Carnival Night 9

 それきりふたりは黙ったまま、遠くのフォークダンスの輪を見つめていた。

となりに座る川島君の横顔を、気づかれないよう、そっと見る。

その頬にはかすかにファイヤーストーンの炎の色が揺れている。あたたかな、だいだい色。

触れてみたい。その色に。その頬に…

感じてみたい。その肌のぬくもりを…

そんなことばかり考えていて、わたしはなにも言えず、でも、なにか言わなきゃいけないと思い、次の台詞を探していた。川島君が今、なにを考えていて、これからなにを言おうとしているのか、必死で予想していた。


最後に会った、あの雨の夜…

ものすごい早さで、わたしはその時の記憶を巻き戻していた。


『好きな人。いるよ』

『同級生』

『完璧にぼくの片想い』

そして…


『もういいよ』


もう、何回も何回も、心の中で再生を繰り返した、川島君の言葉。

すっかり擦り切れてしまったけど、何度思い返しても痛みがやわらぐことのない、川島君の台詞。



「…………ごめん」


長い長い沈黙のあと、川島君は口を開いた。


「あの時、ぼくがヤケっぱちになったから、さつきちゃんを怒らせてしまった」

「あの時?」

「こないだの小説講座の帰り道。雨の夜の」

「…わたし、なにも怒ってなんか、ないわ」

「じゃあ、ぼくが怒ってるんだ。自分自身のふがいなさにね」

「どうして?」

真っ黒な空を見上げてひと息つくと、川島君は話しはじめる。

「別れ際、『好きな人がいる』って言ったの、覚えてる?」

「…ええ」

わたしはうなずいた。

「後悔してる」

そう言って川島君はひと呼吸おき、わたしの顔を見ながら続けた。

「あの時ぼくはさつきちゃんに、苛立ちをぶつけてしまったんだ。さつきちゃんはただの友だちなのに、そんなことしちゃいけないって、わかっているのに、だ」

「…」


『ただの友だち』


心の中で、その台詞を繰り返す。胸の傷が、またひとつ、えぐられる。

重なる喪失感。

そんなことを言うために、川島君はわたしを探しまわったの? 9時間も。

期待したわたしが間違っていた。

今夜、こうまでしてわたしに会いにきてくれた川島君の優しさは,やっぱり『ただの友だち』としてのもの…


わたしの気持ちに気づきもせず、川島君は話を続けた。


「実は、えみちゃんから告白された時、言われたんだ。

『さつきさんは先輩のこと、ただの友だちとしてしかみてなくて、好きでもないし、むしろ、わたしに協力してくれてる』って」

「えっ?」


いつかのマクドナルドでの、あららぎさんとの会話がよみがえる。


『川島先輩。優しいし、頭いいし、行動力あるし、ルックスもいいじゃないですか。先輩は、どう思います?』

『わ、わたしは、別に、ただの友達だし…』

『へぇ~。そうなんですか。わたしてっきり、先輩は川島先輩のこと、好きなんだと思ってました』

『えっ。そ、そんなことないけど…』

『じゃあ、わたしが川島先輩のこと、好きでもいいですよね。協力してくれません?』

『協力?』

『わたし、告白しようと思ってるんです。弥生先輩にもそれ、手伝ってほしいんです。ダメですか?』

『いや。ダメってわけじゃないけど…』

『じゃあ、お願いできるんですね』


あの時の、誤魔化したわたしの返事を、蘭さんは川島君にそんな風に話してたんだ。

なにかを吹っ切るように、明るく、川島君は言った。


「その言葉、ショックだったな~。

さつきちゃんがぼくのこと、そう思ってたなんて」

「…それは」

「あの夜もさつきちゃん、『モデル級の友達紹介しようか』って言ってただろ。

それで、『えみちゃんの話は本当だったんだ』って思って、絶望して、つい、ヤケを起こして、さつきちゃんに対して攻撃的になってしまった。

あの時さつきちゃんは、理由つけて先に帰っただろ。当たり前だよな。こんな自分は嫌われて当然だもんな」

「…」

「次の日、さつきちゃんから『サークルやめる』って電話があった時、激しく悔やんだよ。後悔しても『あとの祭り』だけど。

でも、ぼくの『祭り』は、このまま終わらせたくなかった。

だから今日、どんな理由をこじつけてでも、さつきちゃんに会いたかった。そして、ぼくの気持ちをちゃんと伝えたかった」

「…」

「最後まで聞いてほしい」

「…」


川島君はまっすぐ、わたしを見る。

からだが硬くなって脚が震える。

その次に、彼の口から出てくる言葉を予感して、心臓が激しく高鳴ってくる。


「あの、本屋で再会できた日。これは運命だと思った。いろいろ話ができて、すごく共感してもらえたり、さつきちゃんの話に共感したり、すごく嬉しかった。

そして、趣味を通した友だちにもなれたけど、さつきちゃんといる時、ぼくはいつも、もやもやしたものを感じていた。

大切なことを伝えたいんだけど、どうしても言い出せなかった。

この気持ちを口にしてしまえば、せっかくの友達関係を自分から壊してしまう気がして、怖かったんだ。

本当に情けない。後悔しても、しきれない」

「…」


それは、わたしの気持ち。

シンクロしている。

からだの震えがとまらない。

ついさっきまでの喪失感とは違う、張りつめた緊張がからだを支配して、わたしは川島君の言葉だけを受け止めていた。


「さつきちゃんにとって、ぼくのことはただの友だちかもしれない。だけどぼくは…」


「待っ… 待って!」


その瞬間、わたしは思わず彼の言葉を遮った。

怒濤のように、このひと月半の間の、いろんな想いが押し寄せてくる。


再会の書店。

紅茶貴族での会話。

同人誌活動。

あららぎ恵美さんと沢水絵里香さん。

小説講座の帰り道。

地下街の公衆電話。


さまざまな恋の事件に巻き込まれ、みっこと喫茶店や港の埠頭で、恋についていろいろ語り、一度はしくじったわたしがにたどり着いた、最後の答え。


傷ついてもいい。

このまま受け身でいるより、自分からこの気持ちを伝えたい。


「お願い。わたしから先に言わせて。わたし… 川島君が好き! ずっとずっと、好きだったの!」

「…さつきちゃん」

「わたし、傷つくのが怖かった。

川島君が好きな人がだれなのか、知るのが怖かった。

川島君が別のだれかを好きで、その人のことを優しい目で見るのを、の当たりにするのがイヤだった。

だからお別れを言うしかなかった。

でもわたし、ずっと後悔してた。

わたし、逃げてた。

傷つく怖さに、川島君を好きな気持ちが勝てなかった。

わたしは臆病で、壁を越える勇気がなかった。

でも、もういい。

わたしにとって川島君は、だれよりも大切な人。

それだけを川島君に知っていてもらえれば、もう、それで… いい」


「…はぁ~~っ」


大きなため息をついて、川島君はわたしを思いっきり抱きしめた。

全身が彼のからだの中に包まれてしまう。

じんわりと伝わってくる、川島君の体温。

あったかい。

人の肌のぬくもりって、好きな人の体温って、どうしてこんなに安心できるんだろう。

こういう安心感って、生まれてはじめて知った『幸せ』。

わたしの髪をやさしく撫でながら、川島君は残念そうに言った。


「あの時もそうだった」

「あの時?」

「卒業式の日に、お互いのノートにサインしたの、覚えてる?」

「ええ」

「あの時、さつきちゃんと話がしたくて、ずっとひとりになるチャンスをねらってたけど、なかなかなくて。

でも下校寸前に、さつきちゃんが教室の奥の方にひとりでいるのを見つけて、声かけに行ったんだ」

「え?」

「そして、さつきちゃんをどこかへ連れ出して、告白するつもりだった」

「ええっ? そうだったの?!」

「でも、ぼくがそれを言い出す前に、さつきちゃんはいきなりサイン帳を差し出してきて。なんだかそれで、『もう終わったんだな』って漠然と感じて…

『元気でね』って、握手するしかできなかった」

「…」

「あの時もさつきちゃんに、先を越されたんだよ」

「ごっ、ごめんなさい」

「いや。責めてるんじゃない。ぼくがグズなだけなんだ」

「川島君…」

「あのとき言えなかった言葉を、言わせてくれ。

…それもさつきちゃんに、先に言われたけどね」

「…」

「さつきちゃんのこと、好きだ」

「…」

「ぼくと、つきあってほしい」


そう言ってもう一度,川島君はわたしをぎゅっと抱きしめた。

夢にまで見て、ずっと待ちわびていたその言葉。

わたしは彼の胸に顔を埋め、ただうなずくだけだった。


カーニバルの夜は、まだ終わらない。


END


22th Mar. 2011初稿

29th Oct.2017改稿

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