後記

後記 筆者より

 ふと、空を見上げた。

 そこに、無数の花があることを期待して。

 その香りが、降り落ちてくることを期待して。


 この史記目録を編み終えたのが、年の瀬が迫る頃であった。

 そして年は明け、世の空気が正月の浮かれ気分から日常の倦怠へと移ってゆく頃、今さら思い出したかのように、この後記を綴っている。



 この史記目録の原典となっているウラガーン史記は、おそらく、ストリェラが編んだのであるという持論を提示したわけであるが、思えば、彼は、その半生をかけ、自らが見、聞き、終え、始めた一つの地点から振り返り、回顧することから、史記を綴ることを始めたのではないかと思う。

 それは、連続した時の流れへと溶け込んでいることに、彼は気付いたに違いない。

 人が、追い、求め、示し、生き、戦い、あるいは死に、そして繋ぐ、曲線的な流れを。

 神話の時代から始め、彼自身が生き、パトリアエやバシュトーが滅び、そしてウラガーン国が誕生した時点までその流れを追うのは、大変な労力であったことであろうと思う。

 しかし、彼は、それをした。


 もともと、誰に見せるでもなく綴ったものであろうが、そのうち、写本をする者が現れた。それは、恐らく、ストリェラの死後、それを見つけたストリェラを知る者が、彼のために、後生にそれを繋ごうとしたのであろう。

 そのあまりの密度に、数々の劇作者や研究家の興味の的となり、ストリェラ自身が綴ったと思われる原典が史記の最後のページの時点から三百年以上も後になって発見されたときなどは、大変な騒ぎであった。

 それが、史記の研究を加速させたことは言うまでもない。



 筆者の綴ったこの史記目録は、断っておくが、研究ではない。

 筆者は、単に、熱に浮かされたかったのだ。

 熱っぽいものを、書いてみたかったのだ。

 その興味が、たまたま、このような形で発現したにすぎぬ。

 人に、この熱を、与えたかったのかもしれぬ。

 世を厭い、冷めた眼で見ながら、それに憧れ、求めていることに、正直になろうと思った。

 ここに綴ったのは、あるいは、筆者の心の一部であり、理想であり、後悔であり、自責であり、そして希望と願いなのだと思う。

 さんざん、歴史書のような体裁を取りながら、最後の締め括りにそのことを吐露するのは、ここまで追って頂いた読者諸氏に申し訳ないような気もするのであるが、一部の読者氏より既に指摘を頂いている通り、これは、ある種の、私書のようなものなのだろうと思う。

 いくら書いても、満ちぬ。いくら述べても、足りぬ。それは、おそらく、筆者自身が、まだ、追い、求める過程にあるからであろう。

 書くだけが、生ではない。述べるだけが、生ではない。

 生とは、おそらく、示し、求め、求められ、許し、許され、結び、ときに解き、繋ぎ、断ち切り、歌い、叫び、泣き、笑うようなものなのであろうと思っている。


 それは、さながら、暴れる風。


 自らの中に、世界を注ぐとは、そういうことなのであろうと。つまらぬ矜持にすがり、汚ならしくすがり付き、足掻き、悶えることで、それは初めて、為しうると思う。

 戦いに、似ている。

 だから、彼らの戦いに、筆者は大いに共鳴するものがあると感じるのかもしれぬ。


 まだ、遠い。

 今年は、雨が多い。今、見上げた空からも、筆者に向かって、雨が小さく降り続いている。

 その一粒一粒の声が、聞こえるまで。

 落ちてきた星の屑を手にし続けるのだろう。


 まだ、至らぬ。しかし、求めることを、やめることはない。

 この先も、続いてゆくのだから。

 求めた挙句何も得られぬとしても、世界への憧れは、抱き続けていたいものである。


 この世界と筆者自身を繋ぐ、言葉というものに触れ、その使い方を知らしめてくれたあらゆる人への感謝と尊敬の念を込め、今さらながら、ここに記しておく。



 増黒 豊

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