盗人の城 15
虹の平原は、月の光を浴びてキラキラと輝いていた。
あちこちに巡らされた灌漑は、長い年月をかけて整備したものなのだろう。計算された灌漑の流れは、最低限の支流でより広い面積へ水を届けている。その様子は体内を流れる血管のようでさえある。
せせらぎに反射する星屑の光。まるで夜空を泳いでいるかのよう。
「そう言えば、俺が虹の平原を渡る時はほとんどが夜中だったな」
人目を気にして空を駆けなければならない時、タジは夜にその身をくらませていた。今また人目を気にして進まなければならないとあって、タジは真夜中の空を駆けている。
以前と違うのは、街道にポツポツと馬車の姿があること。
多くの護衛を引き連れて、あるいは騎士を帯同させて、車輪が土を食む音がタジの耳まで届いてくる。さすがに日中を思わせる人気は無く、野盗や獣の危険もあれば、街道をゆく行商人その他の神経もピリピリと尖っているようだ。
彼らに夜空を眺める余裕もない。
だとすれば光球頭のタジが空を駆けていようとも、一筋の流れ星程度にしか思わなくても無理はない。むしろそんな流れ星さえも気に留めないだろう。
「本当に、貧しい話だ」
流れ星となって虹の平原の夜空を駆けるタジには、目的地があった。
大規模な灌漑工事のためにすっかり様子の変わった虹の平原だったが、タジはもともと地上の何かだけを目印に駆けていたわけではない。方角と、あとは星の巡りを見てある程度の距離を定めていた。
だから、目的地にたどり着くのはそれほど難しくなかった。
「ずいぶんと、様変わりしたもんじゃねえか」
確かにその場所はタジが定めた目的地だった。
しかしタジの知っているそこは、傾斜のきつい丘の中腹に作られた洞窟であり、その空洞には光る苔がビッシリと繁茂した、明るい場所だったはずだ。
それが今や、洞窟の入口はあるかないかというほどに小さく狭く見えづらく、わずかなすきま風の流れるその入口から中を覗いてみれば、あれだけ繁茂していた光る苔もほとんど見られない。洞窟の天井から降り注ぐ月光さえも淡く、頼りない。
タジはすきま風の通る入口を乱暴に掘って洞窟の中に入った。
「おーい、エダード。いないのか?」
反応は無し。紅き竜の巨体もなく、暗闇の中に寒々しい空気が流れているだけ。
「おかしいな。アイツが死ぬわけないと思ったんだが」
死なぬなら、別のところに移住したのだろうか。
あれこれ考えを巡らせながら洞窟の中を探し回ると、洞窟の更に奥、月光の影に隠れるそこに、一つの樽があった。
「これは……?」
触ると、その表面には苔ともカビともつかないものが生えている。その姿形は、かつてタジがエダードに持ってきたものと同じように思われた。
そして、それには中身が入っていた。
「入ってる……?ってうわ、酸っぱ!」
酢酸発酵した酒は完全に酢となって、樽の外まで臭っている。
思わず鼻をつまんだタジは、その上蓋に一言、何か書かれているのを見逃さなかった。
「タジからの贈り物、ねえ……」
酢になる前に飲めばよかったのに、と思いつつ、胸の中に何か複雑な思いを抱かずにはいられなかった。
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