vol.13 Rainy Resort

Rainy Resort 1

「若葉が綺麗ね」


 逆光に透けて、目にしみるように鮮やかな浅緑あさみどりの木立を眺めながら、森田美湖がひとりごとのようにつぶやく。

駅のホームで、わたしたちはぼんやりと待っていた。

ホームにそよぐやわらかな風が、ふたりの髪をさらう。

若葉の萌えたつ匂いがかすかに薫り、陽射しはポカポカと暖かい。

もうすぐ5月だものね。

みっこはハイウエストの丈の長い、萌葱もえぎ色のキュロットスカートに、純白のブラウス。

手に持ったつばの広いカンカン帽と、古ぼけた大きな革のバッグが、いかにも『高原への泊まり旅行』って雰囲気。


「5番線、まもなく、別府行き特急、『ゆふいんの森』号が、入ります」

ホームのアナウンスが、わたしたちの乗る列車の名前を告げる。

わたし、この瞬間が、好き。

『これから旅に出るんだ!』って実感がわいてきて、心もウキウキしてくる。

「わぁ。これが『ゆふいんの森』かぁ。なかなかカッコいいわね〜」

ホームに滑り込んできたそのディーゼル特急は、先頭に金のエンブレムがついていて、深緑色の背の高いヨーロッパ風。

みっこは嬉しそうに、列車に向けて何枚か、コンパクトカメラのシャッターを切った。

列車がわたしたちの前を通り過ぎる。モワッと渦を巻いて立ち上がる熱風。鼻をつく石油の匂い。

『ゆふいんの森』は車輪を軋ませて、ゆっくりとスピードを落とした。

「湯布院に行くには、今はこの列車がいちばん『トレンディ』なのよ」

「みっこって東京人のくせに、どうしてわたしより詳しいの?」

「『るるぶ』に載ってたのよ。あたし列車に乗るの、けっこう好きなんだ。それに湯布院温泉と、その近くの黒川温泉は、今いちばん人気がある観光スポットだし。あたしも、湯布院には行ってみたいなって思ってて、チェックしていたの。だからさつきと行けて、嬉しいわ」

「みっこって、けっこうミーハーね」

「ふふ。さ、乗ろ!」

出発のベルが鳴り響き、『ゆふいんの森』号は汽笛を鳴らすと、ディーゼルのエンジン音をいっそう高めて、ゆっくりとホームを離れていった。




「みっこにはディスコだとかモルディブだとか、いろんな所に連れて行ってもらったから,たまにはわたしたちで、どこかに案内しようよ」

わたしが川島君にそう言いだしたのは、モルディブから帰ってしばらくして。桜の花がようやくほころびかけた頃だった。

「そうだな。森田さんにはいろいろお世話になったし」

「どこがいいかな?」

「彼女、東京の人だろ。だったらこちらの有名な観光地とかがいいんじゃないかな?

季節もいいし、高原とかどうかな?

湯布院に行って、九重高原のペンションに泊まるくらいが、お手頃だと思うけど」

「そうね。九重は温泉も多いんでしょ?」

「温泉に入るのかい? 『おやじギャル』みたいだな」

「え? 川島君、温泉きらい?」

「ぼくは本物のオヤジだから、大好きさ」


 そうやってふたりの意見がまとまり、みっこを誘ったのは、桜の花が真っ盛りの、春休みの終わり頃。

「ゴールデンウィーク前の、日曜日をはずした平日で、お互いたいした授業がない日に行こうよ」

「いいわね。2回生になって講義にも余裕が出てきたし、そうしよっか。でも、まじめなさつきが、そんなこと言うなんて思わなかったわ」

「あは… やっぱり人が多いのってイヤじゃない」

「湯布院と九重か… 三人で行くの?」

「そうよ。みっこが誘いたい人がいるんなら、それでもいいけど」

「そういうのはないけど… ちょっと微妙かなぁ」

みっこは少し躊躇ためらっている様子。

「え? あまり気がすすまない?」

「そうじゃなくって…」

わたしの言葉に、彼女は反射的にかぶりを振り、理由わけを言う。

「とっても嬉しいんだけど。あたし… さつきと川島君の邪魔にならないかなぁって、思って」

「なに言ってるの? 邪魔なら誘わないわよ… っていうか、みっこのために計画したんだから」

「ふふ… ありがと、誘ってくれて。とっても嬉しい。行くわ」

そう言って、みっこは口もとをほころばせる。それから彼女は、思いついたように言った。

「あたし、『ゆふいんの森』に乗りたいなぁ」

「なに? それ」

「リゾート・エクスプレス」




 『ゆふいんの森』号は、ヨーロッパの優等列車みたいなリッチな気分を味わえる、素敵な内装のリゾート・エクスプレス。

車内は木目調を基本にした落ち着いた配色で、列車なのに床が木製のフローリングってのが、おもむきがある。

車両の連結部分は橋みたいになっていてユニークだし、軽食や甘味が食べられるビュッフェもあるし、車内の所々にはギャラリーもあって、沿線の銘品や絵画なんかを飾っていて、列車というよりは、まるで豪華なホテルの中にいるみたい。


 窓の外のビル街は、次第にまばらになって田んぼが多くなっていき、気がつくと列車は、筑後平野の真ん中をひた走っていた。左前方にはなだらかに峰を連ねた耳納みのう山地が見える。

久留米からは九州を横断する久大本線に乗り入れ、耳納の山々を今度は右手に眺めながら、『ゆふいんの森』号は田園風景の中を走る。

列車が筑後川に沿うようになると、左右の山は次第に迫ってくる。『ゆふいんの森』号は山岳地方に入り、狭い山あいを縫うように走っていった。


「見て見て、さつき!」

みっこは車窓を流れる景色を指差す。

「あの山、形が変わってる。山の周辺が切り立ってて、山頂が平らで、なんだかホールケーキみたい」

「ほんとね〜。大きな切り株にも見えるわ。なんて言う山なんだろ?」

「あれは『切株山』と申します。『メーサ』という種類の山で、別名『テーブルマウンテン』とも申します。阿蘇山や久住山から流れ出した溶岩台地の周辺部が浸食されて、固い岩盤だけが取り残され、円錐状えんすいじょうの台地になったものでございます」

ビュッフェでお団子セットを食べながら、窓の外の景色を見ていたわたしたちに、素敵なキャビンアテンダントの制服を着た女性が、やさしくガイドして下さった。


 列車に揺られて2時間ちょっと。

山岳地帯を抜けて列車が盆地に入り、目の前に大きな由布岳が見えてくると、車内アナウンスで山の説明が流れた。

「由布岳は別名『豊後富士』とも言われ、標高1,583m。古来より信仰の対称として崇められてきた山で、『古事記』や『豊後国風土記』にも、その名が記されています。宇奈岐日女神社うなぎひめじんじゃの祭神であり、山岳仏教も栄え、新日本百名山に選定されている火山です」

そんな由布岳を左手に見えるようにカーブしていき、ちょうど12時に、列車は由布院駅のホームに滑り込んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る