Audition 3
「今度、となりのプールに行きましょうね」
レッスンが終わったあと、ハァハァと息をはずませているナオミにタオルを手渡しながら、みっこは言った。
3時間ほどのレッスンで、冬だというのに、ナオミのおでこには、玉のような汗がびっしり浮かんでいて、レオタードも汗まみれになっていた。
「泳ぐのぉ?」
「ダイエットには水泳がいちばんよ。あたしも最近、からだがたるんできたから絞らないといけないし、みんなでいっしょに泳ご」
「え~、冗談。それでたるんでるって言うのなら、わたしたちはなんなのよ?」
わたしがそう言うと、みっこは屈託なく笑う。
「今日のレッスンはおしまい。あたしの部屋でみんなでお茶しない? 『ブルーフォンセ』のクッキーを買ってあるの」
「え~。みこちゃんの『あたしを太らせて蹴落とす作戦』第2弾~? くやしいけど、食べたぁい!」
ナオミはそう言いながら、その場で汗まみれのレオタードを脱ぐ。
プルルンと、巨大な胸が惜しげもなく解放される。
ガラス張りで外からも丸見えのスタジオだっていうのに、ナオミって大胆すぎ。
あれからみっこの部屋には何度か来たけど、他の友達を交えて楽しいひとときを過ごすのは、はじめて。
ナオミはみっこの生活ぶりがとても気に入ったようで、何度も『いいなぁ』を連発していた。
「いいなぁみこちゃんは。こんなリッチなマンションで暮らしてるなんて。1階にはプールもスタジオもあるし、なんかトレンディドラマのヒロインみたい」
「ふふ。パパに買ってもらったのよ」
そう言ってみっこは、意味ありげにウィンクする。
「え~っ。みこちゃんやるぅ! 『パパ』がいるんだ! やっぱり一流モデルになると、マンション買ってくれるようなリッチなパパくらい、できるもんなのねぇ~」
「なに勘違いしてるの。本物のパパよ」
「なんだぁ。紛らわしい言い方、しないでよぉ」
そう言いながらナオミは、興味津々といった様子で、みっこの家の中を見て回る。
その間にみっこは、湯気を立ててピーピーと鳴りだしたケトルを、ガスレンジからおろし、濃緑の紅茶缶からスプーンで葉をすくい、数さじメリオールに入れるとお湯を注ぎ、わたしたちのカップにもお湯を入れた。
今日は『Fortnum & Mason』のダージリンか。
カップをあらかじめ温めたりするあたり、みっこって、紅茶にこだわり持ってるんだな。
「ん。この紅茶、おいしい。みこちゃん、お茶入れるの上手」
ひとくち紅茶を飲んだナオミは、感心するように言うと、クッキーに手を伸ばした。
「でもモデルって、もっとふだんからいい服着て、いろんなパーティとかディナーに招待されて、派手に暮らしてるかと思ってたけど… みこちゃんって、すごく地味よね」
バターの風味が上品に香るクッキーをパクパクつまみながら、ナオミは言った。
「まあね。そりゃカリスマモデルやスーパーモデルなら、パーティとかのお呼ばれで忙しいでしょうけど、それでもふだんの生活はこんなものじゃない?」
「そうかなぁ? ガッコにだってふつうの綿シャツとかジーンズで来てるでしょ? DCブランドとか派手なボディコンで来れば、もっと目立つのにぃ」
「そんなのは通学用じゃないでしょ」
「でもみこちゃんは、ディスコやカフェバーとか、行ったりするんでしょぉ?」
「たまには行くけど、最近はご無沙汰してるわね~」
「夜遊びなんかしないの?」
「それもご無沙汰してるわね。だいたい11時までには眠るようにしてるから、夜遊びなんかする暇ないし」
「お酒は飲まないの?」
「適度なお酒はからだにいいけど、夜酒は睡眠の質が落ちるから、飲まないわね」
「え~? じゃあ、男は?」
「適度なエッチは美容にいいけど、それもずっとご無沙汰してるわね… って、なに言わせるのよ、ナオミは!」
「あははは。みこちゃん、おもしろい~!」
そう言ってケラケラと笑いながら、ナオミは紅茶のおかわりをねだる。みっこはメリオールの葉を新しいものに換えるため、キッチンに立った
「さつきちゃん。なんだか、みこちゃん。変わったね~」
キッチンに立つみっこを見ながら、ナオミは小声でわたしにささやいた。
「え? どこが?」
「みこちゃんってさ~、前はなんか怖いとこあったんだけどぉ、最近は話しやすくなったよね」
「ナオミもそう感じるの?」
「うん。前さぁ、由貴ちゃんがみこちゃんに、『絵のモデルしてほしい』って、言ってきたことがあったじゃない」
「うん」
「あのときみこちゃん、最初は『ブスッ』って黙ってて、すっごい怖い顔してた。だからあたしもミキちゃんも、みこちゃんに話しかけられなくて、なんか気まずかったわ」
「そんなこと、あったわね~」
そうかぁ。
あの時ナオミとミキちゃんは、由貴ちゃんの作品のクリアファイルをずっと見てて、みっこの沈黙には気づいてないかと思っていたけど、実はふたりとも、こっそり気を揉んでいたんだ。
ナオミは安堵したように言う。
「あたしね。今のみこちゃん、好きだな~」
RRRRR… RRRRR… RRR…
そのとき、ローチェストに置いてあった電話が鳴った。
つづく
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