凪いだ海、忘却の港町 45
「タジさん!あなたは海の向こうにまだ世界が続いていることを知っているのですか!?」
肩を前後に揺らすようにして、イロンディはイヨトンの束縛から抜け出そうとしていた。とは言え、どれだけ抵抗しても彼女の力ではイヨトンは引き剥がすことはできない。
それでも、イロンディはタジに向かって噛みつかんばかりの勢いだった。
「海の向こうにも眠りの国と同じように大地があって、そこには私たちと同じように誰かが住んでいると、タジさんは信じているのですか!?」
川に対岸があるように、海の向こうに海岸があると想像できない人間はいない。ただし、そこにはタジが想像する以上の実現可能性の低さがあった。
広大な宇宙のどこかに生命のある星がある。それ自体は想像できるが、では実際にその生命のある星を見つけられるかどうかは、限りなく難しい。彼女たちにとって、海の向こうに海岸を見出すというのは、そういうおとぎ話の類なのだ。
「……俺は、あると信じてる」
タジは別の世界を知っている。
別の世界……要するにタジが生まれ変わる前の世界では、世界は丸かった。世界に突き当りはなく、海の向こうには別の大陸がある。
「水平線の彼方に別の陸地があると……そんなおとぎ話を、タジさんは信じるのですね」
「紅き竜がおとぎ話だったんだ。海の向こうに何かあるという想像を誰が否定できる」
紅き竜を使えば、きっとどこまででも飛べるだろう。
海竜が海を守ろうとも、手の届かぬ空を行けば、いくらでも海の向こうへとタジは飛ぶことができる。ただし、紅き竜はおそらくエダードのいるこの地を離れることはない。エダードの分身体である紅き竜は、その力をエダード自身に依存している。どこまでも離れてしまえば、いずれどこかで力尽きる。そういう類のものだ。
海の向こうを想像すること。それが現実に迫ってくるのをこの場でもっとも期待しているのは、もしかしたらイロンディかも知れない。
きっと彼女は、見たことの無い景色を見るために地図師になったのだ。
「そんな……海の向こうを本気で思って良いだなんて……」
うわ言のようにつぶやく彼女の言葉は、欲望の表出だった。地図師はイロンディの天職なのだとタジは思った。
「まあ、イロンディはこの世界に留守番だがな」
「そんな!!」
先ほどのムヌーグとした会話の通りだ。彼女が平和に暮らすためには、眠りの国の庇護下にある必要があり、そのためにはタジと別れる必要がある。タジは海の向こうに行くこともできるだろうが、その遠出に彼女を連れて行くわけにはいかない。
「せいぜい海竜ミレアタンが友好的であるのを祈るんだな」
もし、仮にミレアタンがシシーラの村周辺の海から撤退し、海が魔獣の縄張りでなくなったときには、その時にはもしかしたら外海への航海が眠りの国主導の下でできるかもしれない。
「さて、それじゃあ俺は逃げるようにシシーラの村へと向かわせてもらおうかな」
「本当に、追い出すような状況になってしまって、申し訳ありません」
ムヌーグの顔が翳る。
「はッ、喉元に剣先をピッタリ当てておいて何を言うか。まあ、楽しかったよ」
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