【番外編】温泉好きの竜 32

 やはり多少の湯あたりはしていたらしい。

 お姫様だっこで小屋まで運ばれている間にすっかり無抵抗になったと思ったら、エリスはタジの腕の中で気絶するようにぐったりと目を閉じていた。

「言わんこっちゃない」

 小屋の中で唯一石化が解除されている木綿の寝床に静かに下ろした。下ろした拍子に髪を結いあげていた綿布がハラリと落ちて、わずかに湿った髪が辺りに流れていく。タジは綿布を拾い上げると、仰向けになって寝かせたエリスの下腹部にそっとかけた。

「ああ、脱いだ服」

 確かエリスは脱衣をしていた。その場に残っているだろうと探すと、果たしてそれは見つかり、湿った綿布を除けて、恥部を隠すように着ていた衣服をかける。

「うちわのようなものがあると良いんだがなぁ……」

 周囲に視線を巡らせても、代わりになりそうなものは見つからない。

「大丈夫よ、そこまでではないから」

「意識があるのか」

 あまりにぐったりしているから、意識もないのかと思ったがそういう訳ではないらしい。タジは一安心し、エリスに問うた。

「何か欲しいものはあるか?とは言ってもすぐに用意できるかどうかは知らんが」

「冷たい水が欲しいわね。キンキンに冷えたの」

「ああ、それは無理だ」

「でしょうね」

 エリス自身も、炎を吐くことはできても物を冷やすのは難しいそうだ。

「冷やすためには、熱を加えるよりもずっと複雑なプロセスが必要になるの。熱交換機構を魔力回路に組み込むためにはより複雑な構造を……」

 難しい言葉で説明するのは、彼女の負け惜しみの種類の一つなのだということを、タジはようやく理解した。

「出来ないことは仕方ない。それで、他に何か必要なものはあるか?」

「そうは言っても、タジは今、できないことだらけじゃない」

「……確かに、そうだな」

 その気になれば、空中を駆けて眠りの国から氷を山ほど持って帰ってくることもできただろう。それだけではなく、貨物機のように人や物を担いでこの場に豪奢な食事を用意することだって可能なはずだ。

 でも、できなかった。

 それをするには、ポケノの町を通り過ぎ、虹の平原を通り過ぎ、そして眠りの国を駆け巡らなければならない。タジがそれだけ目立って動けば、またぞろこの地に何事か起こったのかと、国民はざわめくだろう。

「単なる余暇の楽しみさえも、アンタは他人の目に奪われている」

 前腕で額の熱を計るように顔の上半分を隠すエリスの表情は、タジには読めない。

「それはちょっと違うぞ。自由に動けないだけで、余暇は楽しめている」

「タジ、アンタの自由は本来底抜けに自由なはずよ。アンタが身体に秘めた力は、この国を百回滅亡させてもまだ全然余力を残すくらいにはね」

「はっ、俺がこの世界の慣習に囚われているとでも言いたいのか?」

「そう。アンタは優しいから」

 腕をどかしたエリスの表情は、子を思う母親のような慈愛に満ちていた。

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