CANARY ENSIS 13

 パーティーがお開きになったのは、もう10時を過ぎた頃。

みんなが引き上げる頃合いを見計らって、わたしも川島君といっしょに、自分たちの部屋へ戻った。


「夜の海を泳いでみないか?」

お風呂に入る用意をしかけたわたしに、川島君は言った。

「夜の海? でも怖くない?」

「大丈夫だよ、あまり沖に出なけりゃ。リーフまでは浅いし、波もないし。今日は満月に近くて明かるいから、きっと綺麗だよ」

「そうね… じゃあ、ちょっとだけ」

部屋で水着に着替え、わたしたちはこっそりとホテルを抜け出した。

海岸を歩きながら、川島君はうきうきした声で言う。

「映画とかでよくあるじゃないか。恋人同士が夜の海を泳ぐシーン。ぼくもモルディブみたいな綺麗な海で、やってみたかったんだ」

「でも映画じゃ、そのあとだいたい、サメに襲われたり、殺人鬼が出てきたりするじゃない」

「ホラー映画じゃないんだけど」

「ふふ、冗談。川島君って、ロマンティストなのね」

「そうかな? まあ、別に、泳ぐのだけが目的って訳じゃないし。昨日も今日も仕事が忙しくて、さつきちゃんとはあまり話せなかっただろ。最後の夜くらい、ふたりだけでゆっくりと、モルディブの海を楽しみたいと思ってさ」

「ふふ。嬉しい」

川島君はやっぱりやさしい。ちょっぴり寂しい思いをしていたわたしの気持ちを察して、気を遣ってくれたのね。


 モルディブの夜の海はとっても静かで、プルシャンブルーの墨を流したような、青みがかった黒。そんな水面みなもに、月の光が宝石のかけらのように漂っている。

薄い雲がかかった空は、どこまでも澄んでいて、星のまたたきが冴えわたる。

あたりに人影はない。

水面の月の光をくずしながら、わたしたちは静かに水に浸かった。

夜の海には、ピンと張りつめた緊張感があって、ちょっぴりスリルがある。

ふたりでしばらく、そんな海をゆっくり泳いだ。


「少し、寒いね…」

かすかに語尾を震わせて、わたしは自分の肩を抱いた。

その背後から、川島君がわたしを抱きしめる。

あったかい腕。川島君は背中越しにキスをしてくれた。

「ふふ。しょっぱい」

キスが少しずつ情熱的になり、川島君の手がわたしの胸にのびてきて、ブラの上から愛撫しはじめた。

「あん。ダメよ、もう」

全然『ダメ』なんかじゃないのに、どうしてそう言ってしまうんだろ?

もつれるように波打ち際に座り込み、わたしたちは抱き合ってキスをした。静かな波が、ふたりのからだをゆりかごのように揺らす。川島君はさらに大胆になってきて、水着のブラをはずした。


不思議な開放感。

こんな野外で胸を晒すなんてこと、生まれてはじめて。

いけないことをしているという背徳感で、すごくドキドキしちゃう。

わたしたちは寝転びながら、波の揺らめきにからだを委ね、キスを重ねた。

「あ… 川島君…」

からだの芯に、火がついちゃったみたい。

もっと、してほしい。


と、そのとき、ホテルの方から人の気配がした。

「まずい。誰か来る」

川島君は小声でそう言うと、はずしたブラを素早く拾ってわたしの手を引き、近くの椰子やしの木陰に隠れる。向こうでかすかに話し声がして、ふたつの人影がちらりと見えたが、それは次第に遠ざかっていった。


「寒い?」

椰子の木陰で、川島君はわたしの肩を抱いていたが、わたしのからだが少し震えているのに気づいて、言った。

「ええ」

わたしはうなずいた。

「タオルくらい持ってくればよかったな。なにか熱いものでも飲む?」

「飲みたい」

「じゃあ、コーヒーでも買ってこよう」

「ごめんね」

「いいよ。ちょっとここで待ってて」

そう言って、ひとつキスをくれると、川島君は闇の中に紛れていった。



 どのくらい、経っただろう。

ゆるやかな波が寄せては返す夜のなぎさに、わたしはひとりでたたずみ、川島君を待っていた。


「ふう」

思わずため息をつき、空を見上げる。

モルディブから見える夜空は、切ないほど美しく、星のひとつひとつが、まるで色とりどりの磨かれた宝石のように、冷たくきらめいている。

そんな星空の下で、夜の海辺に取り残されていると、なんだか世界中にわたしひとりしかいないみたいで、心細くなってくる。

もちろん、モンスターや殺人鬼なんて出てくるわけないとは思ってみても、こんな場所でひとりきりで待っているのは、不安。

やっぱり、川島君といっしょに行けばよかった。

そう思い直して、わたしは彼の行った道を辿たどって、ホテルへ戻ることにした。


 まわりに注意を払いながら、わたしはカナリーエンシスの林の小径を、ホテルの方へ歩いていった。

林のなかは月の光が届かず、道はおぼろげにしか見えなくて、ときおりホテルの方から漏れてくる、かすかな光だけが頼り。

川島君といるときには全然感じなかったけど、とっても心細い。


その時、ふと、人の話し声が耳をかすめたような気がした。

さっきの人たちかもしれない。

わたしは立ち止まり、耳を澄ませた。

遠いリーフに砕ける、波の音。

かすかな風に、カナリーエンシスの葉のそよぐ音。

波が寄せて、砂がきしむ音。

聞いたこともない虫の声。

そんなかすかな音の中に、確かに男女の声みたいなものが、茂みの向こうから途切れ途切れに聴こえてくる。

なんだか聞き慣れた声。

もしかして…


つづく

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