Vol.3 Sweet Memories
Sweet Memories 1
夜の街角は賑やかな
九州文化センターの前を抜ける6車線の大通りは、たくさんのクルマが色とりどりの光の軌跡を残して流れている。背の高いビルにはきらびやかなネオンがまたたき、人通りの絶えない舗道に、カクテルライトを映し出している。
それはこの九州文化センターで、今秋から催される小説講座の入校式が終わった、帰り道での出来事だった。
わたしはこの夜のことは、一生忘れないだろう。
式からの帰り道。わたしは妙にワクワクしていた。
小説の書き方や、デビューに関するいろんな話しが聞けて、自分の夢が広がり、なんだかそれが叶えられるようで、すごくハイな気分。
わたしは地下街の馴染みの大きな本屋に立ち寄り、外国文学の書架を見上げた。
こんな気分のときは、新しい本を買いたくなる。
エドモンド・デュラク挿し絵の『ウンディーネ』を見つけた。
この挿し絵、とっても好み。
何度か立ち読みして、ほしいとは思っていたんだけど、値段が高くて手が出なかった。でも、今日こそ買っちゃお。
そう決心してわたしは本に手を伸ばした。ちょっと高い所にある大きな本だったので、なかなか取りづらい。そのとき別の大きな手が、わたしの取ろうとしている本を引っ張り出した。
思わず腕を引っ込めて相手を見る。向こうもわたしを見ていた。そしてニコリと微笑んだ。
「久し振り。弥生さん」
「…」
一瞬、時が止まった。
街のどよめきも、流れるBGMも、みんなわたしの心から消え去って、彼の表情だけが、コマ送りのビデオみたいに鮮やかに浮かび上がる。それは次第にリワインドしていき、半年も前の、高校生だった頃の表情とオーバーラップしていった。
「…川島君」
どんな顔をすればいいのかわからず、とりあえずわたしはぎこちなく微笑んだ。彼も微笑み返す。それはとってもあったかい笑顔。
そう。
この人はいつだってそうだった。
一緒に机を並べて勉強していた、あの教室。
あの頃から、川島祐二君は優しく笑う。
そして…
わたしは一年半の間、いつも、その笑顔だけを見てきた。
みんなが振り返るようなハンサムじゃないし、勉強やスポーツが抜群にできるってわけでもないけど、川島君はなぜか、女子から人気があった。
誰よりも気持ちがよくて、誰よりも暖かだったこの微笑みに、女の子たちは
そして、それが17歳だったわたしの心を、いっそうせつなく乱していた。
「か… 川島君。こんなところで、どうしたの?」
やっとの思いで、わたしは彼に訊いた。優しげな笑みを湛えたまま、川島君はわたしを見下ろして言った。
「弥生さんが本棚と悪戦苦闘していたから、助けの手を差し伸べたんだよ」
「そ、そうなんだ。あ、ありがとう」
消え入りそうな声。わたし、脚が震えてる。
「そういえば、弥生さんは西蘭女子大学に進学したんだってね」
「ええ… 川島君は…」
「ぼくは、市内のビジュアルアーツ系の専門学校だよ」
…知ってる。
友達から聞いたことある。
3年の途中で急に進路を変更して、写真の専門学校に進んだ、って。
川島君の成績なら、このあたりの国立大は受かりそうだったし、最初の志望校はそうだったから、先生や親からも、大学を受験する様にと、かなり諭されたらしい。
だけど川島君は、自分の決めた進路を
「弥生さんは、やっぱり国文科?」
「ええ」
「そうか。弥生さんは高校の頃から本が好きだったもんな。だから小説講座も受講するのか」
「えっ? どうして知ってるの?」
「実はさっき、九州文化センターで弥生さんを見かけたんだ。ぼくも絵画講座を受けてて、その帰りにね。あとを追いかけたら本屋に入ったから、声かけわけ」
「そうだったんだ。川島君も講座、受けてたのね」
「ああ。小説講座が新しく開かれたんだな。ぼくも受けることにしたよ。次の講座から参加するよ」
「ええっ。川島君も受けるの?!」
人目もはばからず、思わず大きな声でわたしが聞き返したものだから、川島君はちょっとびっくりしたみたいだけど、笑いながら答えた。
「ははは、ぼくなんか小説って柄じゃないけどね。でも興味あったから受講決めたよ。今日の講座が受けられなくて残念だったな。
よかったらどんな感じだったか聞かせてくれないか? お茶でも飲みながら」
「え?」
「この先に『紅茶貴族』って紅茶のおいしい店があるんだ。よかったらそこ、行かない?」
「え、ええ…」
わたしは戸惑った。
好きな人に誘われているのに、なぜ?
高校のときは、彼とはロクに話をしたこともない。
遠くから見ているだけの、一方的な『バスストップ・ラブ』だった。
それが、急にこうしてふたりきりで、面と向かってしゃべったりしているものだから、なんだか気持ちがふわふわして現実感がない。
それに…
わたしの脳裏を、ひとりの女の子の顔がかすめた。
恵美さん…
「無理にとは言わないけど」
戸惑っているわたしの様子を察したのか、川島君は言った。
ううん…
無理とかじゃない。
わたし、怖がってるけど、イヤってわけじゃない。
わたしは黙ってうなずいた。
『紅茶貴族』は、飾りは渋いブリティッシュ。
広い店内のボックスシートは人がいっぱいで、わたしたちはカウンターに座った。
「紅茶を入れるのを見るのも、楽しいよな」
メニューを開きながら、彼が言う。
ピカピカに磨かれたメリオール。
『フォートナム&メイスン』の紅茶を、よく暖めたティーカップに注ぎ、タータンチェックのロングスカートをはいたウェイトレスが、席に運んでいる。
紅茶独特のほろ苦みのある渋い香りが、部屋の柱や家具調度に染みつき、重厚な雰囲気を
注文したアールグレイは、爽やかで香りがとってもよく、まるで川島君との再会を祝福してくれているような、この上なく素晴らしい味。
彼に聞かれるまま、わたしは今日の小説講座の様子を、たどたどしく話した。
「それで弥生さんは、小説家になりたいんだ?」
カウンターに頬杖ついて、川島君はわたしの顔を見ながら訊ねる。
「え、ええ。できればなりたいけど… 川島君は?」
「ぼくは趣味程度かなぁ。目指しているのはカメラマンだから」
「カメラマン?」
「ずっと美術部にいたんだけど、高二の時に急にカメラに目覚めてね。『自分の道はこれだ』って決めたんだ。3年になって写真部にも入って、真剣に写真のことを勉強したよ。
でも、親にも先生にもかなり反対されてね。『そんな不安定な職業はよくない』んだってさ。
『とりあえず今の希望大学に入って、それから写真のことを学べばいい』とかも言われたけど、そんな回り道はしたくなかったしな」
「ふうん。すごいのね。そんなにしっかり、自分の進路を決められるなんて」
「まあ、ぶっちゃけ、決断するまでは、だいぶ揺れたけどな。本当に自分に、カメラマンの才能なんてあるのか、かなり悩んだよ。
友達からもいろいろ言われたな。『カッコいいから頑張れ』なんて、無責任に言うやつもいたけど」
「そうだったんだ。そういえば秋の文化祭のとき、川島君の油絵と写真、両方見たわ」
「え! 見てくれたんだ」
「わたし、絵とか写真とかはよくわかんないけど、どっちもあったかい感じで、すごくよかった」
そう言いながら、わたしは大きなキャンパスに描かれた、川島君の絵を思い浮かべた。
広々とした海の景色だったな。川島君の絵は。
浜辺で働く人を点景に入れながら、夕暮れの海を力強いタッチだけど、やさしい色調で描いていた。
写真のモチーフも同じような夕焼けの海。空と雲のグラデーションが水面に映えて、とっても綺麗だった。
川島君の心の中には、こんな大きな海が広がっているのかなぁとか想像しながら、長い時間、作品の前に立ち止まっていた、去年の秋の文化祭。
どちらの会場でも川島君とは会えなかったけど、もし鉢合わせていたら、恥ずかしくて、じっくり作品を見られなかった気がする。
「川島君は、ほんとに絵とか写真が好きなのね。そう感じた」
「そうか? 嬉しいよ」
「それにしても、美術部と写真部をかけもちだなんて、川島君、すごい」
「絵も写真もどちらも同じ『picture』だろ。表現のツールが違うってだけで、ぼくにとって本質は一緒なんだ。
去年の文化祭の作品は、そういう意味を込めて、あえて同じモチーフで取り組んでみたんだ」
「ふうん。だからどちらも同じ、夕焼けの海の景色だったんだ」
「小説にしても、そうなんじゃないかな?」
「え?」
「絵も写真も、自分の世界を絵具やレンズを通して、切り取って創造するってことだろ。小説だって自分の世界を文章で創造していくってことじゃないかな? どれも自分を表現するための、手段だろ」
「ええ… そうね」
「自分の力でなにかを創造するってのは、いいもんだな。
なんていうのかな? 自分の存在が確かめられるっていうか、存在している理由、みたいな気がするんだ」
「あ…」
「なに?」
「う… ううん。なんでもない」
繕いながら、わたしはティーカップにあたる唇が、かすかに震えるのを感じた。
『自分が存在している理由』って…
いつかわたしが、みっこに言ったことと同じ!
この人の考えてること、わたしの心と根っこの方で繋がってるみたい!
つづく
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