凪いだ海、忘却の港町 22

 二人の王との謁見を済ませたタジとイロンディの二人は、日の暮れかかった街中をとぼとぼと歩いてまわった。

 活気のある城下町には、今日も轍の上を荷馬車が通っている。夕暮れの街に響く蹄鉄の音は間もなく途絶えて、町全体が眠りにつくだろう。作業中は邪魔になるからと外にまで依頼品や道具の数々を外に出して活気を演出する職人たちも、既にその品々をいそいそと店の中へと担ぎ入れていた。

 飯店の呼び込みの声と、寝酒を求める商人、冒険者、傭兵……。

「タジさんは、これからどこへ?」

「ん?」

 肩に大樽を担いだタジに、イロンディが尋ねた。

「まさかその酒樽を今日の寝酒にしようなどとは考えておりませんでしょう?」

 一人で飲むにはあまりに量が多く、あまりに上等だった。

 その酒樽だけで、庶民の一か月の食費にも値するだろう程だ。

「まあ、な。たびたび訪れるのも気が引けるんだが、ちょっと知人に会ってこなければ、と思ってな」

「その知人は、タジさんが『考える時間』を共に過ごす相手ですか?」

 イロンディは、抜け目のない視線をタジへと向ける。その視線は、彼女が技術を用いてタジの存在そのものから情報を引き出そうとしていることを示していた。

 だとすれば、はぐらかす必要もない。それに、嘘をつくのであれば真実を混ぜるのは策の常だ。

「その通りだ」

「私がお供することは?」

「それは困る。彼女は嫉妬深くてな、俺が女を連れて行けば正しい情報も適切な助言も得られない。それでは彼女に会いに行く意味がない」

「なるほど」

 困るのも事実、彼女が嫉妬深いのも事実、イロンディを連れて行けば正しい情報も適切な助言も得られないのは確度の高い推測。何一つ嘘を言っていなければ、イロンディがそこから情報を引き出すことは難しい。

「恐らく、私が同行しては困るというよりも、そもそもその“彼女”というのが、人嫌いなのでしょうね。むしろタジさんにしか懐いていないと言った方が正しいような」

「その通りだな」

 片眉をつり上げて、あえて分かりやすくはぐらかす姿勢をとる。

「ふふ、タジさんははぐらかそうとしていますが、やっぱり分かりやすいですね」

 つり上げたタジの片眉がさらにつり上がる。

「こんな時間から酒を持っていって話に付き合ってくれる人間など、ほとんどいませんよ。太陽と共に仕事を終え、眠りにつくのがこの国の常識なのですから」

「なるほど、イロンディはそれを常識と認めるくらいには、この国から離れていたのか」

 イロンディが微笑む。

 彼女の常識は、地図師として各地を転々とする過程で様々に変容したのだろう。それこそ、一国の常識に囚われなくなるくらいには。

 それでも、いや、それでこそ彼女はグレンダ王に取り立てられるほどに優秀であり続けるのだ。国の常識に囚われていては務まらない仕事。それでいて、ある意味で最も眠りの国の常識に熟知した仕事。

「まあ、何を察したのかは知らんが、嘘は言っていない」

「しかし真実も言ってはいない、とは言いません。タジさんがこの国を困らせようと思っている訳ではないことは、分かりますから」

「困らせたくはないが、だからと言って俺が直ちに海竜を倒す気でないことも、イロンディは分かっているんだろう?」

「それも答えないでおきましょう。私にできることは、貝のように口をつぐんで、タジさんを見送ることだけです」

「そうしてくれると、助かる」

 イロンディがにっこりと微笑み、それから手のひらをタジに向かって差し出した。

「何だ?」

「夕食代と、宿泊費といただけないかと」

「現金な奴だ」

「変な貸し借りも無しにしておきたいだけですよ」

「太陽の御使いに貸し借りを作った気でいる」

 タジは苦笑いするしかなかった。

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