凪いだ海、忘却の港町 25
絶大な力を持つ伝説の紅き竜エダードは、人間の力に比べて圧倒的な暴力を有する。個人で国を傾けさせかねない力は、意思を持った災害と言ってよい。人間がその災害に対処するには、その者を怒らせないように宥めすかすしかなく、ある意味で神に近しい存在ではある。
もっとも、彼女はその暴力をもって人間に何かを要求したりはしない。ただ、暇を持て余しては、時々人間の格好をして温泉巡りなどをするだけの、比較的無害な竜である。
それを友好的と言えば確かに友好的と言えるだろう。
ニエの村にいた竜は、人を食らって力を得ようとしていた。眷属と自称したその竜は、タジによってあっさり倒されたものの、訓練を受けた騎士だとしても中隊を送って勝てるかは半々と言ったところだ。
「お前は人間の姿を作りだして、荒野に恐慌をもたらしただろうが」
「それは暇だったからよ。ちゃんと説明したでしょう?アタシがその気になればチスイの荒野なんて一週間で廃墟にできた。それをしなかったのだから、アタシは限りなく人間に友好的だと思うんだケド?」
「……確かに、それはその通りだな」
「例えばアタシは荒野だけでなく、移動すればどこでもたちまち火の海に変えることができるでしょうね。同じように、ミレアタンは津波を起こして大地を洗い流すことが可能なのよ。とは言っても、彼はそういう疲れることはしたがらないケドね」
凪の原因が水竜ミレアタンであることは聞いていたが、それはつまり海そのものの力場を操れることを意味しているようだった。
「水流を操れるとなれば、エダード以上じゃあないか」
潮汐力を無視して強制的に凪の状態にさせるなど、炎を吐いて辺りを火の海にさせるなどという力を超えた話だ。
「まあ、その方法についてはアタシの及び知るところではないし、さっきの魔瘴云々の話と同じで堂々巡りをするだけだわ」
「ほう、エダードはミレアタンより力が劣っていると言われても腹を立てたりしないんだな」
タジの言葉に、杯を用意して大樽の中から酒を掬おうとしていたエダードの手が止まった。気だるそうな目つきでタジを睨みつけ、何か言いたげな様子である。
児戯のような挑発だ。とでも言わんばかりの目つき。
エダードはタジに向けて杯をポイと投げる。
どうやったのかは分からないが、中身は全くこぼれる様子もない。遠心力もないのに杯にくっついてタジのかざした手にすっぽりと収まった。
エダードは別の杯を用意して自分用に酒樽から掬い取る。酒の透明度は言うに及ばず、一口含むと、華やかな香りが鼻を抜けていく。
「アンタはクマとサメの力比べを見たいのかしら?」
「エダードとミレアタンの間にはそれほどの種族の差があるとでも?」
「言ったでしょう?魔獣と一括りにすることは出来ないって。条件が違えばいくらでも有利不利がひっくり返るような力比べを、どうして楽しめるのかしら?」
「それはそれは耳が痛い」
それは、きっと人間があらゆる場所で最も強い存在でありたいと欲しているからだ。生物の頂点に立って、あるいは立てずとも可能な限り優位でありたい、そう願う人間の欲が、あり得ない異種格闘戦を望むのだろう。
「勝てる見込みがない場面で勝とうとするなんて、愚の骨頂。そう思わない?」
「ごもっともだ」
「ミレアタンと戦いたいのなら戦ってもいいけれど、不利な条件を簡単に飲まないことね」
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