのかな。
みっこは無言のまま、フォークを口に運ぶ。
わたしも彼女のとなりに座り、いっしょにケーキを食べた。
わたしの計算どおり、今回のケーキは、リキュールがフルーツの香りを引き立てて、ちょっぴり大人の雰囲気を醸し出し、フルーツ同士の甘さと酸味のハーモニーも抜群。スポンジもふんわりと軽く、ちょっと減らした砂糖の加減も、ちょうどいい感じ。
見栄えだけじゃなく、味も会心の出来に、わたしは満足していた。
“スッ”
となりで黙ってケーキを食べていたみっこは、かすかに鼻をすすった。
寒いのかな?
その音で、わたしはなに気なく、みっこの方を見た。
膝の上の、ケーキを乗せた紙のお皿には、染みができていて、添えてあった手に、ポトリと一粒、雫が落ちて、はじけた。
「みっこ?」
「ん? おいしいよ。さつき」
「どうしたの?」
よく見ると、みっこの瞳には、こぼれんばかりの涙が、いっぱいに溢れていた。
わたしを振り向き、まばたきをした拍子に、涙のひとしずくが、長い下睫毛を伝って、夜露のようにこぼれ落ちる。
なのに彼女は、わたしを見つめて微笑み、美味しそうにケーキを頬張っている。
「ごめん、さつき。あんまり美味しいんで、なんか涙が出てきちゃった。おかしいよね」
そう言って笑い、涙をこぼしながら、みっこはケーキを食べた。
「い… いったいどうしちゃったの?」
「なんでもない。なんでもないから… ありがと、さつき。あたし、あなたのこと、一生忘れない。一生親友でいたいから」
みっこはうわごとのように、そんな言葉をつぶやき、ケーキを食べた。
わたしと同じように、みっこも辛い想いを、ケーキといっしょに味わっているのかもしれない。
わたしには、奥さんのいる人に恋する辛さなんて、ほとんど想像もつかない。
『
そんな辛い気持ちをだれにも言えず、森田美湖はずっとひとりで耐えていたんだろうと、さっきの取り乱した彼女を見て、痛いほど感じる。
親友として、わたしはそんな彼女に、なにかしてあげたい。
少しでも、彼女の気持ちの慰めになってあげたい。
友情なんて、このケーキといっしょかもしれない。
放っておいたら、ボソボソに固くなって、干からびて腐れてしまい、ヒビが入っていく。
友情にはレシピなんてないけれど、『なにかしてあげたい』って気持ちさえあれば、ずっと美味しいままでいられるはず。
泣きながらケーキを食べる彼女を横目で見ながら、わたしは心からそう思っていた。
『あなたのこと、一生忘れない。一生親友でいたいから』
それはわたしも、同じ思い。
みっことはずっと親友でいたい。
そしてわたしは、あとになって、森田美湖のその言葉と涙に込められた、もっと深い意味を、痛いほど知ることになった。
END
25th Aug. 2011 初稿
28th Jan.2018 改稿
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